映画とは爆薬の上に牛の体内物質を塗りつけたものだーー岡田秀則著『映画という《物体X》』書評

 そう考えるとき、《物体X》というフレーズの「物体」という部分すらその存在感を限りなく薄め、映画はほとんどただの「X」とでも呼ぶべきものになる。「映画はなくても映画史は立ち上がる」と題された文章に付された、戦前の浅草六区街頭風景の写真。ごった返すなどという形容では生ぬるいほどに、映画館街の道を埋め尽くす人、人、人の充満はなんなんだろうか。また同じ文章で語られる、クメール・ルージュ政権によって「虐殺」されたはずの映画たちが、人々の記憶と言葉によって蘇るように思えるのはなぜなのだろうか。「映画館を知らない映画たち」という文章の中で、ほとんど唐突にと言ってもいいほどに現れる次の文章にハッとしてしまうのはなぜだろうか。

「私は、作家や人間の営為の向こう側に、いろんな映画からやってきた個別の小さな映像の群れが、分け隔てなく、手に手を取って《映像だけの国》を形作っている気がしてならない」(本書引用p72)

 「遊星から」ならぬ「映像だけの国から」やってきた《物体X》のことを、映画の観客である私たちはあまりにも知らない。本書はそのことを教えてくれる。だが、「映画アーキビスト」である著者が、一般の観客である私たちよりもそれについてよりよく知っているということではない。そうではなく、彼は私たちよりもその無知が本当に途方もないものだということをよく知っているのだ。本書は私たちの《物体X》への平坦な無知を、スリリングな無限の隘路へと誘ってくれる。

 再び問う。映画とは何か? 映画とは、爆薬であり、牛であり、チラシであり、連帯なき連帯の場であり、淫靡なものであり、歌の連なりであり……。つまりこの返答は終わることがない。

■結城秀勇
1981年生まれ。映画批評。雑誌「nobody」編集部。同誌24号から36号まで編集長。共編著に『映画空間400選』(LIXIL出版)。

■書籍情報
『映画という《物体X》 フィルム・アーカイブの眼で見た映画』
発売中
著者:岡田秀則
出版社:立東舎
価格:本体1800円+税

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