サエキけんぞうの『君の名は。』評:アニメだから表現できた、人物と都市描写の“快感”
祭りのシーンでは、自分の体験がフラッシュバックした。伊豆半島S市のお祭りに1980年頃に行った時のこと。そこには、生まれ育った千葉県で体験したことがなかった、ゆるやかな活気があり、濃密な人間関係を背景にした力強く優しいにぎわいがあった。成人していたので入ったヌード劇場も鮮烈な印象だった。ところが20年後に訪れたS市の祭りには、表面的な活気さはあったが、深いにぎわいが消えていた。建て替えられた街並にも平坦さがあったが、何と言っても60年代の映画に出てきそうな濃い男衆が圧倒的に減っていたことが影響していた。僕の中で「1980年のS市の風景」は、映像的記憶として脳にしまわれることになった。日本の風景はあまりにも変質していく。だからこそ、過去を映し出すことができる映像表現が非常に重要になってくる。この映画の行き交う村人や学校シーンの交流に漂う空気は、かつて我々が持っていた暖かさが漂っている。現在のネットやスマホが普及した地方の村や学校に行ってみると、その空気感は、この映画よりもっと寒くはないだろうか?
この登校シーンや祭り場面には、現在似たような風景が目の前にあるようで、実は失われたかもしれない“日本の地方の近過去の風景”のようなものが描き出だされている。それが本作の強力な下味になっているのだ。
一方で、対置される東京の風景にも注目だ。代々木、新宿、四谷などの、見たことある風景が、写真を起こしたようにリアルに迫ってくる。デフォルメされて、実際にはない壮大さを描いた飛騨の風景と違い、東京は可能な限り実際の構図の中で描かれようとしている。しかし、こちらも絵の中にいることが快感で、実際に東京を歩いているよりも心地よい。恐らく、この映像を見た外国人は、ますます東京に行ってみたいと思うようになるだろう。こちらもハリウッド映画で長年描かれてきた、ニューヨークやLAなどの都市描写の快感術が、日本ではアニメで可能になったと考えて良いのではないか?
バーチャル・リアリティの手段としてのアニメ。精密なコンピュータ・グラフィクスで詐欺的に風景を改変させる今どきの実写映画も面白い。しかし、フィクションである映画は、そもそも自由に現実風景との距離を置いていいのだ。だから二次元アニメにしかできないことがあるのだ。
接近した彗星が割れる様子や、神がいる丘に踏み込む実感などの漫画的表現にワープしたり、作品の中、場面場面で自由自在に現実との飛距離を変えていることが、アニメの機能を贅沢に使っていて素晴らしいのだ。ハリウッド3Dアニメなどベッタリと実写的な立体感を旨としたり、ひたすら精細なグラフィックスにより、壮大なシーンを再現しようとする映画群は、スタートから「どういう面白い抽象的表現を獲得するか?」というゴールについて、手段の用い方が単調である。手段に振り回されているともいえ、そもそもポイントがズレている?とさえ思わせされる。アニメだから自由自在に現実と距離を変え、今までにない感動を作り出せる。そんな可能性を感じさせる飛距離がここにはある。
■サエキけんぞう
ミュージシャン・作詞家・プロデューサー。1958年7月28日、千葉県出身。千葉県市川市在住。1985年徳島大学歯学部卒。大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。沢田研二、小泉今日子、モーニング娘。など、多数のアーティストに提供しているほか、アニメ作品のテーマ曲も多く手がける。大衆音楽(ロック・ポップス)を中心とした現代カルチャー全般、特に映画、マンガ、ファッション、クラブ・カルチャーなどに詳しく、新聞、雑誌などのメディアを中心に執筆も手がける。
■公開情報
『君の名は。』
全国東宝系にて公開中
声の出演:神木隆之介、上白石萌音、成田凌、悠木碧、島崎信長、石川界人、谷花音、長澤まさみ、市原悦子
監督・脚本:新海誠
作画監督:安藤雅司
キャラクターデザイン:田中将賀
音楽:RADWIMPS
(c)2016「君の名は。」製作委員会
公式サイト:http://www.kiminona.com/