荻野洋一の『シリア・モナムール』評:死体の山の上で、人はそれでもシネフィルであり得るのか

 中東の国シリアはいま、21世紀最大とも言われる騒乱のさなかにある。政府軍と反政府軍のあいだで内戦が激化し、日々一般市民の生命が犠牲になっている。内戦の混乱に乗じてISIL、そしてクルド人勢力などが入り乱れ、多方向的に戦闘が起きている状態であり、さらにアメリカ、フランス、イラン、ロシアといった外国の軍隊が「ISIL征伐」の名目で空爆をおこなっており、その空爆によっても多くの生命が失われている。シリアはもはや、国家としての体をなしていない。ヨーロッパにむけて難民があふれ、その数は200万人を超えた。2011年に北アフリカのチュニジアで始まった「アラブの春」という民主化運動がシリアに飛び火し、アサド大統領独裁に対する打倒運動に発展した頃までは自由と希望を帯びていたのだが、その後はおそろしい戦乱におちいり、解決の糸口はまったく見つけられなくなってしまった。

 そんなシリアで、いまだに映画が作られていることじたいが信じられない。その意味で『シリア・モナムール』は奇跡の映画ではないだろうか。奇跡? ──いや、これを奇跡と安直に呼んでいいのだろうか? これほどの悲惨な現実に、無残な映像に、私たちはいったいどんな方法で接したらいいのだろうか? そのむずかしい問いを、この『シリア・モナムール』は私たち受け手側に突きつけてやまない。

 映画の冒頭で、分娩されたばかりの赤ちゃんを写したホームムービーが流れる。ヘソの緒が切られ、産湯につかる赤ちゃんの裸体の無垢なる映像。しかし、その無垢なる裸体のイメージは、その次のカットでは、裸に剝かれた少年が拷問を受ける凄惨な映像に取って代わられてしまう。尻に棍棒をねじ込まれる少年。彼はある日の放課後、学校の壁に「政権転覆を望む」と落書きしたにすぎないのである。本作にはおびただしい数の、激しく損傷した若者の死体、子どもの死体、爆撃された都市の廃墟、道路、片足を失ったまま歩く猫など、むごたらしい映像がひたすら続く。冒頭のクレジットに書かれた、「この映画は千と一の男女によって撮られた映像からなる」という言葉。アラビアの偉大な文芸作品『千夜一夜物語』が、残虐な王様の心を静めるためにある心優しい女性がお伽(とぎ)を志願して、千と一の夢あふれる物語を語って聴かせながら、命をつなぎ止めていく内容であったのに対して、ここでは無名・匿名の1001人の撮ったデモと内戦の映像が羅列されていく。携帯電話で撮られた動画、YouTubeやSNSからのキャプチャー動画など、本作の1001個のカットは、すさまじいほどに種々雑多であり、正直に言うと、それらの画質と音質は、通常の商業映画の水準にはまったく達してはいない。「こんなものは映画とは呼べない」と拒絶することもできるだろう。「映画とはエンターテインメントである。悲惨な現実から一時的にでも離れて、心を洗う体験である」と主張することは可能だ。しかし、この『シリア・モナムール』が見る者をゆさぶる激しい感情のうねりもまた、別の意味で映画そのものなのだ。

 

 民主化運動への弾圧を撮影していた映画監督オサーマ・モハンメドは、フランスのカンヌ国際映画祭に出席し、シリアの惨状を訴えたことで、母国シリアに帰国することができなくなり、フランスの首都パリへの亡命を余儀なくされる。オサーマはシリアでのある日の出来事を回想する。「けさ、男にカメラを奪われた。私は男を追いかけた。男は撮り始めた」。そしてカメラを奪った男が撮ったと思われる、治安部隊の発砲を受けてバタバタと倒れているデモ参加の市民の映像が続く。男はみずからの危険をかえりみずに、凄惨な現場を撮影しようと思い立ったのだろう。カメラを奪われたオサーマ監督は、この一般青年に敗北したのだ。銃殺された死体とは、かくも真っ赤に染まるものなのかとビックリせざるを得ない。しばらくすると、カメラは目を見開いたまま死んでいる青年のアップとなる。そのカットは、おそらく青年の手からカメラを取り戻したオサーマ監督によって撮影されたカットであろう。オサーマ監督のナレーションが言う。「新人監督は、殉死した」。

 パリのアパルトマン。窓にしたたる雨のしずく。バルコニーに降り立つ鳩のおだやかなショット。戦乱に陥ったシリアから遠く離れて、安全地帯パリで生活するオサーマ監督は、孤独感、そして負い目、罪悪感にさいなまれ、不眠症になる。そんな時、新たな登場人物が、監督にFacebookで連絡を取ってくる。シリアの都市ホムス在住のクルド人女性ウィアー・シマヴ・ベデルカーンである。このシマヴは三重にマイノリティ的存在である。まず国内の少数民族クルド人である点。そして女性蔑視の国において女性でありながら表現者を志している点。そして、単に無名である点である。シマヴは、自国から逃げ出した国際的な映画監督オサーマ・モハンメドに対し、物怖じせずにFacebookに書く。「ハヴァロ(友よ)、あなたがまだここにいたら何を撮っていた?」「すべてだ」「答えになっていないわ。けれども私も“すべて”をとらえたいの」。

 見ず知らずの女と男が、「すべてを見る、とらえる」と語り合う。これに既視感を抱く映画ファンもいらっしゃるだろう。フランスの映画監督アラン・レネの1959年作品『ヒロシマ、モナムール』(旧邦題『二十四時間の情事』)。広島市内の薄闇でフランス人女性と日本人男性が、おたがいをほとんど知らぬままに抱き合う。彼女(エマニュエル・リヴァ)は言う。「私、広島で何もかも見たわ」。彼(岡田英次)は答える。「君は何も見なかった」。広島原爆についての映画撮影のために来日したフランス人女優と、広島在住の建築家による24時間の愛、言葉の応酬である。そこでは原子爆弾の爆発を「見る」ということの不可能性が、問われ続けていた。

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