荻野洋一の『ひそひそ星』評:倫理性を超える「詩」は生まれたか?
黒沢清監督『地獄の警備員』(1992)で最初に評価され、『ユリイカ』『月の砂漠』『サッド ヴァケイション』『東京公園』『共喰い』など青山真治監督作品の常連として名高い美術監督の清水剛によって東宝スタジオ内にしつらえられたセットが、非常にすばらしい。格子状の障子のような布壁が廊下の両側に長く続き、人々がかつて享受していた家族的幸福のイメージが、逆光で投影される。しかし、それは布壁に映る影絵でしかない。30デシベル以下のほとんど無音で展開される幸福な影絵と影絵のあいだを、宅配便の段ボールを抱えた神楽坂恵のアンドロイドが緩慢に歩いていく。人類の時間は、もう終わろうとしている。アンドロイドはそこに悲しみを抱くが、彼女にはどうすることもできない。宅配便を届けること以外には。
彼女は、ある影絵の前で立ち止まり、障子の向こう側から手が伸びてきて、彼女から荷物を受け取る。しかし、荷物を受け取った家族は何を受け取ったのか、あきらかに悲嘆に暮れる様子が、無音の影絵のパントマイムで理解できる。アンドロイドは、どうすることもできない。この無力感を、ひそひそとしゃべる登場人物たちと共に、私たち観客は噛みしめることになる。その無力感の中に、もし詩が現れたとしたら? その詩を、まやかしだ、作者のエゴだと非難するだけではない受け取り方も、ひょっとするとあるのではないかと、『ひそひそ星』を見ながらあらためて考えた。
■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
■公開情報
『ひそひそ星』
公開中
出演:神楽坂恵、遠藤賢司、池田優斗、森康子
監督・脚本・プロデュース:園子温
プロデューサー:鈴木剛、園いづみ
企画・制作:シオンプロダクション
配給:日活
(c)SION PRODUCTION