タイの天才・アピチャッポンが生み出す映画的サプライズーー最新作『光りの墓』の名シーン分析

『光りの墓』に溢れる映画的サプライズ

 アピチャッポン・ウィーラセタクンの名前が華々しく読み上げられた6年前のカンヌ国際映画祭で、審査員長を務めたティム・バートンは、彼の作り上げた『ブンミおじさんの森』に対して「僕たちはいつも映画にサプライズを求めている。この映画は、まさにそのサプライズをもたらした」と語った。初めて映画が作られたその時も、初めて映画が言葉を発したその時も、常に観客は映画から“サプライズ”を与えられてきたのだ。

 その『ブンミおじさんの森』だけでなく、アピチャッポンの映画にはいつでも“サプライズ”が溢れている。『世紀の光』で作品全体の構造が反復したり、『メコンホテル』のラストで長時間かけてメコン川を流れる流木の姿を見守ったり。そして『光りの墓』では、眠りから目覚めない男たちの姿と、かつてそこにあったとされる王宮の姿を夢想しながら、森を彷徨う二人の女性の姿に心が震えるのである。

 論理的な言語を用いてこの映画を整理するためには、仏教的な思想も、この地方の風土も理解しておかなければならない。それでも、ゆっくりとした時間が流れるスクリーンを見つめ、時には目を閉じてスピーカーから流れる風や水の音だけを聞いて、ただただ映画が放つ感覚に身をまかせてみるのもたまには悪くない。いくら凡庸なイマジネーションを振り絞ったところで、この映画が掌握した時の流れを奪うことはできない。

 かつて学校だったという病院の病室には、古ぼけた黒板が掲げられている。地方都市で学校が病院に改築されるというのは、よく映画でも目撃することだが、「生」の象徴であるような教育の場所が、「死」に近い病院へと生まれ変わるというのは皮肉な対比のように思える。また、病院の外には軍人の姿が見られるが、病院の中には彼らと同じ軍人であったはずの男たちが深い眠りに就いたまま、目覚めることを忘れている。この対比も興味深く、眠っている軍人たちはただ眠りから目が覚めないだけで、「死」と隣り合わせにはなっていないのである。かえって、「死」から解放された存在のように映し出されており、あたかも軍政権下への批判を込めた、アピチャッポンなりの反戦のメッセージとも受け取れる。

 さらにこの映画には幾つもの対比が散見している。年と共にあらゆる経験を積んできた主人公のジェンと、眠る軍人と交信をする特殊な才能を持つ若い娘ケンの無垢さとの対比であったり、何より眠る軍人たちの世話を務めるジェン自身が、眠りに就くことが難しいという病を抱えているのである。そもそも「眠り」というものは、人間の身体的な成長を促すために必要不可欠なものであるのだけれど、精神的な成長を促すための仏教的な修行とは、似ているようで真逆なものでもあるのだ。

 劇中で、突然ジェンの前に現れる二人の美しい娘が、湖畔に祀られたラオスのお姫様の像が蘇った姿であると語るシーンは、この映画の物語に訪れる最初の転機である。現在病院が建っている場所にかつて存在したという、王宮の墓に眠る兵士たちの魂が、病室で眠る軍人の男たちの魂を借りて、戦いを続けているのだという。ここでもまた、「眠り」と「戦い」という対照的な二つの行為が重なり合っている。

 そして眠りから突然目を覚ますイット(演じているバンロップ・ロームノーイが『トロピカル・マラディ』の主人公ケンだと気付くのに時間がかかったが)。彼を始め、目を覚ました軍人たちは、食事中でも外出先でも突然再びの眠りに落ちてしまう。そんな物語的な“サプライズ”もさることながら、総てのショットに映画的な“サプライズ”は見え隠れしているのだ。

 とくに映画館で国王賛歌のための起立をしたジェンとイットの姿が映し出された後に訪れる、光の色が変化していく街の光景、シネマコンプレックスだと思しき近代的な建物の中で、エスカレーターを降りてく群衆の中で、杖をつきながら歩くジェンと、その後ろを二人の男性に運ばれていくイットの姿。このシーンで、それまでフィックスされ続けていたキャメラが初めて動きを見せるのである。そこから俯瞰で映し出されるエスカレーターの交差と、軍人たちが眠る病室の照明の光がクロスフェードするのも印象的なシークエンスである。 

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 この映画を観終わったときに、ふとアピチャッポンが2007年に製作した短編映画『エメラルド』を思い出した。廃ホテルの客室を映したそのドキュメンタリーでは、ぼろぼろになったベッドの上に、そこで眠るかつての宿泊客の顔がぼんやりと浮かび上がるのである。常に何かが画面の中で動いているのが理想的な映画の姿であるが、それを踏まえると、「眠り」という行為は著しく動きが乏しい、映画らしさとは対照的な行為である。それでも、それを敢えて映し出すということは、「眠り」という最も人間らしい要素を肯定すると同時に、我々のヒューマニズムを肯定してくれているということではないだろうか。

■久保田和馬
映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。Twitter

■公開情報
『光りの墓』
3月26日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
製作・脚本・監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー、バンロップ・ロームノーイ、ジャリンパッタラー・ルアンラム
英語題:CEMETERY OF SPLENDOUR
配給・宣伝:ムヴィオラ
宣伝協力:boid
2015年/タイ、イギリス、フランス、ドイツ、マレーシア/122分/5.1surround/DCP
(c)Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)
公式サイト:www.moviola.jp/api/haka

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