魔法少女のステッキが導くノワールーージャポニズムに彩られた『マジカル・ガール』の美学
省略の美学。そして黒蜥蜴。
この魅惑的な語り口を可能とした要因には、カルロス・ベルムトによる省略の美学が挙げられよう。イラストレーター、そして漫画家でもある異色の映像作家は、冒頭の「手と手」の会話に象徴されるように、重要な場面で必要な情報を躊躇なく削ぎ落としてシンプル化、あるいは象徴的な絵図で代弁させる。
ヒゲモジャのベルムト監督は、魔法少女のステッキをひと振り、ふた振りしながら、登場人物たちの感情表現さえも削ぎ落としていく。表情からも恐れや怯え、喜び、痛み、悲しみ、絶望はほとんど読み取れない。それどころか、感情移入に不可欠な登場人物のバックグラウンドや、そこで実際に何が起こったのかの具体性すらも大胆に省略する。
たとえば、「悪魔のような女」と呼ばれるバルバラ。彼女は中盤、黒蜥蜴の紋章があしらわれた部屋と対峙することになる。ここに入室して耐え抜けば一度に大金を掴むことができる。しかし具体的な描写の一切は切り落とされるのだ。
この「黒蜥蜴」だが、ベルムト監督によるとやはり江戸川乱歩へのオマージュとして引用した模様。さらにエンディングでは美輪明宏の作詞作曲した「黒蜥蜴の唄」のカバー曲が深い海に沈むような余韻を漂わせてやまない。ベルムトの傾倒ぶりはかなりのものと言える。
思い返すと、乱歩の「黒蜥蜴」では、タイトルロールの女盗賊が御開帳するアジトに、人間たちの剥製がずらりと陳列されていた。この『マジカル・ガール』がそれと同じとは言わないが、本作では部屋の一切をブラックボックス化して「黒蜥蜴」の紋章のみにて象徴させる。いつしかこのマークが映るたびに、パブロフの犬のように勝手に想像力を起動し始める我ら。バルバラの額から流れる血や傷痕もまた、どこか蜥蜴を思わせる流麗な湾曲を宿しながら、その顔面を這う。彼女自身も心の内側にブラックボックスを抱えた一人であるといわんばかりに。
かくして語るべき場所において必要な情報を欠損させることで、それがかえって独特の呼吸を生む。こうやって生まれる語り口がストーリーを力強く際立たせ、なおかつ観客に委ねられた想像力も追い風となって、『マジカル・ガール』の抗いがたい陶酔を深めていくのである。
繰り返される「手と手」
最終的に本作は、すべての要素がブーメランのように旋回しながら元の場所に戻っていく。「願い」は「願った者」へと返球され、「脅し」もまた「脅した者」へと返却される。冒頭にて交わされた「手と手」もまた、契約の履行を証するかのようなタイミングでもう一度リフレイン。それらの場面では手のひらにあるはずのものが、忽然と消えている。ある意味、「ある」と「ない」という概念を等価で結ぶフィクションの構造を示しているかのよう。そして何よりもこうして完成されるストーリーの軌跡は、さながら幾何学模様のように精緻かつ流麗で美しい。
これが長編第二作となったカルロス・ベルムト。今しがた、ふとYouTubeをチェックすると彼の短編作”Maquetas”と”Michirones”が見つかった。いずれもたった数分のうちに彼独特の陶酔をしっかりと忍ばせ、言葉がわからなくても十分に楽しむことができる。
奇しくもスペイン経済危機の中で頭角を現したその才能はホンモノだ。彼にしか持ち得ない魔法のステッキで、これから一体どんな世界を描き出してくれるのか。我々は期待と賞賛を込めてすっと手を出し、次なる手が呼応するのを楽しみに待ちたい。多分、次作はもっとすごいことになる。
■牛津厚信
映画ライター。明治大学政治経済学部を卒業後、某映画放送専門局の勤務を経てフリーランスに転身。現在、「映画.com」、「EYESCREAM」、「パーフェクトムービーガイド」など、さまざまな媒体で映画レビュー執筆やインタビュー記事を手掛ける。また、劇場用パンフレットへの寄稿も行っている。Twitter
■公開情報
『マジカル・ガール』
3月12日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー
監督:カルロス・ベルムト
出演:ホセ・サクリスタン、バルバラ・レニー、ルイス・ベルメホ、ルシア・ポジャン
2014年/スペイン/カラー/127分/シネスコ
配給:ビターズ・エンド
Una produccion de Aqui y Alli Films, Espana. Todos los derechos reservados(c)
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/magicalgirl/