アカデミー賞とラジー賞、それぞれの意義とは? 映画業界における役割を解説

 そもそも、ラジー賞を受賞するのは、最低映画とはいえ、映画としてはまだマシな部類である事を忘れてはならない。本当に酷い映画(例えばウーヴェ・ボル監督作品)はラジー賞すら素通りされるのだから。大抵、莫大な製作費のかかった内容の薄い超大作を手がけるマイケル・ベイや、ラジー賞の常連俳優アダム・サンドラーやスタローン、そして出演作品だけではなくプライベートでも問題があった俳優(例えばデニス・ロッドマン、パリス・ヒルトン、そしてリンジー・ローハンだ)に与えれることが多い。

 また『バトルフィールド・アース』(00)が描いたL・ロン・ハバードによるサイエントロジーのトンデモない教義や、昨年の覇者カーク・キャメロン主演の『Saving Christmas』(14)のような押しつけがましい宗教観が総スカンを喰らうこともある。受賞者がトロフィーを受け取りに来ることはまれだが、中には憂悶果敢に会場に現れる猛者もいる。中でもハル・ベリーは『キャット・ウーマン』(04)で主演女優賞を受け取りに来た際、『チョコレート』(01)でオスカーを獲得した際のスピーチを引用して見事にセルフ・パロディに昇華させ、サンドラ・ブロックに至っては『ウルトラI LOVE YOU!』(09)と『しあわせの隠れ場所』(09)で同じ年に本家アカデミー賞とラジー賞の主演女優をダブル受賞、また脚本家にも同じ年にオスカーとラジーのダブル受賞を成し遂げた人物もいる。ケビン・コスナー監督作『ポストマン』(97)と『LAコンフィデンシャル』(97)を書いたブライアン・ヘルゲランドがその人だ。

 この賞をジョークと受け止められるかどうかが俳優としての器の大きさの見せどころであるが、アダム・サンドラーは、2012年に『ジャックとジル』(11)で史上初のラジー賞全部門を制覇したが、いまだに授賞式には現れたことがない。そもそもラジーを獲っても獲らなくても、興行的な価値に変化が無いからだ。凄まじい製作費をかけて、凄まじいバカ映画を作る(いわずもがな製作費100億円の超大作『リトル・ニッキー』(00)の事だ)。それがサンドラーの魅力でもあるのだから。

 アカデミー賞とラジー賞、いずれもその年に最高の仕事/最低の仕事を観客に披露したスタッフ・キャストに贈られる賞であることに違いはないが、一見不名誉に見えるラジー賞も、オスカーでピリピリした空気が漂うハリウッドの映画業界に対する一種のガス抜き効果を狙ったカンフル材として、重要な存在になっていることを忘れてはいけない。ビッグバジェットなのにくだらない映画に対して、大手を振って言いにくかったことを言わせてくれるのもラジー賞の優しさだ。そもそも本気で怒っていたら、訴訟社会のアメリカで30年も存続できる筈がないのだから。
 
 果たして今年度はどの作品がアカデミー賞、そしてラジー賞に輝くのか? その結果がでるのはもうじきだ。

■鶴巻忠弘
映画ライター 1969年生まれ。ノストラダムスの大予言を信じて1999年からフリーのライターとして活動開始。予言が外れた今も活動中。『2001年宇宙の旅』をテアトル東京のシネラマで観た事と、『ワイルドバンチ』70mm版をLAのシネラマドームで観た事を心の糧にしている残念な中年(苦笑)。

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