ジョニー・デップはなぜ醜悪な犯罪者を演じる必要があったのか?
30年間にわたり特定の犯罪組織と裏でつながって協力し合っていたという、アメリカ連邦捜査局(FBI)史上最大の不祥事。実際に起きたその内幕を映画化したのが、本作『ブラック・スキャンダル』だ。主演のジョニー・デップが演じるのは、イタリアン・マフィアなど競合する勢力の情報をFBIに「告げ口」することでライバルを退け、裏社会での地位を高め非合法ビジネスを拡大した犯罪王、ジェームズ・バルジャー(通称:ホワイティ)である。
この男、とにかくおそろしい。はじめは、チンピラに毛が生えた程度の情報屋として、FBIからも甘く見られていたが、次第にFBI内部の弱みを握り、担当捜査官やその家族を脅し、私利私欲のために彼らを意のままに動かすようになっていくのだ。少しでも反抗的な人間は、敵・身内関係なく次々に殺し、自己保身のためには、女性でも容赦なく残忍な方法で殺害していく。その矮小的な部分も含め、まさに純粋悪。現代の鬼である。
本作『ブラック・スキャンダル』は、このホワイティを演じるジョニー・デップの鬼気迫る演技が話題だ。『ブロウ』や『パブリック・エネミーズ』などで、実際の犯罪者を演じてきたジョニー・デップだが、その中でも今回の凶悪さは比較にならず、ホワイティ本人に似せた禿げ上がった頭と、黒ずんだ歯をテラテラと光らせながら不気味に笑う姿には、彼のファンでも顔をしかめてしまいそうなほど、人間味を感じさせない醜悪さがある。今回は、ハリウッドのトップ俳優として人気を極めたジョニー・デップが何故この役を演じたのか、その理由を探っていきたい。
ジョニー・デップ、トム・クルーズ、ブラッド・ピット、キアヌ・リーヴス。かつて青春映画で人気を集めた同世代のスター俳優である彼らも、すでに50代を迎えている。彼らが中年を乗り切った後の映画俳優としての課題は、名優アンソニー・ホプキンスやジャック・ニコルソンに代表されるような、圧倒的存在感と、純粋な演技力への評価を手にすることであろう。そのために彼らは絶えず、演技派俳優としての道を模索し、美形スターからの脱皮を目指してきた。キアヌ・リーヴスが浮浪者と間違えられる格好で歩き、ブラッド・ピットが映画の中でむさ苦しい姿を好んで見せているのも、そのような意識の表れであるように感じられる。だが、そういった方向性に相反するように、ファンはやはり彼らの美しい姿を求める。美形スターであることが、彼らの武器でもあり、足かせにもなっているのである。
典型的な美形スターからの転身をうまく成し遂げたのが、40代で悪役としての地位を確立したジョン・トラヴォルタや、容姿を含めてどんどんジャック・ニコルソンに近づいているように思われる、近年のレオナルド・ディカプリオである。彼らが旧来のイメージを棄て去っているように感じるのは、スター俳優としてもともと持っていた透明感、「イノセンス」を、印象に残る俗悪的な人物を演じることで、泥を塗るように、意図的に汚し続けてきた成果でもあるだろう。その意味で、今回のジョニー・デップにとってのホワイティ役は、彼のキャリアにとって必然的な挑戦であるといえるだろう。
それ以前にも、ジョニー・デップは分かりやすいヒーロー的役柄を避け、より影があり、よりエキセントリック(風変わり)な役を志向し続けてきた。代表的なところは、ティム・バートン監督とのコンビ作で演じられる、ゴシックホラー風の扮装であろう。奇矯なメイクとコスチュームを使用したトリックスター的な役柄は、美しさとグロテスクさを危ういバランスで保ち、その確立が、今まで彼を美形スターの中心から数歩ずらすことに貢献してきたといえる。
じつは、今回のホワイティ役でのグロテスクな表情も、ジョニー・デップの頭に合うように丁寧に造形された特殊な「禿げかつら」や、冷酷さを感じさせる「ブルーのコンタクトレンズ」など周到な特殊メイクを施した、「成果」なのである。つまり、ここでのジョニー・デップも、部分的にはコスチューム的な従来の演技を下敷きにしているといえよう。『ダーク・シャドウ』で吸血鬼を演じたデップによる、本作のホワイティの、血に飢えた眼光と、非人間的な佇まい、そしてまさに「生き血をすする」モンスターのような演技は、F・W・ムルナウ監督のホラー映画の金字塔である『吸血鬼ノスフェラトゥ』を模しているようにも感じられる。
しかし、本作でそこまでして背筋を凍らせるような役柄を演じながらも、その中に彼の人間的「優しさ」が、どうしても感じられてしまうことも事実だ。メイクやコスチュームの下から垣間見せる、消したくとも完全に消え去ることのない「イノセンス」との闘い。だが、その隠蔽に必死さが加われば加わるほど、この相克が生み出す演技の危うさは、同時にある種の色気を立ち上がらせもする。そのセクシーさが、現在のジョニー・デップが、これまでのキャリアから必然的に備えた、最大の魅力だといえるのではないだろうか。