映画の“高所恐怖”表現はどう進化したか? 『ロイドの要心無用』から『ザ・ウォーク』への系譜

 1974年、ニューヨークに完成して間もないワールドトレードセンターに忍び込み、このツインタワーの屋上の間に張ったワイヤーの上を、「綱渡り」で横断するという無謀な挑戦をしたのが、実在する大道芸人フィリップ・プティだ。『ザ・ウォーク』は、彼の命がけの綱渡りの顛末を描く、実話を基にしたスリリングな映画である。

 この作品、高層ビルの間を渡る高所表現のこわさに、「足がすくんだ」、「手から変な汗が大量に出た」などと語る観客が非常に多いのが面白い。「手に汗握る」と言われるように、人間の体は極度の緊張状態にさらされると、手のひらから発汗が見られるが、近年のハリウッド映画のスペクタクル表現に慣れきった現代の観客が、一様にこのような状態に陥ったという事実には、素直に「すごい」と言わざるを得ない。さらに劇中の、ある物が落下してくる箇所では、私も恥ずかしながら、思わず条件反射で座席から大きく体を避けてしまった。それはあたかも、映画の黎明期に、駅に到着する列車を撮っただけの作品、『ラ・シオタ駅への列車の到着』で、列車にぶつかると思って観客たちが逃げ出そうとしたという真贋不明の伝説を想起させるほどの「原初的映画体験」だと感じさせた、と言っても大げさではないだろう。

 『ザ・ウォーク』は、このような、体調に影響を及ぼすほどの「高所表現」や「体感性」を、見事にひとつの作品として結実させた傑作である。ここでは、本作のすごさの背景について迫っていきたいと思う。

映画の「原初的体験」に立ち戻った、映像の力強さ

『ザ・ウォーク』場面写真

 サスペンスやアクション映画では、スリルを高めるためによく「高所恐怖表現」が使われる。例えば、『ザ・ウォーク』ではジョゼフ・ゴードン=レヴィット演じる主役が、自由の女神の持つ「たいまつ」の部分の展望台で自らについて語るが、ヒッチコック監督の『逃走迷路』は、まさにその場所で派手なアクションが展開され、ハリウッド娯楽活劇に大きな影響を与えている。『アイガー・サンクション』をはじめとする山岳を舞台にしたアクションや、「ミッキーの大時計」や『やぶにらみの暴君』などアニメーションでも、高所での緊迫したシーンが効果的に使われてきている。

 それらの代表作として真っ先に思い浮かぶのは、アメリカ映画『ロイドの要心無用』だ。純朴な青年が行きがかり上、高いビルを素手で登らなくてはならなくなるというストーリーのコメディーである。体を張ったスタントで人気を博すコメディアン、ハロルド・ロイドが、実際にビルを登りながら、何度も様々な理由で落ちそうになる様子をユーモラスに演じた危険過ぎるスタントは、観客を笑わせ、かつ震え上がらせた。実際に見てもらえば分かるが、この作品は、現代の多くの映画におけるスリラー表現を軽く凌駕しているのは間違いなく、やはり、手のひらをじっとりとさせるのである。

 『ロイドの要心無用』の偉大さは、多くのパロディー描写が存在することでも確認できる。「ビル登り」や「ロープによる振り子アクション」は、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』でのトム・クルーズのスタントによって、「大時計の針にぶら下がる」というネタは、香港映画『プロジェクトA』のジャッキー・チェンのスタントによって再現され、マーティン・スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』でも引用されている。忘れてはならないのが、本作『ザ・ウォーク』の監督、ロバート・ゼメキスの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』での、「ドクが大時計にぶら下がる」パロディーである。そんなゼメキス監督が、本作『ザ・ウォーク』に、『ロイドの要心無用』を重ねることは必然だろう。

 『ザ・ウォーク』は、「高所恐怖表現」に特化しているという意味でも、今までに挙げた作品以上に、より『ロイドの要心無用』そのものの意味合いに近く、「原初的映画体験」に立ち戻ることを志向していることが分かる。映像で「あっ!」と言わせるという、映画の原点である「見世物小屋」風の面白さで勝負するのである。ゆえにその映像は、誰もが楽しめるシンプルな「強度」を獲得しているといえるだろう。しかしゼメキス監督は、あくまで現代の映画作家である。役者の危険なスタントに頼るような演出法をとることはない。

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