宮台真司『ドローン・オブ・ウォー』評:テクノロジー使用がもたらす人倫破壊に対する、強力なる人倫の擁護

宮台真司『ドローン・オブ・ウォー』評

不完全な社会で技術が果たす機能

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『ドローン・オブ・ウォー』より

 『ドローン・オブ・ウォー』も同じモチーフです。実話に基づく本作では、イーサン・ホーク演じるF16戦闘機の英雄的なパイロットが、優秀さゆえにドローンによる遠隔操縦攻撃エリートとして、ドローンを操縦させられます。戦地から遠く離れたラスベガス近くの砂漠のハイテク機器が装備されたトレーラーハウスからの攻撃。ゲーセンのシューティングゲームで心が痛まないのに似て、テクノロジーが僕らから共感可能性を奪います。概念言語が共感可能性を奪うのに似ます。共感可能性が奪われると戦争は暴走します。

 やがて主人公のパイロットは遠隔操縦攻撃を「卑怯」だと思い始めます。「自分が決して脅かされない場所から、相手に致命的打撃を与える攻撃を計画・組織・実行するのは、絶対に間違っている」と。国民国家規模の敵味方図式が、概念言語が可能にした新たな事態であるように、自らが絶対に脅かされない場所からのゲーセン的な攻撃も、テクノロジーが可能にした新たな事態。これらの新たな事態ゆえに、不完全な社会を生きる僕たちは、概念言語とテクノロジーが開く数多の可能性から最も悪いものを選びがちなのです。

 テクノロジーそれ自体が良いか悪いかを話しているのではない。それは横に置いて、不完全な社会で不完全な人間たちが用いるテクノロジーが果たす機能が、畢竟、反人倫的なものになりがちなのだという話をしているのです。そう。もはやお気づきのように、不完全な社会で不完全な人間たちが用いるテクノロジーによって引き起こされるデタラメな人倫破壊に対して、人倫を擁護する強力なスタンスを示す点において、『ドローン・オブ・ウォー』は『ガタカ』と瓜二つなのですね。

 両方の映画は、女性が「導きの糸」を与えてくれるというロマンを描く点も共通します。通念に媚びた娯楽性として機能する面もあるけど、ニコル監督が持つジェンダー観が背景にあるでしょう。つまり、概念言語を頼ったりテクノロジーを頼ったりすることで反人倫的なことが起こっているという事態への違和感を、男よりも女の方が敏感に感じているはずだという了解です。概念言語(象徴的なもの)ならぬ、言語以前的情動(想像的なもの)への敏感さ。確かさならぬ、エロスへの敏感さ。

言語の考察を経た言語以前の考察

 原田監督『日本のいちばん長い日』とニコル監督『ドローン・オブ・ウォー』という一見似つかない映画に共通して、概念言語と言語以前的情動──象徴界と想像界──の対比が見られました。先に述べたけど、維新以降の日本思想は、絶対神に吊り下げられたロゴスを信頼する垂直的欧米に対し、絶対神の不在ゆえに相互の情動的戯れを重視する水平的日本を賞揚してきました。ところが今、『いちばん長い日』と同じく『ドローン・オブ・ウォー』も、と申し上げた通り、欧米の哲学や思想も言語以前的情動に強い関心を寄せます。

 背後要因が二つあります。第一は、グローバル化がもたらす中間層分解(格差化)が、感情の劣化による民主政治の危機を深刻化させていること。第二は、計算機科学の発展が[計算→言語処理→感情処理]という具合に手順化し易いものからし難いものへとシフトした結果、最後の難関として感情処理が浮上していること。感情処理は、計算や言語処理と違って、「ヒトの感情が現にどう働いているのか」を或る時代・或る地域において観察しなければならず、それには膨大なビッグデータ処理が必要ですが、それが可能になったのです。

 維新以降の日本思想は、いったん欧米的なロゴス(概念言語)中心主義を経由した視線で、情動中心主義的な日本を観察しました。昨今の欧米思想も、いったん欧米的なロゴス中心主義を経由した視線で、言語以前的情動を観察するようになっています。その意味で、アメリカで映画を長期間学んだ経験がある原田眞人監督は、いわばアメリカを経由した視線で日本を観察しておられるので、日本社会の言語ゲームに属する内的視座とは別に、外的視座を同時に駆使できるアドバンテージがあるように思います。

 その意味で、日本という場所は言語以前的情動を観察するのに好都合です。今年7月に亡くなった哲学者・鶴見俊輔氏は、16歳でハーバード大学に飛び級入学、死ぬほど勉強して捕虜収容所で卒論を書き、19歳で卒業します。彼は開戦に際し米当局から身の振り方を問われ、「当然、日本に帰る」と答えます。思えば『硫黄島からの手紙』の主人公・栗林忠道中将も留学組。共に留学して日本を外から観察、そこで行われる言語ゲームの馬鹿馬鹿しさと愛らしさを心に刻んだ。だからこそ敢えてアメリカでなく日本のために戦おうとした。

 日本を擁護したいなら徹底的に欧米を理解してからにせよと鼓舞したのは岡倉天心。こういう戦略を「攘夷のための開国」と言います。栗林中将も鶴見俊輔氏も原田眞人監督も欧米近代を我が物とした地点から日本を擁護します。その意味で欧米を徹底理解してから日本を擁護せよという天心の規準を、3氏はクリアしています。欧米近代を我が物としつつ日本を擁護する。迷いがないはずがあり得ない。鶴見氏の言い方だと「ここで帰国して日本のために戦わないのは許されぬ」という倫理観なくしては、日本の擁護はあり得ません。

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