「台湾有事は簡単に起こらない」元防衛研究所研究員が警鐘ーー台湾侵攻説をめぐる誤解とは?

五十嵐隆幸『台湾有事 歴史・軍事・安定のメカニズム』(中公新書)

 「台湾有事はいつ起こるのか」。昨年11月の高市早苗首相による「台湾有事発言」以来、中国による台湾侵攻への危惧がより一層強まっている。中国の持続的な軍事力強化や、高市発言をきっかけとする対日制裁の強化が、高まる不安に拍車を掛ける。台湾有事の勃発が、戦後日本の平和を終焉に導いてしまうのか。

 そんな中、沸騰する世論に自制を呼びかける人物がいる。目白大学外国語学部准教授の五十嵐隆幸氏だ。五十嵐氏は2000年代半ばから20年以上に渡り、防衛省・自衛隊で台湾海峡問題や安全保障の実務や研究に従事してきた。今年7月、長年の実務経験を踏まえて研究の成果をまとめた『台湾有事』(中公新書)を出版し、昨今の中台をめぐる拙速な議論の危険性を訴えている。「『台湾有事は起こる』という思い込みから距離を取ってほしい」と訴える五十嵐氏に、台湾侵攻説が広がった背景と、台湾海峡情勢を読み解くうえで必要な視点を聞いた。

根拠に乏しい「2027年侵攻説」

五十嵐隆幸氏

――五十嵐さんは防衛省・自衛隊に36年間勤務し、防衛研究所をはじめ複数の機関で台湾海峡をめぐる政治や安全保障を研究されてきました。

五十嵐隆幸(以下、五十嵐):はい、今年3月に防衛省を退職し、現在は目白大学で中国の歴史について教育するかたわら、中台関係の研究に従事しています。『台湾有事』(以下、本書)は、防衛省の研究機関である防衛研究所の在籍中に初稿を書き上げました。20年以上に渡る中台関係の研究成果に加え、自衛官として実務に携わってきた経験から、中台関係の安定のメカニズムを検証したのが本書です。

――本書では、中国が人民解放軍の創設100周年である2027年に台湾への武力侵攻に踏み切るという「2027年侵攻説」を強く批判されています。

五十嵐:自衛官としての実務経験も踏まえて、あえて断言するならば、台湾有事は起きません。もちろん物事に「絶対」は存在しませんが、少なくとも直近に迫っていませんし、台湾海峡の情勢も巷間で囁かれるほどには緊迫していません。

 2027年侵攻説は、2021年3月に当時の米インド太平洋軍司令官であったフィリップ・デービッドソンが「今後6年以内に中国が台湾を侵攻する可能性がある」と述べたことに端を発します。デービッドソン発言に多くの識者やメディアが反応し、2027年侵攻説が実しやかに流布されました。しかし、2026年3月、米国家情報長官室は、年次報告書において中国による2027年までの台湾侵攻計画を否定する見解を示しました。2027年侵攻説の発信源となった米国で、政府機関が既に否定的な見解を示しているにもかかわらず、現在も日本国内では2027年侵攻説が喧伝され続けています。

――2027年侵攻説は、メディアによって危機が過剰に煽られた面があると。

五十嵐:メディアはキャッチーなフレーズを好む傾向がありますから、ニュースの見出しに踊らされて思考停止するのは危険です。私が目にする限りでも、中国や台湾に関する報道には、首をかしげるものが少なくありません。

 例えば、2022年に台湾が兵役の期間を4ヶ月から1年間に「延長」したと各種メディアが報じたことがありました。しかし、実際には、兵役法上の兵役義務はもともと1年間であり、その代替措置として運用されていた4ヶ月の軍事訓練制度が「廃止」され、本来の1年間の兵役義務に戻されたのであって、兵役期間が4ヶ月から1年間に「延長」されたわけではありません。事実、日本の某テレビ局が台湾の頼清徳総統に独占インタビューして、この件について尋ねた際にも、頼総統は「延長ではない」ときっぱりと否定していました。こうしたメディアの誤解や曲解が積み重なって、台湾有事への危機感が煽られている面は否めません。

「安全保障中心主義」の危険性

――中台関係を慎重に検討する姿勢は、本書に色濃く表れています。特に印象的だったのが、本書の1/3以上が台湾の近代史の解説に割かれていることです。侵攻のシナリオや中台の戦力分析よりも歴史に重きを置いた構成になっています。

五十嵐:昨今、巷にあふれる「安全保障中心主義」的な言説に警鐘を鳴らしたいと思いました。日本国内で台湾有事への関心が高まる大きな契機となったのが、2012年の日本政府による尖閣諸島国有化でした。それ以降、安全保障を入口に台湾を理解する議論が急増し、「専門家」と称される識者の中にも、中台関係を軍事・安全保障の問題として過度に単純化して捉える傾向が見られます。

 しかし、長年台湾海峡に注目してきた研究者からすれば、台湾有事は中台関係の一部に過ぎません。中台間には、政治的、経済的、文化的な問題が数多く横たわっており、それらが複雑に絡み合って台湾海峡の安定が維持されてきました。元幹部自衛官だからこそ強く訴えますが、安全保障を中心に中台関係を語るのは、その他の複雑な問題を切り捨て、争点を単純化してしまうため、極めて危険な態度です。

――だからこそ、本書で台湾の近代史を丁寧に紐解いたわけですね。

五十嵐:はい。19世紀の清朝末期から台湾の歴史を振り返らなければ、現在の中台の対立が単なる領土紛争に見えてしまいます。だから、安全保障の議論が先行するのでしょう。しかし、実際には、中台関係は内戦の延長上にあります。1927年に勃発した中国国民党と中国共産党による「国共内戦」が、現在も継続しているのですから。この関係を正確に捉えるには、安全保障の枠組みを超えた、19世紀から20世紀にかけての東アジアの歴史を知らなくてはいけません。

 そもそも、安全保障は自動車の運転でいう「保険」です。自動車を運転する際には必ず自賠責保険に加入し、多くの人は任意保険で補償を増やします。しかし、事故を起こさないために必要なのは、保険の掛け金を積み上げることではなく、脇見運転や居眠り運転をしないことです。それと同様に、国の平和や安定の維持のためには、外交、経済、文化など、他に重要な論点がいくつもあります。あくまで、安全保障は非常時の備えであり、中心に据えるべき論点ではありません。

アメリカは無条件に「台湾の味方」ではない

――たしかに、本書を読むと、台湾海峡の安定がいかに微妙なバランスで維持されてきたのか分かります。そのバランスを保ってきた一角がアメリカです。

五十嵐:アメリカの台湾海峡への介入が始まるのが、1950年の朝鮮戦争の勃発です。当初、アメリカは台湾海峡での中台の衝突が第三次世界大戦に拡大することを懸念して、台湾への軍事援助などを開始しました。その後、冷戦が本格化すると、日本や韓国などの同盟国から信頼を獲得し、かつ世界に向けて自由と民主主義の正当性を訴えるためのショーケースとして、台湾を位置付けるようになりました。アメリカの台湾への関与が、西側諸国の結束や協調を促す効果を持っていたわけです。

 ただし、アメリカが無条件で台湾の「味方」をしてきたわけでもありません。その象徴が、いわゆる「戦略的曖昧さ」政策です。アメリカは1979年の中国との国交樹立を機に、台湾との国交を断絶しました。しかし、同年に台湾海峡の安定に関与する権利などを盛り込んだ「台湾関係法」を制定して、現在まで武器供与などの軍事支援を継続してきました。台湾を国家として承認しておらず、台湾防衛を約束もしていないが、現状維持のための介入は続ける。この曖昧な態度が、台湾海峡の情勢の緊迫化を抑止してきました。

――一般的には、アメリカは「台湾側」だと理解されがちですね。

五十嵐:確かにアメリカは「民主主義の盟主」として、民主化した台湾を簡単には見捨てることができません。ただ、それだけではこの問題の複雑さを説明できません。事実、アメリカは台湾と「断交」しているのですから。アメリカの戦略的な目的は、中台関係の現状維持です。一方的に台湾を支持しているわけではありません。昨今、アメリカが台湾への武器供与を強化していますが、その狙いは軍拡を続ける中国との軍事バランスを維持することです。中国の軍備が増強されているのだから、その分だけ、台湾の軍備も強化しなければ戦力の均衡が保てなくなります。それにもかかわらず、日本のメディアはアメリカの武器供与を「台湾を支持する姿勢を強めた」といった切り口で報じることが少なくありません。

――アメリカの「戦略的曖昧さ」は第二次トランプ政権でも維持されているのでしょうか。

五十嵐:トランプ氏は不規則発言が多いので惑わされがちですが、少なくとも政策上は台湾海峡の現状維持を志向しています。今年5月の米中首脳会談でも、台湾については積極的な発言を避けています。昨今のメディア環境では、どうしても政治指導者の発言に一喜一憂してしまいますが、外交や安全保障の本質が現れているのは政策です。政治指導者が「何を言ったか」よりも「何をしたか」を冷静に観察しなくてはいけません。

中国の方針はあくまで「平和統一」

――本書は中国による軍事侵攻にも懐疑的です。あくまで中国の主軸とするのは「平和統一」であると。

五十嵐:ここでの平和統一とは、軍事力を用いない融和政策による統一ではなく、最終的な手段として軍事力を担保しつつも平和的な統一を目指すことを指します。その意味では、必ずしも中国による軍事力の行使の可能性を否定できるわけではありません。しかし、一方で、1979年に鄧小平が宣言した平和統一路線が堅持され続けているのも事実です。

 本書では、台湾有事の侵攻シナリオや発生条件についても分析していますが、少なくとも現在の中国の実力や運用能力では、作戦の完遂は容易ではありません。台湾有事が「起こり得るか」という可能性と、「作戦を完遂できるか」という実行性の間には、大きな隔たりがあります。制空・制海の維持、兵站の持続的確保、米軍の介入リスクなど、ハードルは決して低くありません。ならば、無傷で目的を達成できる平和統一を優先するのが自然です。

――とはいえ、中国の習近平氏は、度々、台湾統一への意欲を見せています。

五十嵐:習近平氏が、鄧小平や江沢民といった過去の指導者に比べて、台湾統一に意欲的なのは確かです。近年の中国のプロパガンダには、伝統的な宣伝工作の要素に加えて、具体的な期限や目標を盛り込んだ内容が増えているとの研究もあります。なので、習近平氏の発言は慎重に分析されなければいけません。ただし、その期限や目標を現実に達成できるかどうかは、また別の問題です。だからこそ、「侵攻か否か」といった単純な議論に流されることなく、中台関係を冷静な視点で観察し分析しなければいけないんです。

 さらに、「統一」が中国において歴史的・政治的に重要な理念であるという理解も必要だと思います。中国5000年の歴史では、分裂と統一が繰り返され、歴代の多くの指導者が統一を掲げてきました。それは裏を返せば、「中国の指導者は統一を目指さなければいけない」とも言えます。一種の宿命と言えるでしょう。習近平氏の台湾統一に関する発言にも、そうした理念的な側面があることは知っておくべきです。

独立か、統一か。台湾の民意は

――一方で、台湾の政治や民意も、日本からは理解が難しいように思います。2024年には台湾独立派である民進党の頼清徳氏が総統選に当選した一方で、二大政党の一角である国民党は2025年に親中派の鄭麗文氏を党主席に選出しました。

五十嵐:日本の報道などでは台湾の二大政党を解説する際に「独立派」や「統一派」といった区分を用いますが、いささか正確さに欠けます。例えば、民進党の頼清徳氏を「独立派」と称するのは、私には違和感があります。むしろ、その評価は中国のプロパガンダに誘導されているとすら思います。中国にとっては、頼清徳氏が強硬な独立派であるほうが好都合なのです。「分裂を煽る不安分子」などと非難しやすいですから。

 この例に限らず、二大政党のリーダーの言動だけを捉えて、現在の台湾を「独立派」と「統一派」で区分するのは極めて乱暴です。総統選の争点としても、独立や統一の優先順位は必ずしも高くありません。台湾の多くの人々が重視しているのは、暮らしや経済であって、中国との関係も「うまくやってほしい」という穏当な立場が多数派です。

 実際に、私が台湾の立法委員選の現地調査で北西部の桃園市に訪れた際にも、中央政治の争点を多く打ち出す民進党候補に対して、暮らしを重視する国民党候補が勝利していました。総統選と立法委員選や地方選では質が異なる面がありますが、独立派にせよ統一派にせよ、急進的な立場が忌避されがちなのは事実です。

「台湾有事は起こる」という思い込みから距離を取る

――ここまでのお話をまとめると、アメリカは「戦略的曖昧さ」を維持しており、中国は長期的な平和統一路線、台湾の民意は現状維持であると。たしかに、事態は緊迫していないと言えそうです。

五十嵐:中国の軍事力強化や台湾周辺での軍事演習が危機感を煽っている面がありますが、そもそも軍隊は任務の達成に向けて着々と能力を高める組織です。中国政府が台湾統一を中国人民解放軍の目標にしているのは確かですが、その目標に基づく軍事力強化と、実際に侵攻の意図があることは、必ずしも同一ではありません。むしろ、まだ任務の達成が難しいと自覚しているからこそ、軍事力強化や軍事演習を続けているとも言えます。

――しかし、ウクライナ戦争が勃発した際には「侵攻は想定外」といった声が識者からも挙がりました。本当に「台湾有事は起こらない」と考えてもよいのでしょうか。

五十嵐:ウクライナ戦争を予想できなかったのは、民間の識者の中に作戦やインテリジェンスの実務経験者がいなかったことが、要因として大きいように思います。事実、勃発の数ヶ月前からロシアはウクライナの国境付近の部隊を増強しており、侵攻の兆候は表れていました。戦争は一朝一夕で準備できません。部隊を大規模に展開しなければいけませんし、膨大な弾薬や装備品も輸送する必要があります。安全保障の実務者であれば、その間に侵攻の兆しを察知できます。そして、現在、ウクライナ戦争の勃発直前のように、中国人民解放軍が中国大陸沿岸部に大規模に部隊を展開しているかといえば、そんな事実はありません。

 ただし、「台湾有事は起こらない」と言い切れないのも確かです。どれだけ分析しようとも、予想外の出来事は起こり得ます。それでも、私が「起こらない」と口にするのは、「根拠の乏しい情報に振り回されないでほしい」という意図からです。実際に、2027年侵攻説は今も巷で一人歩きしています。台湾海峡の現実と冷静に向き合うためにも、「台湾有事は起こる」という思い込みから距離を取ってほしいのです。

――どのように煽動的な情報から距離を取ればよいでしょう。お考えをお聞かせいただけますか。

五十嵐:やはり、学ぶことだと思います。例えば、最近、私が憂慮しているのが「台湾を助けなければ」という言説です。助けたい気持ちは理解します。しかし、現在、日本と台湾には国交がなく、民間交流などを通じて関係を維持しているのが現状です。アメリカが「戦略的曖昧さ」を維持しているように、私たちも慎重な態度で台湾と接しなければいけません。それにもかかわらず、政治家などの責任ある人々までが「台湾を助けなければ」と拙速な議論に飛びついています。それでは、長年に渡って、日米中台が微妙なバランスで維持してきた台湾海峡の安定が崩壊してしまいます。この点で、昨年の高市早苗首相の「台湾有事発言」は一線を越えてしまったと言わざるを得ません。そうした罠に陥らないためにも、台湾海峡の安定のメカニズムをニュートラルな立場で学ぶ必要があります。

 そして、そのためには、中国や台湾との交流を途絶えさせないことです。近頃、日中関係の冷え込みにより、中国との対話の回路が閉ざされつつあります。対話と言っても、相互に納得し合う必要はありません。平行線の立場でも構わないので、意見交換や交流を続ける。相手の意図を「思い込み」で決めつけないことが大切なのです。そうした態度なくして、台湾海峡、ひいては東アジアの平和と安定を守ることはできないと思います。

■書誌情報
『台湾有事 歴史・軍事・安定のメカニズム』
著者:五十嵐隆幸
価格:1,320円
発売日:2026年7月23日
出版社:中央公論新社
レーベル:中公新書

関連記事