ハヤカワ・ミステリマガジンの20代編集長・井戸本幹也が目指す、ミステリ総合誌としてのあるべき姿
アメリカの同名ミステリ専門誌の日本版として1956年に早川書房から創刊された『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』は、本国との特約関係の解消に伴い、1966年1月号より「ハヤカワ・ミステリマガジン」と改称して刊行を継続。今年で創刊70周年を迎えた。まだ20代の井戸本幹也編集長は、昨年からこの老舗雑誌の舵取り役を任されている。彼はどのようにミステリと出会い、同誌をどの方向に進めようとしているのか。
ゲームの充電器を忘れた夏休みが始まりだった
――出版界に入る前は、どんな本を読んでいましたか。
井戸本幹也(以下、井戸本):僕は1997年生まれですけど、家が全員本好きでした。父親と母親、あと弟が1人いて、本棚が1人に2つずつあった。しかも父親は歴史小説、母親はエッセイ、弟はライトノベル、僕はミステリが好きで、好きなジャンルがかぶらない。あんなに本があったのに貸し借りはしない珍しい家でした。ゲームを買うことは親に渋られましたけど、本だけは欲しいといえばすぐ買ってもらえた。僕くらいの世代はみんなそうでしょうけど、マンガの『名探偵コナン』を読んで、ミステリって面白いなと思いました。小学3年生くらいの夏休みには、京都のおばあちゃんのところへ遊びに行って、ゲームの充電器を忘れてやることがなくなったから、その家にあった『シャーロック・ホームズ大全』をパラパラ読み始めた。鮎川信夫訳の2段組のデカい本ですけど、おばあちゃんはそれで押し花をしていたんです(笑)。初めて触れたミステリ小説でした。そこからハマって、新本格ミステリを手にとる一方、アガサ・クリスティーやエラリー・クイーンなど古典も読んだりして、高校に入りました。
――その頃から早川書房の本に親しんでいたんですか。
井戸本:早川書房の本を読み始めたのは、高校生になってからだったかな。それまでは、国内ミステリ中心の読書だったので、講談社、光文社、角川書店などがメインでした。
――大学では推理小説研究会、いわゆるミス研に入ったんですよね。
井戸本:ミス研がある大学しか受験しなくて、成城大学に入りました。中高は孤独なミステリ読書時代だったので、ミステリ好きが多くいるサークルに入れて嬉しかったです。僕の代は硬派な人が多くて、国内を古くから新しいところまで網羅する人や、海外はなんでも読みますみたいな人がいた。ミス蓮(全日本大学ミステリ連合)に入って、OBも参加する会合へいったら、すぐ横にすごくミステリに詳しい人がいた。それがミステリ評論家の千街晶之さんで、ほかにも若林踏さん、杉江松恋さんなどから薫陶を受けました。また、大学のOBには後の2024年に松本清張賞を受賞する井上先斗さんがいて、井上先輩と、その友人で光文社のカッパ・ツーで2017年にデビューする阿津川辰海さん、そして僕の3人でよく遊んでいました。
ミス連のような場ではみんな新刊の話をしたいわけだし、僕も古いものばかりでなく新刊を読むようになりましたけど、海外の方が当たりが多いと感じたんです。海外作品はある程度フィルターを通してから翻訳されているわけですから。『このミステリーがすごい!』のランキングには大学のミス研も投票していますが、僕は成城大ミス研の海外係になってたくさんの作品を読みました。その時、早川書房の本に親しんだ感じですね。
――就職活動ではミステリ部門がある出版社を受けたんですか。
井戸本:そうですね。大手の総合出版社も受けて「好きでやりたいことはなんですか」と聞かれたので「翻訳ミステリです」と答えたら「うちはそういうのはやっていられないから」と笑われました。他にも何社か受けましたけど、飲食店でアルバイトをしていたのでそちらへ進むルートもありましたし、家電が大好きで家電量販店も受けた。飲食、家電、出版という変な三軸で就活をしました。コロナ禍だった当時は、就活にもリモートが導入される状況でなかなか内定がもらえず、最終的に入れたのが早川書房でした。
――ミステリの編集部がある出版社ですね。
井戸本:もともとは、営業志望で入ったんです。
――え、そうなんですか。
井戸本:自分は外に出るのが好きで、旅行も好きですし、仕事中にいろいろなところへいきたい。書店回りをしたい、出張して美味しいものを食べたい、古本屋も回りたいといった気持ちがあった。人と喋るのも好きだし、本をおすすめするのは得意だったので、気質としては営業だろうと自己分析していました。
――でも、ミス研時代は、部誌の編集もしていたんですよね。
井戸本:僕は代表でしたけど、代表が編集長を務めることになっていて、機械いじりが好きだったからInDesignを使ったり、PhotoshopやIllustratorで表紙を作ったりしました。うちのミス研は大学の研究機関の1つと位置づけられていたので、毎年予算が降りて、決まったページ数の機関誌を出さければいけなかった。台割を作り、部員に原稿を依頼し、載せる載せないを決め、校正して、原稿が入らなかったらバックナンバーから面白かったものを再録する。ふり返ると、今の雑誌作りと変わらないことをしていました。
営業志望から編集長への抜擢
――営業志望で入社して、なぜ編集部で働くことになったんですか。
井戸本:編集の方で人が足りなくなって、最初の配属が編集部になりました。雑誌ではなく書籍担当です。根本佳祐さんという優秀な編集者の下で翻訳ミステリの書籍編集を学びました。2021年入社なので今が6年目です。
――書籍編集で特に印象に残っている作品はなんですか。
井戸本:一番思い出深いのはクリス・ウィタカーの『われら闇より天を見る』。僕が担当したなかで成績がいいというか、本屋大賞翻訳小説部門に選ばれ、年末のミステリ・ランキングでも三冠をとりました。それ以外にも印象深いことがあったんです。編集部への配属が決まった時、コロナ禍だったのでほぼ出社できなくて「家で作業をしてください」といわれ、根本さんから渡されたのがその年のCWA賞(英国推理作家協会賞)のリストでした。「気になるものがあったら読んでレジュメを作ってください」と。それで2部門にノミネートされていたのが『われら闇より天を見る』で、読むと面白いのでレジュメを書いて、根本さんが企画書を出してくれて通ったんです。初めての原書企画でよい結果も出たので、運命的なものを感じました。書籍編集ではひたすら翻訳ものをやっていました。
――「ミステリマガジン」は入社以前から読んでいましたか。
井戸本:もちろん読んではいましたけど、自分が編集部に入るとは思っていませんでした。あまり翻訳短編は載らないけど、もっと読みたいなと遠巻きに見る感じでした。
――「ミステリマガジン」に携わるようになったのは、いつからですか。
井戸本:入社3年目の6月からですね。雑誌をやることで勉強してほしいという、上の意図があったんだと思います。まだ隔月刊だった頃で、書籍と兼任でした。ただ、仕事がめちゃくちゃ増えた感じで大変でした。最初は書籍の宣伝に使う話を雑誌に載せるという感覚が強くて、まだ外様感がありました。自分のポジションが見えていなかったですし、振られた仕事をとにかく処理するとか、本当に先輩について学ぶ状態でした。ただ、マイケル・Z・リューイン生誕80周年特集(「ミステリマガジン」2022年9月号)は嬉しかったですね。翻訳ものだったから親近感がありましたし、短編を依頼して原稿を読ませてもらいました。短編の編集は面白いという気づきがあって、この頃から短編を意識するようになって、海外の年刊アンソロジーや雑誌を読もうという風になりました。翻訳家の高山真由美さんがオンラインでやっていた海外短編の読書会に参加させてもらったのも、ありがたかったですね。
――「ミステリマガジン」では、具体的にどういうものを担当していたんですか。
井戸本:担当した特集の采配のほかに、定期コーナーですね。国内と海外で分かれているブックレビューでは、前任者から国内を引き継ぎました。「国内にも目を向けておけよ」ということだったんでしょう。ほかにSF、ノンフィクション、復刊・新訳、「CRIME FILE(ミステリ情報)」ではドラマ、DVD、演劇、アニメ、ゲーム、また僕の企画にもかかわるので洋書案内と、わりとボリュームたっぷりな感じでした。村上貴史さんの「迷宮解体新書」(日本人作家インタビュー連載)も担当しました。
――「ミステリマガジン」は2024年11月発売の2025年1月号から季刊になり、井戸本さんは2026年1月号から編集長になったわけですが、社命をどう受けとめましたか。
井戸本:前編集長の清水直樹から、「自分はそろそろ離れるかもしれない。君にやってもらうことになるだろうから、心の準備はしておいて。実質的に企画はもう任せているから、そのまま編集長になるだけだよ」といわれてはいたんです。ただ、当時は1、2年後のこととして話していたんですけど、その2カ月後、「SFマガジン」編集長だった溝口力丸が電撃退社したんです。朝、急に会議室へ呼ばれ、上から清水が「SFマガジン」編集長になることと、「ミステリマガジン」編集長の後任の件が告げられたんです。こんなに早く来るとは思っていなかったですけど、ある程度覚悟はしていましたし、「やらせてください」と返事をしました。やらないという選択肢はなかったと思います。
――若い編集長ですよね。
井戸本:27の年です。でも、歴代編集長をみると、都築道夫から26歳で引き継いだ生島治郎(小泉太郎)が一番若くて、2番目が都筑、次いで僕なんです。これは、会社を辞めたら作家になるしかないのか(笑)。
――レジェンドたちも若い編集長だったんですね。
井戸本:その点、うちの会社は、やっていることが変わらないというか。
創刊70周年とこれからの雑誌作り
――編集長になって3号目の最新号(2026年7月号)は「特集 創刊70周年記念号」で年表も載っています。あらためて雑誌の歴史をどう感じましたか。
井戸本:70年の歴史が重たいというのは、もちろんありました。これを機に生島の『浪漫疾風録』(回顧録的フィクション)を読み返したんです。あまり雑誌のことは書かれていないですけど、彼がいかに苦労して原稿をとってきたか、裏でどれだけいろいろな人が動いていたかを読んだなかでの、70周年でした。自分が生まれるはるか前、父親が生まれるよりも前からある雑誌を引き継いで記念号を出すのは、相当なプレッシャーではありました。ちょうどその編集を始めるぞという時、部下が一人退職しまして、入社2年目の部員と僕の2人で作ることになった。もうプレッシャーなんか吹っ飛んで、やるしかないとなったから、逆によかったのかもしれない。アルバイトの10年選手の方に総目録をお願いして、あとは死に物狂いでなんとかするので頑張りましょうと、作っていきました。
――歴史を振り返って、どこが転換点だったと思いますか。
井戸本:季刊になった時でしょう。多くのエンタメがあるご時世なので、3ヵ月あれば「ミステリマガジン」は忘れられるかもしれない。そうならないために毎号フレッシュな気持ちで新企画をしっかり出して、面白く読んでもらわなければいけない。それ以前だと、2010年代に翻訳ものから国内ものに話題を寄せた時期も転換点でした。ミステリというエンタメを大きくとらえて紹介していく。そういう広い視座は持たなければいけない。ただ、私は編集方針として、少しマニアックな方へ持っていこうかとも考えています。
――国内の新人作家発掘として、早川書房が主宰するアガサ・クリスティー賞についてはどう考えていますか。
井戸本:逢坂冬馬さんの受賞作『同志少女よ、敵を撃て』(2021年)がヒットしたのが大きかったですけど、その後の受賞者も強力で、例えば西式豊さんは新作『処刑館殺人事件』が出ましたけど、3作目であそこまで書けるのはすごいです。葉山博子さんの2作目『南洋標本館』も複数の賞の候補になりました。『マリアを運べ』でデビューした睦月準也さんも9月刊行予定の第2作の出来がよいので期待大です。クリスティー賞はここ数年、作家さんの平均の実力がどんどん上がっている印象があります。私は編集長になったので、今年から最終選考に加わらないといけないんですよ。
――ほかの選考委員が鴻巣友季子さん、法月綸太郎さん、杉江松恋さん。
井戸本:3人と渡りあわなければいけない。なにをいっても怒られそうで大変プレッシャーのかかる仕事ですけど、頑張らなければ。クリスティー賞でデビューした後は、「ミステリマガジン」でどんどん短編を書いてもらいたいと考えています。国内の担当者には、新人作家さんに短編を発表する場を与えてくださいといっています。
――一方、業界内でミステリの書評家が高齢化しているとよくいわれるんですが。
井戸本:それは一番の課題で、「ミステリマガジン」が育ててこなかったのも大きいと思います。今、私が担当しているブックレビュー欄では国内担当の梅原いずみさんと海外担当の荒岸来穂さんが若くて、将来のミステリ評論界を支える人になるだろうと思っています。2人とも私からお声がけしたんですが、常に新たな書き手の発掘は意識しています。だから文学フリマでミステリ評論の島へいって、本を買ったり話したりしています。今はインターネットでミステリ評論を発信している人は少なくなっているし、文学フリマには、ちゃんと文章にして、同人誌の評論集を作る本気の人が集まっている。そういう人たちをフックアップして、誌面で育てることができればと考えています。
――ウェブでの展開はいかがですか。
井戸本:社の方針なんですけど、特定の記事をウェブに転載するのはどうかと、編集長同士で話しています。見てもらえる確率が段違いなので、ウェブはやった方がいい。「ハヤカワオンライン」という公式ホームページに読みものを掲載できるので、やるならそこかなと思いつつ、noteをフォローしている人たちもいるので、今協議しているところです。小説系は権利関係もあって難しいですが、書評やガイド的なもの、資料価値の高いものなどはウェブにアップして、その読者に本誌へきてもらうようにしたいですね。
――「ミステリマガジン」最新号には、次号の特集は「シャーロック・ホームズをもどく」と予告されていますね。
井戸本:「もどく」はわかりづらいというので、特集名は「シャーロック・ホームズもどきたち」に変えました。都築道夫『名探偵もどき』からとったネーミングですけど、ホームズのパロディ特集です。ホームズその人が別世界に飛ぶような話ではなく、シュロック・ホームズ、エルロック・ショルメなど、いわばパチモノの特集をやりたいと話したら盛りあがって、やることになりました。
――今後の『ミステリマガジン』の特集は、どういう方向性を考えていますか。
井戸本:1年4号のうち、投票ランキングを載せる「ミステリが読みたい!」号は毎年必ずやりたいので、ほかの3号でどう遊ぶかを考えています。小山正さんから「確実に読んでもらえる号を作ったうえで、遊ぶ号を作りなさい」といわれたんですけど、やはり「ミステリマガジン」は、資料性の高い号が売れる。そういう号をしっかり作りつつ、ほかの号ではちょっとマニアックなこともやっていきたい。近年は、海外短編を載せられていなかったという反省があります。なにより自分が編集していて楽しいので、海外短編を多く載せて、アンソロジーのような気持ちで読んでほしい。もちろん国内も、新人作家さんから、あっと驚く大御所の新連載まで準備しています。新人からベテランまでいろいろな読みものがあって、国内海外問わず面白いものがある。ミステリ総合誌としてのあるべき姿はそれだと思っているので、とにかく小説、つまりストーリーありきで、そこからどんどん派生していく雑誌作りをしていければと思っています。
■書誌情報
『ミステリマガジン 2026年07月号』
価格:2,860円
発売日:2026年5月25日
出版社:早川書房