36歳の独身女性が“埼玉のマンション”購入で見舞われたトラブルとは? 篠田節子『埼玉マンション物語』が描く令和のリアル
「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものだが、篠田節子著『埼玉マンション物語』(光文社)の場合は少々事情が違う。本作では、埼玉県のマンションを舞台に次々と起こる事件が描かれる。実際に遭遇したら慌てそうだが、十分に起こり得るエピソードが満載のリアリティ小説だ。
36歳独身、意地で買った30年ローン
主人公は36歳の独身女性、小坂香織だ。香織は東京都練馬区の会計事務所に勤務しており、中央線快速の終着駅からバスで15分の距離にある実家で暮らしていた。同じ東京都内とはいえ、練馬まで通うには少し遠い。この家は、香織が結婚し婿を迎える時のために建てられた二世帯住宅である。しかし一昨年に両親が病に倒れ、相次いで亡くなった。残された実家は、香織が一人で住むには少々広く持てあましていた。
そんな時、築50年の団地に住む妹から「親の遺した現金を全額相続する代わりに、実家を自分に譲ってほしい」と提案された。内心複雑だったが、香織は妹の提案を受け入れる。妹はすでに結婚し、双子を含む4人の子どもと夫の6人で暮らしている。妹に実家を明け渡した香織は、親の遺産と自分の預金を頭金にして30年ローンで埼玉県の分譲マンションを購入した。ほとんど意地だけで購入した、そのマンションの名前は「ヴィラージュさやまの森」という。
コロナ禍の間もマンションでリモートワークをこなしていた香織だが、ある日を境に生活が一変する。なんと、隣に住む引きこもりの男性が自殺を図ったのだ。その後、事故物件となった隣室には清楚な美人が入居するものの、暴力団員と思われる男性が登場し……。
事故物件の次は、まさかの建物欠陥
序盤からさまざまな出来事が起こり、読者は息をつく暇もない。合間にスピンオフ的な章を挟みクールダウンしたのち、物語は最大の山場を迎える。
次々と入れ替わる隣人に辟易していた頃、理事会の順番が回ってきた。ヴィラージュさやまの森の理事会は、毎年交代する輪番制となっている。住民の信頼が厚い前理事長だけは数年間継続していたのだが、急に引退したため誰かが引き継がねばならない。総会中に修繕積立金の残高について口を挟んだことがきっかけで、香織は理事長を引き継ぐはめになった。香織が理事長に就任したとたん、マンションで起きる事件の様相が変わり、物語も熱を帯びてくる。就任後すぐに見舞われたのが、ポルノ動画撮影事件だ。
そのきっかけとなったのは、騒音と異臭のご近所トラブルだった。「隣家の読経の声と、線香の香りに迷惑している」というクレームを受け、香織と副理事長は通報者の自宅へ向かう。読経と線香については香織らが注意することで解決したのだが、通報者の女性は気になる発言を繰り返す。曰く「エレベーターにカメラや機材を担いだ人が乗ってくる」「換気扇から女性のあえぎ声が漏れ聞こえる」など。「神経過敏なうえに幻聴か」と、香織は内心毒づいていたのだが、その裏ではとんでもない問題が噴出していた。そうこうしているうちに、住民達から「ヴィラージュさやまの森でポルノ動画を撮影しているのでは?」という声があがりはじめる。さらに、住民全員が団結せざるを得ない建物の欠陥まで発覚し、目が離せない展開となっていく。
とことんカオス、でもマンション生活悪くない?
脇役のキャラクターが濃いのも本作の魅力だ。個性的な人物ばかりなのだが「いるいる、こんな人」と思ってしまう。艶っぽい清掃スタッフのタケコさんは元演歌歌手で、波乱万丈な人生を生きてきた。香織とコンビを組む副理事長の遠藤も、なかなかにクセの強い男性だ。香織がマンション内で起きるトラブルに向き合うのが物語の本筋だが、脇役にクローズアップするスピンオフ的な章もある。一人ひとりの背景が描かれ、物語に深みを出す要素となっている。
さまざまな社会問題が随所に散りばめられ、令和のリアルが描かれた小説でもある。コロナ禍やLGBTQ、闇バイトの模倣、ホームレス支援に新興宗教。あとから振り返った時に「令和とは、確かにこんな時代だった」と思えるような物語だ。
次から次に迫りくる問題を目の当たりにしてもなお「マンション購入はやめておこう」と感じさせないのが、またすごい。「こんなに濃厚な日々を過ごせるのなら、マンション生活も悪くないかも」とすら思わせる。終盤で、香織がある人物を救おうとする際の丁々発止のやり取りも痛快だ。
ラストシーンは、一服の清涼剤のようにスカッと感にあふれている。明日への活力がみなぎる「令和のマンション物語」を、ぜひご堪能あれ。
■書誌情報
『埼玉マンション物語』
著者:篠田節子
価格:1,980円
発売日:2026年7月23日
出版社:光文社