杉江松恋の新鋭作家ハンティング ずっと読んでいたくなる小説ーー野沢きみ『宝石のこえ』

 文章の一つひとつがみんな好ましく、ずっと読んでいたくなる小説。

 野沢きみ『宝石のこえ』(講談社)がそういう作品だと気付いたのは、ページをめくり始めて割とすぐのことだった。

 本作の主人公である〈私〉は、東京で一人暮らしを始める。マンション管理会社の梶井さんに部屋を案内される。梶井さんは物事の進め方が適切かつ迅速で、とても有能そうな女性である。〈私〉は「大人の女の人は、こんなに淀みなく物事を進め、そして準備をしっかりしてくるのだ」「梶井さんと三月に満開になる桜は、少し似ている」と考える。

 この文章で、おっ、と思った。比喩なのだけど、直接的ではなく、いったん口の中で転がしてから喉の奥に入れると、より味わいが増す。この梶井さんについて四ページ後に、実はパン屋さんに勤めていたのだけど早起きが向いていなくて、六年目に辞めたことがわかる。〈私〉は「こんなに大人でちゃんとしているのに」と可笑しくなる。

 この引用した僅かなくだりだけで、梶井さんがどんな人か目に浮かぶではないか。的確な言葉の選び方によって一人の人物像を創り上げてしまったのだ。くどくどとした説明など、まったく無く。この人物描写がまず、いい。

 後述するが、〈私〉〉はあるアルバイトを始める。特殊な用途のための空間なのだが、雑居ビルの中にあり、〈私〉は「もともと、歯科とか美容に関するクリニックだとか、あるいはネイルサロンのような場所だったのではないだろうか」と考える。それに続く、室内情景の描写が以下の通りだ。

——受付がある空間は、壁が緩く波打っていて、全体的に曲線的にデザインされている。椅子や机や棚もなく、花や絵画なども飾っていない。窓もないけど照明と天井、壁、床が全て真っ白なので暗さは感じない。小さな音量で、クラシック音楽が流されている。埋め込み型のスピーカーは、真っ白の天井でそこだけ黒い丸になっている。(後略)

 どうだろう。確かに「もともと、歯科とか美容に関するクリニックだとか、あるいはネイルサロンのような場所」だと感じるではないか。漫然と目に映ったことを書くのではなく、場の特徴を正確に見出しているのである。こういう文章で紡がれる小説は幸せだ。

〈私〉は、親しくなった人にるぅちゃん、と呼ばれることから、る、で始まる名前なのだと推測できるが、本人はどういう字かを明かそうとしない。終盤で、それと推測できる箇所があり、注意深く読んでいればきっと漢字までわかるはずだ。自身について語る言葉がなかなか出てこない主人公である。予備校に通うために東京に出てきて、無事に大学に入って以降の現在と、海のない県で生まれてそこで育った十代までの過去とが並行して語られる、青春小説としてはそんなに珍しくない構造の小説である。

 過去の追憶は都度開陳されるので、〈私〉がどのような幼少期を送り、学校生活ではいかに過ごしていたかを読者は知らされる。しかし彼女は、それを目の前の人に語ることができない。東京で親しくなったりょうちゃんが自分の少年時代について話すのを聞き、自分も同じことをしようとする。「今日の日付を聞かれたときのように、テスト範囲を尋ねられて教えるときのように」話そうとするのだが「口を開き、のどを震わせようとして、しかし何の音も発すること」もできない。声を出せない〈私〉の頭の中には「景色や感情や色やにおいや温度が、たくさんのシーンが、ひっきりなしに再生されている」のに。

〈私〉には幼馴染の桜井という友人がいた。彼は「自分の内側を晒すために、訓練や大きなきっかけが必要な人間」だった。〈私〉は自分もそうなのだろうと考える。この小説では声を発することが重要な意味を持っており、その中でも文章の音読は主人公の人生を変える契機となる。物語が始まってから70ページくらいのところで示されるこの、主人公が自分について声で語ることができないという場面は、何気ないが実は重要であったということがだんだんとわかってくる。声に満たされた小説だから、それを発せられないということには大きな意味があるのだ。

 本作は第20回小説現代新人賞を受賞した作者のデビュー作なのだが、本を手に取ったきっかけは帯の一文に注目したことだった。それ以外に書かれているのはごく普通の文言なのだが、本文の引用と思われる箇所、その一部に目が止まった。

 こう書かれている。「故郷が無いこと。/都会の生活を楽しむこと。/まだ見る光景に思いを馳せること。/宇宙人は、わたしがどんな人かお構いなしに、宝石をくれるだけ」

 え、宇宙人って。宇宙人が宝石をくれるって、どういうことだ。普通であれば、それは比喩ではないかと考えるだろう。宇宙人と呼ばれるほどに話のかっとんだ人がいて、その人が主人公に宝石をくれる。それなら話は簡単だ。ありえないことではない。

 どういうことか、と確かめるためにページをめくり始め、すぐにわかった。宇宙人はいる。

『宝石のこえ』は、宇宙人が突如地球に到来し、大騒ぎになった後の世界、という設定なのである。時期も正確にわかっていて、〈私〉が中学二年生のときであるという。

 どうやって地球人にそれが伝わったのかは書かれていないが、宇宙人はもともと自分たちの星で戦争を繰り返していた。言葉の違いから諍いが起きるということに気づいた彼らは統一言語を作ろうとし、結果としてテレパシーで意思疎通をする術を編み出したのである。しかしそれによって声を失ってしまった。

 この星にやって来た宇宙人がまず欲したのは、地球人の声を聞くことだった。主人公が働いている前述の場所は「宇宙人の店」と呼ばれている。宇宙人に本を読んで聞かせると、体内から一つの宝石を吐き出すのである。それを収集するための仕事だ。それに適した人員を要請するための宇宙人奨学金というものも創設された。生まれ育った場所から出たいという強い意志を持っていた〈私〉は、それに応募することで東京に出てこられたのである。

 宇宙人が地球人の声を聞いて宝石を吐き出すというのと、〈私〉が自身について声に出して語ることができないという事実は、意味として呼応している。冒頭近くに、主人公が生まれ育った町への怨嗟を述べている。それがあまりにも憎しみに満ちていて驚かされるが、そこから始まる過去についての叙述は、〈私〉が求めるものがいかに故郷では得られず、孤独であったかという表明なのだ。得られなかったのは宝石のようにきれいなものである。

〈私〉はさまざまな、きれいではないものを忌避する。もっともおそましく思うのは、他人が他人を悪くいうこと、顔を歪めて吐き出す言葉である。過去について語ろうとすれば、自分も顔を歪めざるをえない。だから〈私〉は自分について語ることができないのだ。

 どこかにあるであろう、きれいなもの。それに心を満たされる、ここではないどこか。それを求めるならば、人間は孤独にならざるをえない。地上では決して叶えられることのない願いだからだ。〈私〉の過去とは、そうしたきれいなものに暫時近づき、そして分かれてきた軌跡なのである。そのような絶望的な願望を抱えつつ生きる〈私〉だが、東京に出てきて大学に進み、大切に思える人に出会ったことで別の平穏を見つけることになる。その安定と心中に存在する狂おしい願望とはどのように折り合いをつけていくのだろうか。主人公像を理解するにつれて、その関心が頭から離れなくなり、〈私〉の考え、行く先を知りたくなってページをめくり続けることになる。大きな出来事はほとんど起きないのに読まされてしまうのは、〈私〉という人間に強い関心を抱いてしまうためである。

 もっと書きたいことがあるが、内容について予断を抱かせてしまうかもしれないので、このへんで止めておく。ある場面で、〈私〉は本を音読する代わりに宇宙人に自分の言葉で語りかける。もちろん返事があるわけではなく、一人語りである。〈私〉は言う。「昔のさ、かなし、ってことば、なんで使わなくなっちゃったんだろうね。すごく、いいことばだったのに」と。

 かなし。その一語に本書の持つすべてが凝縮されている気がする。

 かなし。身にしみていとおしい。かわいい。あるいは、死や別離に際して、泣きたくなるような気持ちだ。求める対象の不在によって感じる空虚や孤独感を表すのが原義。

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