恋愛とミステリを高いレベルで融合させた傑作 綾崎隼『愚者たちの箱舟』の深い企み
綾崎隼の『愚者たちの箱舟』(東京創元社)は、新潟県北部、本土から35キロの沖合にある過疎の島を舞台にした恋愛ミステリだ。と書くと、作者のファンは、2014年2月から3月にかけてメディアワークス文庫から書き下ろしで刊行された二部作『赤と灰色のサクリファイス』『青と無色のサクリファイス』を思い出すことだろう。それは間違いではない。本書は二部作に大幅な加筆修正を施し、改題して単行本化したものなのだ。ちなみに単行本が文庫化されたときなど、よく本の巻末に〝大幅な加筆修正〟と記されているが、文章をちょっと弄っただけのものも見かけたりする。だが本書は、正真正銘の大幅な加筆修正なのだ。興味のある人は、作者がどのような意図で物語と文章に手を入れたのか考えながら、読み比べてみることをお薦めしておく。もちろん、そんなことを気にせず、本書だけでも大いに楽しめる。よく恋愛ミステリの名手といわれる作者だが、本書は恋愛とミステリを高いレベルで融合させた、優れた作品なのである。
舞台となっている「翡翠島」は、「異人島」という異名がある。一九四五年の夏、長岡市を空襲の標的として航空団の一機が、動力部の損傷により翡翠島に不時着。瀕死の重傷を負っていた米兵のアンドレアス・テイラーは、島民の手厚い看護により一命を取り留める。アンドレアスは戦前から高く評価されていた意匠建築家であった。戦争終結後も帰国しなかった彼は、島民に恩を返そうと、翡翠島の様々な場所に、特色の異なる11の建造物を残した。それが観光資源となり、「異人島」の異名が生まれたのだ。
ところが老齢になったアンドレアスが島を去って帰国してから十余年、彼の建造物を標的とした連続放火事件が起こる。最終的に殺人事件まで起きたが、一連の事件は迷宮入りしたのである。
それから10年の歳月が経った。島は過疎により人口300人を切った。数少ない島民の若者が、25歳のレンこと椎名簾太郎である。島から離れることなく、通信高校を卒業し、新聞と小荷物の配達を7年間続けていた。レンの隣家に住む7歳年上の柏瀬夏澄は、夏休みで大学から帰省していたとき、原因不明の病に倒れて、後遺症で両足の機能を失しない、車椅子生活になった。それにより決まっていた、本土の銀行への就職をあきらめ、今は島の玄関口である汽船乗り場で働いている。少しだけ早く荷物を受け取りに汽船乗り場に行き、夏澄と一緒にコーヒーを飲むのが、レンのちょっとしたお楽しみだ。
また、レンの幼馴染で、やはり25歳の姫こと備前織姫が、アンドレアスの建造物・白亜燈台の近くで、日中はカフェ、夜はバーになる「カレイドスコープ」を開いていた。学生時代にバスケットボールの選手として活躍し、将来を嘱望されていた姫。だが頭は悪い。そして10年前、下肢に障害を抱え、左足を自分の意思で満足に動かすことができないようになった。島の人々はレンと姫を結婚させようとしているようだが、ふたりの仲は進展していない。そんな日常が続く最中、10年前の事件で父親を殺され、島を去った元同級生のノアが島にやってきた。
という現在のパートと、過去の中学三年生のときのパートを交互に描きながら、物語は進行していく。この過去パートは、三人の探偵団のような活動にワクワクし、友情と恋愛の行方にドキドキする。
さて、もうちょっと過去パートの内容に触れたいのだが、何をどう書いてもネタバレになる危険性があるので我慢しよう。それほど作者の企みは深いのだ。後半の「幕間」で、まったく予想していなかったある事実が明らかになったとき、冗談抜きで頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。しかもその後に、さらなる真相のつるべ打ち。恋愛とミステリの謎が、ガッチリと結びついていたことか判明する。いささか煩いと思っていた姫の破天荒な性格も、この恋愛の着地点を納得させるためだったのかと、あらためて感心。愚者たちの恋愛が招いた罪と罰の行方を、是非とも見届けてほしいのである。