世界文学の古典『嵐が丘』は、未だに野性のままであるーーひかれあいながら反発する二人の激情
マーゴット・ロビー主演、エメラルド・フェネル監督の映画『嵐が丘』が、2月27日より日本公開された。1847年に刊行されたエミリー・ブロンテの古典『嵐が丘』は、これまで何度も映像化、舞台化され、様々な解釈の脚色がされてきた。この長編小説は、多くの要素が複雑にからみあっており、見る角度によって異なる印象を抱くのだ。それは、内容の豊潤さの証明でもある。後述するように小説の冒頭ではヒロインの早逝が示されるし、広く知られた世界文学の定番でもあるから、ここでは内容に多少踏みこんで書くことにする。
舞台は、イギリスのヨークシャー。風が吹き荒れる丘を意味する原題「Wuthering Heights」にふさわしい激情の物語だ。アーンショウ家の主人は、黒い肌の孤児ヒースクリフを連れ帰る。主人は彼を我が子同然に可愛がるが、実子で兄のヒンドリーはヒースクリフを忌み嫌い、逆に親から寄宿学校に入れられてしまう。一方、妹のキャサリンはヒースクリフと仲良くなり荒野で遊び回る。だが、主人が死に後継者となったヒンドリーは、ヒースクリフを下僕の立場に落とす。
それでもキャサリンはヒースクリフと親しくしていたが、転機が訪れた。2人が悪戯の延長で近隣のリントン家の敷地に入り、窓ごしに室内の優雅な様子を覗いていると、キャサリンが犬に噛まれて怪我を負う。ヒースクリフは追い返されるが、彼女はリントン家でしばらくの期間、世話をされる。帰ってきたキャサリンは淑女に変貌しており、粗野なままのヒースクリフとは距離ができた。彼女はリントン家のエドガーとの結婚を決め、裏切られたと感じたヒースクリフは失踪する。
3年後、富裕な紳士となったヒースクリフはリントン家を訪れ、キャサリンと再び交流するが、夫のエドガーは面白くない。ヒースクリフは、アーンショウ家にもリントン家にも報復の念を抱いており、エドガーの妹イザベラと結婚し、子を生ませる。キャサリンはエドガーとの子を出産した直後に亡くなるが、彼女の死後もヒースクリフの復讐心は消えず、ヒンドリーの子を虐待する一方、エドガーとキャサリンの子を自身とイザベラの子と結婚させ、エドガーの死後に両家の財産を手中にする。
『嵐が丘』は、どちらも野性の心を持ったヒースクリフとキャサリンをめぐる恋愛ドラマだ。また、後に死んだ彼女の墓を彼が暴き、自分もいずれ隣に入りたいと願望を明かしたり、ヒースクリフの死後には幽霊になった2人が目撃されるなど、ゴシック要素も含んだ内容である。長大な物語であるだけに映像化では今回の映画を含め、子ども世代に関する後半の話を省略し、前半中心に脚色する例が多い。だが、物語半ばでヒロインが死亡したにもかかわらず、以後も存在感を残し、ヒースクリフの妄執がなかなか解けないところに『嵐が丘』の凄まじさがある。
2人は、魅かれあうのに一緒にならない。キャサリンは、家政婦のネリーに話す。「そう、あの意地悪なヒンドリーがヒースクリフをあんなに格下げしなければ、エドガーとの結婚なんて考えもするもんですか。でも、いまヒースクリフと結婚したら、わたし落ちぶれることになるでしょ。だから、あの子には、どんなに愛しているか打ち明けずにおくの。どうして愛しているかというと、ハンサムだからじゃなくてね、ネリー、あの子がわたし以上にわたしだからよ。ヒースクリフとわたしの魂はおなじもの」(新潮文庫、鴻巣友季子訳。以下の引用も同じ)という最愛の人の言葉をヒースクリスは立ち聞きする。アーンショウ家とリントン家への敵意が明確になった瞬間だ。
彼が去った後、ネリーは、キャサリンがリントン夫人になったらヒースクリフは友だちも恋人もなにもかも失ってしまうという。だが、キャサリンは彼と別れることを否定し、ヒースクリフはこれからも大切な人だし、エドガーも受け入れなければいけないと主張する。彼女は、ネリーに「自分勝手な女だと思ったでしょ」ともらすのだから、自覚はあるのだろう。人妻となったキャサリンは、実際に自分の思う通りにしようとして2人の男をふり回し、話はこじれていく。結果的にそれは、ヒースクリフが仕返しとしてキャサリンの義妹イザベラに手を出すきっかけとなる。
この小説で特徴的なのは、出来事を直接記述するのではなく、大部分が伝聞として書かれていることだ。都会からやってきた青年ロックウッドが、リントン家が以前住んでいた屋敷を借りることになる。ロックウッドは、家主のヒースクリフがいる屋敷に泊まり、部屋でキャサリンの日記を発見し、読みながら眠ってしまう。夢のなかで、吹雪いている窓ガラスの向こうからキャサリンの幽霊が「入れてぇ――ねえ、入れてよぅ!」と懇願するのに驚く。ロックウッドが悪夢に騒ぐのを聞きつけてやってきたヒースクリフは窓を開け、「入っておいで!」と泣き、「キャシー、さあ、こっちだよ」と呼びかける。
ロックウッドは、過去になにがあったかを家政婦ネリーから聞く。彼女は、アーンショウ家とリントン家で働いた経歴を持ち、ヒースクリフとキャサリンを間近で見てきたのだった。その話は長編小説になるほどとても長いものだが、幽霊に遭遇する強烈な体験をしたロックウッドは、ネリーに話の続きをせがまずにいられない。したがって『嵐が丘』は、ネリーがロックウッドに伝えた物語という大枠を持つが、語り手も聞き手も平凡な人物である。彼らの常識的な見方を通して語られるから、ヒースクリフとキャサリンの異様さが際立つという仕掛けになっているのだ。
ロックウッドは、泊まった部屋の棚板に「キャサリン・アーンショウ」、「キャサリン・ヒースクリフ」、「キャサリン・リントン」と引っかいた文字があるのを見つけていた。小説の序盤で書かれたそれらは、後に明かされる彼女の生涯を予告している。結婚してアーンショウからリントンになったが、ヒースクリフにはならなかった。だが、彼女が死の直前に生んで同じくキャサリンの名を与えられた娘は、やがてヒースクリフの息子と結婚する。板に残された3つの名前は、2世代にわたる激動を切りとったものなのだ。
興味深いのは、初代キャサリンは、リントン家との接触によって淑女に、ヒースクリフは3年間の失踪後に紳士に変身することだ。2人とも荒野を遊び回っていた幼い頃とは違う風情になり、生活スタイルも変わった。だが、精神の野性とでもいうべき互いの激しい気性は変わらない。このねじれが、事態を混乱させる。過去には『嵐が丘』の彼らがひきつけあうのに一緒にならないのは、実は異母兄妹であり近親相姦のタブーがあるからだとする説もあった。「あの子がわたし以上にわたしだからよ。ヒースクリフとわたしの魂はおなじもの」というキャサリンの言葉が示す同質性が、作中に根拠となる記述がないにもかかわらず、そのような説を引き寄せる。
ネリーが少年時代のヒースクリフに対し、父は中国の皇帝だったかもしれないし、母はインドの女王だったかもしれないと彼の出自に関する空想をいってなぐさめる場面があった。黒い肌と形容されていたのに加え、中国、インドと結びつけられるあたり、ヒースクリフのイギリスにおける異人性が露わになっている。キャサリンが、そのヒースクリフについて「あの子がわたし以上にわたしだからよ」と断言するのは、彼女が彼と同様にこの社会において異人であると示唆している。磁石の同じ極のように、同質ゆえに愛憎がからみあって反発しあう2人なのだ。
ロックウッドの悪夢に関連して、窓の向こうにいるキャサリン、こちらにいるヒースクリフという図式が出てきたが、後にはキャサリンが窓の向こうに見た優雅なリントン家に嫁ぐなど、この小説では窓が象徴的な描かれ方をする。窓は2人を隔てるものだが、間は1枚だけだという近さをも暗示している。ヒースクリフが、キャサリンの墓を暴き、棺の蓋を開けたのも、窓のバリエーションととらえられる。彼がついに死ぬ時、部屋の格子窓が開いているのも偶然ではない。その後、ヒースクリフとキャサリンの2人の幽霊が丘のふもとにいると噂が立つ。彼は彼女のいるところへと、窓から出ていったのだろう。
異人の2人はひかれあいながら反発するが、平凡な私たちは、ロックウッドと同じく彼らの激情にただ目をみはり、翻弄されるばかりだ。この古典は、未だに野性のままである。