なぜ日本ではクリスチャンが増えないのか? 宗教学者が考えるキリスト教入門書の影響

 考えてみると不思議な話である。聖書の物語をモチーフとしたアニメやゲームにチャペルで行う結婚式など、キリスト教の文化は日本にすっかり根付いている。ところがクリスチャンの数はというと約105万人で、総人口の0.8%に過ぎない。この落差の要因を考えるべく、宗教学・観光学を専門とする学者・岡本亮輔は本書『キリスト教入門の系譜』(中公新書)で、日本のキリスト教入門書を切り口にするというユニークな方法を取る。

 話の起点でありキーマンとして序章でまず取り上げられるのが、キリスト教思想家・聖書研究者・伝道者等々の顔を持つ内村鑑三だ。第一高等中学校(現・東京大学教養学部)の教員だった1891年、内村は唯一神以外には拝礼できないと、天皇の署名がある教育勅語の奉読式で浅く敬礼したことを全国紙に報じられ大炎上。いわゆる「内村鑑三不敬事件」によって職を解かれる事態となる。無教会主義者でプロの聖職者も教会も救いには必要ないと考える内村は事件後、在野の文筆家として独自の活動を始める。自前の月刊誌『聖書之研究』の売上で経済的に自立し、読者による交流会にも参加しながら、紙上の教会ともいえるコミュニティを形成していく。

 他にも講演会や聖書の勉強会を通じて、教会を介さずにキリスト教を広めようとした内村。その影響を直接・間接的に受けた書き手たちが、教養書・自伝・文学作品など様々な形で入門書を世に送り出す。彼らの書いたキリスト教入門は、信者を大きく増やすことはできなかった。だがキリスト教に対し興味や愛着のある、「ファン以上信者未満」を育てることに貢献したのではないか。そんな著者の見立てと共に、本編でキリスト教入門書の系譜が辿られていく。

 著者によると、〈言ってしまえば、無数の入門書の内容や説明に根本的な違いはない。カトリックであれ、プロテスタントであれ、基本的な信仰や実践は定められている〉という。そこで物を言うのが作者の生き様だ。入門書に奥行きや説得力を生む要素として本書では書き手の人生を詳しく描いており、評伝としての読み応えもある。

 たとえば、宗教文学『新約』(1921年)の作者・江原小弥太。彼は性欲や多情多感といった悪癖を克服すべく、後に内村鑑三と再臨(キリスト教の終末論)運動を展開する中田重治が設立した中央福音伝道館に出入りし、20代前半にクリスチャンとなる。だが、欲望を断ち切れず恋愛で失敗を繰り返し自暴自棄にもなり、仕事の給料は全て浪費。30代半ばを過ぎた頃には、無能・無力・無職・無収入となった。そんな男が40歳にして完成させた〈追いつめられた中年、覚悟の一冊〉は、自らの半生を投影しつつユダの人間性を捉え直し、「信仰とは何か」を我が事のように考えさせる物語として悩める若者たちの心を掴む。

 時代が入門書に影響を与えることもある。太平洋戦争後の連合国軍による日本占領は、キリスト教を広める絶好の機会となるはずだった。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは日本をキリスト教化すべく、入門書となる聖書の普及を推進する。ところがアブラハムにイサクにヤコブ等々、新約の冒頭でイエスの系図を示すにあたっての人名の列挙からして、人々の頭に入らない。そこで内村鑑三の弟子・黒崎幸吉が書いた『聖書の読み方――始めて聖書を読む人の為に』(※1922年に刊行され、1947年に再版)のような読み方入門や、1955年には日本聖書協会による聖書の口語訳も登場する。だが結局は、個々人が信仰心を持ち教会に参加するまでには至らない。

 すると今度は、キリスト教をより身近なものとする入門書も登場する。作家・遠藤周作は1973年に発表した評伝『イエスの生涯』で、西欧的な強い神ではなく弟子たちに見捨てられようとも最後まで愛し赦す、日本人の感性に響くイエス像を提示する。ノートルダム清心女子大学の学長を、27年にわたり務めた渡辺和子。彼女はエッセイ集『置かれた場所で咲きなさい』(2012年)で、「老いは神さまからの贈り物」「迷うことができるのも、一つの恵み」といったテーマや標語とともに、キリスト教の世界観を平易で短い文章に反映させる。その誰しもが抱える苦しみを癒す言葉は多くの読者の心を支え、220万部を超えるベストセラーとなった。

 他にも数々登場する入門書から、キリスト教を日本で広めることの難しさや、それでも書き手の工夫や努力により関心の高まっていく様子を浮かび上がらせる本書。終章では先日亡くなったカトリック信者で棋士の加藤一二三から現役神父・牧師のYouTubeチャンネルまで、キリスト教入門の著者・発信者の多様化した近年の状況がダイジェストで紹介されている。その裾野の広がりに、キリスト教入門自体が今や一つの文化であることを実感させられる。ファン以上信者未満の筆者としては、入門書をきっかけにキリスト教ファンになった人々の声や、今回主要な書き手としては登場しない近代の女性による入門書の存在を知りたくもなった。色々な視点から、まだまだ深掘りできそうな可能性を感じるテーマである。

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