當真あみ主演の注目作 柚木麻子『終点のあの子』が描き出す、若者同士のギクシャクした関係

 1月23日に公開される映画『終点のあの子』(吉田浩太監督・脚本、當真あみ、中島セナ出演)の柚木麻子による同名原作小説は、四話からなる連作短編集である(2010年書籍化)。そのうち冒頭の「フォーゲットミー、ノットブルー」は、第88回オール讀物新人賞を受賞した柚木の出発点の作品だ。最初から彼女は、実に細やかな心理描写を行っていた。『終点のあの子』という本には、若者同士のギクシャクした関係が、摩擦で軋む音が聴こえるくらいリアルに書かれている。

 プロテスタント系女子高で中等部から進学した内部生の立花希代子は、高校から入学した外部生の奥沢朱里から声をかけられ、やがて親しくなる。朱里は、登校初日にみんながグレーの制服を着ているなか、一人だけ青いワンピースで現れ、「入学式って、好きな格好しちゃいけないんだね」と屈託なくいい放つような生徒だった。有名な写真家を父に持ち自由奔放にふるまう朱里に希代子はどんどん魅かれていく。

 朱里と一緒にお弁当を食べる時だけ、希代子はこれまで一緒に過ごしていた友だちグループから外れるようになる。それに対し、朱里がまんべんなくいろんなグループに顔を出しているのが、希代子には悲しく感じられる。朱里は、学校をさぼったり遅刻したりするが、教師のウケは悪くない。ある日、朝の駅で季代子は、朱里から学校へ行かず「急行片瀬江の島行き」に乗ろうと誘われる。一緒に乗ったものの希代子は次の駅で降り、結局、学校に向かう。別れ際、希代子に「意気地なし」といった朱里は、一人で終点まで乗っていく。やがて、二人の仲はこじれ、クラスを巻きこんだイジメが起きる。

 これが、第一話「フォーゲットミー、ノットブルー」の内容だ。「フォーゲットミーノットブルー」とは「勿忘草(わすれなぐさ)の青」という絵具の色を指し、勿忘草には「私を忘れないで」の花言葉がある。作中には、朱里が「他人と同じがそんなに楽しいの?」といって希代子をにらみつける場面が出てくる。一人で気ままに行動する朱里と、周囲と歩調をあわせることを意識する希代子では、「私」のあり方が異なるのだ。「私を忘れないで」という気持ちにも違いがあるだろう。また、タイトルは「、」を入れて「フォーゲットミー、ノットブルー」であり、作中で色を意味する時の「フォーゲットミーノットブルー」と意図的に変えているようだ。「Forget me , not blue」ならば「私を忘れてよ、悲しくはないから」と受けとれるし、「、」の有無によって「忘れないで」とダブル・ミーニングになっているのではないか。そう思うとタイトルにいっそう苦みを感じる。

 第二話「甘夏」は、希代子の友人の森奈津子が主人公。彼女は、朱里と親しくなった希代子から雑にあつかわれるようになった立場である。奈津子は夏休みに変身したいと願い、学校から禁止されているアルバイトを市民プールで始めた。口うるさい清掃のおばさんにかまわれ、しかたなく話をあわせるようになる。バイトの男子大学生は、奈津子がお嬢様学校の生徒と知ったとたん、手のひらを返して近づいてくる。だが、彼女が、少しずつためこんだ本心をぶちまける時が訪れるのだ。

 第三話「ふたりでいるのに無言で読書」では、美人で目立つ菊池恭子と、マンガ研究部に所属し太めで冴えない保田早智子の交流が語られる。同じクラスでも属するグループが違い交わらなかった二人は、図書館で偶然に出会って話すようになる。同級生に見せびらかすようにつきあっていた恋人から別れを告げられ弱っていた恭子と、読書家で自身の世界を持つ早智子の波長があった形だ。だが、やがて本来の差が顕在化する。「人のことを気にし過ぎなんじゃないの?」という早智子と、「お前が気にしなさ過ぎなんだよ」と思う恭子のズレは、「他人と同じがそんなに楽しいの?」と相手を責めた朱里と希代子の摩擦にも似ている。

 最後の第四話「オイスターベイビー」では、美大生になった朱里の、大学の友人や恋人との関係が描かれる。彼女は、他人と同じでなくてもいいという姿勢で生きてきた。だが、朱里の存在や作品が周囲から見られる時、自分は有名な写真家である父の存在によって支えられてきたのだと、周囲の人によって思い知らされる。そんな「オイスターベイビー」を読んでから「ふたりでいるのに無言で読書」をふり返ると、思いあたることがある。

 恭子から「お前が気にしなさ過ぎなんだよ」と思われた早智子は、教授と編集者の娘だった。彼女は、家中本だらけの環境に育ったから、教養を身に着けたのだ。良くも悪くも目立った朱里と、ダサいと認定された早智子ではクラスでの印象に差があるが、意外に似ている。彼女たちは、他人を気にしないですむ「私」を持っているが、自身で得たものではなく、親によるところが大きいのだ。朱里の場合、そのことに気づかされてしまう。朱里は、電車で終点まで乗って高校をさぼっていた自分を、省みることになる。

 そういえば、早智子は、野坂昭如が歌った昭和の古い曲「マリリン・モンロー・ノー・リターン」が好きだと恭子に話していた。曲名になっているサビは、若くして死んだ女優マリリン・モンローはもう返ってこないというような意味だった。それは、作中で語られる人間関係悪化の出来事が、とりかえしのつかないことであるのを象徴しているように思える。だが、本書は、終点が必ずしも終わりではないと希望を示して幕を閉じるのだ。摩擦が起きたからといって、誰かだけが悪いわけではない。なぜそうなってしまうのか。作者は、冷静かつあたたかい目で観察している。

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