古典パロディ×マルチルートの衝撃 五条紀夫『流血マルチバース』が提示する体験型ミステリの最前線

五条紀夫『殺人事件に巻き込まれて走っている場合ではないメロス』(角川文庫)

 <お梅>シリーズを始めギャグと巧みな伏線回収を織り交ぜた作風で人気を集める藤崎翔など、ここ最近は文庫オリジナル作品を主体に活躍する作家が奇想を盛り込んだ小説で頑張っている印象がある。五条紀夫もその1人だろう。前代未聞の“ちくわ小説”こと『私はチクワに殺されます』(双葉文庫)、太宰治作品の突拍子もないパロディに謎解きの要素を合わせた『殺人事件に巻き込まれて走っている場合ではないメロス』(角川文庫)など、一見すると不真面目な物語の中に巧緻なミステリの技巧が光る作品を続々と発表しているのだ。今回紹介する『流血マルチバース』(双葉文庫)もまた、「よくもまあ、こんな込み入った趣向に挑んだものだな」と感じ入る本である。

“体験型ミステリ”隆盛の2025年

五条紀夫『流血マルチバース』(双葉文庫)

 本書の目次を開くと、そこには「まえがき」「原点0」と題された章に続き、「ルートA」「ルートB」「ルートC」と書かれた章が用意されているのが分かる。「まえがき」における作者の言葉いわく、「この物語は途中から、A、B、Cの三つの世界線で描かれる」ことになり、各世界線を読む順番は読者の判断に委ねられているという。つまり本書は読者が自由に物語を読む順番を選択できる小説になっているのだ。

 単に文字を追いかけるだけではなく、読者が主体的に物語へと参加できる仕掛けを施した“体験型ミステリ”とでもいうべき作品群が従来のミステリファンだけではなく、多くの読者の支持を集めている。筆者も“体験型ミステリ”という言葉を使ってそれらの作品を紹介する機会が多くなったけれど、“体験型”といってもタイプは様々で、複数の趣向に分類される。

 いま最も人気が高いのは雨穴の<変な○○>シリーズのように図版やイラストを用いた疑似ドキュメンタリーの手法を取り入れつつ、それを視覚的な情報として読者が読み取り謎を解いていくタイプのものだろう。これらは所謂“モキュメンタリー”と呼ばれる作品の隆盛とも相まって、ホラー領域でも謎解き要素を含めた小説が支持される理由にも繋がっている。

 もう1つは読者に物語を読む順番を選択させるなど、テキストを追いかける順序に工夫を凝らすタイプのものだ。最近の代表例は道尾秀介の『N』(集英社文庫)や『I』(集英社)が挙げられる。これらの作品群は、かつて“ゲームブック”と呼ばれた小説内に分岐点を複数作って読む順番を読者に選ばせるものや、「弟切草」や「かまいたちの夜」などテレビゲームで“サウンドノベル”と呼ばれたジャンルに近いものを感じさせる。『流血マルチバース』の場合は、こちらの“ゲームブック”的、あるいは“サウンドノベル”的な興趣を持つ作品に一応は分類されるだろう。

探偵小説 × 体験型ミステリ

横溝正史『獄門島』(角川文庫)

 ただし『流血マルチバース』は単に“体験型”だけが読みどころの作品ではない。本書の舞台となるのは太平洋に浮かぶ龍穴島と呼ばれる無人島で、そこにあると言われている旧日本軍の隠し財宝を探すために人々がクルーザーで向かう場面が「原点0」で描かれる。だが、その前にある「まえがき」では作者・五条紀夫が自ら龍穴島の成り立ちや歴史を語るところから始まっている。この冒頭を読んだミステリファンならば、『獄門島』(角川文庫)など横溝正史作品の書き出しを真似ていることはすぐに分かるだろう。また登場人物の名前が菊田耕一であったり、シリコン製とおぼしき白い覆面を被った人物が島のガイド役として出てくるなど、随所に横溝正史に関連するパロディが織り込まれていることに気付くはずだ。そもそも本書の表紙からして、杉本一文が装画を手掛けた角川文庫版の横溝正史作品の表紙デザインに寄せたものであることは明白である。

 このように『流血マルチバース』は横溝正史パロディとしても至る所に拘りを見せる作品なのだ。ミステリファンにも馴染みが深い古典的な探偵小説の世界と、“体験型ミステリ”という現代のミステリシーンを支える要素が組み合わさったことで本書は実に個性的な小説となった。ちなみに横溝正史作品への敬愛を込めたミステリとして折原一の『六つ首村』(光文社)が『流血マルチバース』のちょっと前に刊行されている。それぞれ横溝作品へのリスペクトを表わしつつ、各々の作家の持ち味が違う方向で発揮されていると思うので、読み比べてみるのも一興だろう。

 横溝作品をパロディ化しつつ3つの世界線を描くという、奇抜なアイディアが持ち込まれている本作だが、感心したのは奇抜な着想が本の形式だけではなく物語の構築にもしっかりと結びついている点である。こうした“体験型ミステリ”はいわゆる出落ちと呼ばれるようなワンアイディアに陥る危険性もあるのだが、本書では使われている奇想を物語のある小説としての面白さに帰結させているのだ。“体験型ミステリ”の作例はこれからますます増えそうな気配ではあるが、突飛な発想を如何に物語としての完成度に結びつけるのかが評価の分かれ目になるのではないかと、『流血マルチバース』を読み終えて改めて感じた次第である。

■書誌情報
『流血マルチバース』
著者:五条紀夫
価格:814円
発売日:2025年12月10日
出版社:双葉社
レーベル:双葉文庫

関連記事