細田守はなぜ『時をかける少女』を19年越しに小説にしたのか? 「『果てしなきスカーレット』のヒロインと真琴には通じるものがある」
映画『果てしなきスカーレット』が公開中の細田守監督は、自作を小説にする作家としての活動も続けている。12月12日から17日まで開催された「第1回あいち・なごやインターナショナル・アニメーション・フィルム・フェスティバル」(ANIAF)では、細田監督の特集企画で『時をかける少女』(2006年)が上映された際、KADOKAWAの編集者が作家としての細田監督を語るイベントが開かれ、公開から19年経って登場した小説『時をかける少女 A Novel based on the Animated Film』(KADOKAWA)の執筆秘話が明かされた。
紺野真琴が難しい顔をしながら土手に座っている。河原では子供たちが石を投げて水切りをして遊んでいる。真琴は『ありえないよ絶対、時間を跳び超えるなんて。跳べるわけないんだから絶対。』と心の中で思い、『そんなこと、わたしにできるわけ、ないんだから』と続けながら立ち上がって土手を上っていく。
細田守監督のアニメ映画『時をかける少女』に登場するシーン。土手の向こうに真琴が消え、野球部員たちがランニングしながら横切っていった次の瞬間、奥から真琴が現れ土手を一気に駆け下り、「いっっっけええええええっっっ!!」という叫び声をあげて河の向こう側へと跳躍する。
自分がタイムリープを起こしていることに気づき、好き勝手をして暴れ回る展開へと繋がっていくこのシーンで、真琴は何を考えていたのだろうか。「映画ではコメディタッチで、止めたけど戻ってくるコミカルなシーンとして描かれています」と、ANIAFのトークに登壇したKADOKAWA編集者の山本有希子も話していた。どこかお調子者の真琴が、とりあえずやってみたという印象を抱いた観客も多そうだ。
しかし、細田の小説版を読んだ山本は、「諦めたくないというしっかりとした葛藤を乗り越えて舞い戻ってきてからの『いっっっけええええええっっっ!!』だったことが分かって、映画が味わい深くなりました」。映画ではわずか1分ほどのシーンだが、小説では何ページも費やして、真琴が考えるのを止めようと土手から去ろうとしたものの、『抑えきれない気持ちが胸の中にある』ことに気づいて戻ってくるまでが書かれている。
『やってみもせずにどうしてできるわけないと思うのか。本当に確かめなくていいのか。本当に諦めてしまっていいのか』。そう自問した果てに、下りかけていた土手を上り直して河へと向かって駆け下り跳んだ。この心象描写を読んで映画を見返すと、付けられている音楽も真琴の不安げな心情を表すように静かなものだったことに今さらながら気づける。
細田監督は、そうした真琴の決意を最初から表情や仕草、音声に音楽といった情報を駆使して演出していたのかもしれない。言葉だけで語られている小説からは、細田監督が映画に込めた意図をストレートに汲み取ることができる。
クライマックスで真琴がハアハアとだけ言いながら走るシーンも、「小説では心情が描かれています」と角川文庫編集長の藤田孝弘は指摘する。真琴が走り抜けていった画面に映る入道雲にも、『限界を知らず、ただ真っ直ぐに上へと伸びていく姿。あんな風になりたい。今この瞬間に立ち上がり、高く伸びたい』という心情描写が添えられていて、夏の季節を表す記号として登場させただけではなかったことが分かる。
小説から読んでも、成長していく真琴の姿を追いかけていける単体の作品として楽しめる。藤田編集長も、「毎回原稿を頂いて読むたびに、驚くというか非常にクオリティの高い小説原稿をお書きになるのでびっくりさせられることが多いです」と、細田監督に作家としての高い資質があることに触れていた。
細田監督が最初に書いた小説は、自作の『おおかみこどもの雨と雪』だ。執筆を勧めたKADOKAWA元副社長の井上伸一郎は、「宮本輝がお好きだということで、書いている文章も拝読して小説を書けるのではないかと思いました」と依頼したきかっけを話し、「最初に原稿を頂いてちゃんとした小説になっていて、ほぼ直すところがありませんでした」と振り返った。以後、細田は『バケモノの子』『未来のミライ』『竜とそばかすの姫』と自作を小説にしていく。
心情描写は書き込むが、セリフについては「基本的にはあまり変えず、映画を観た体験を追体験していけるような形で小説にしていくのが細田監督のスタンスですね」と藤田編集長。映画の制作が進んで、セリフの収録も終わってから小説の執筆に入るため、あまり変えては映画を観る人が違和感を抱くと考えてのことかもしれない。その意味では、映画が演出で語り小説が心情描写で感じさせるような関係で、ひとつの作品を形作っていると言えそうだ。
最新作『果てしなきスカーレット』も、細田監督による小説が出ている。藤田編集長によれば、「やはり情報がたくさん盛り込まれていて、とても味わい深い小説になっているかなと思います」とのこと。スカーレットと聖がたどり着く市場のシーンでは、様々な時代の戦士が混在していることが書かれていて、絶えない戦争の証とも、歴史を超えた共闘とも感じとれる。「監督が見せたかった世界をより深いところまで読み解ける小説版だと思います」と山本。映画と合わせて読んでおきたい小説だ。
実は、この『果てしなきスカーレット』の制作が、小説版『時をかける少女』の執筆にも繋がった。井上が何年も前に原作者の筒井康隆から許諾を得てはいたが、映画から時間が空きすぎていたからか、細田はなかなか書き出せなかった。「細田監督からどうすれば書けるのかを聞かれて、スティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』のように回想形式にしたらと提案しましたが、難しいという話になりました」と藤田編集長。「どうしましょうかと話している時に、プロデューサーの高橋望さんが、『果てしなきスカーレット』のヒロインと真琴には通じるものがあるとおっしゃったんです」
最初は半信半疑だったが、考えていくうちに「2人とも未来に向かって何かを決断していくヒロインですし、時空を超えた出会いみたいなものもあります。細田監督もなんとなくもう1回やってみましょうかというふうになって、そのままお書きになって非常にいい小説になりました」と藤田編集長。こう聞くと、『時をかける少女』を観た人も『果てしなきスカーレット』を観て、本当なのか確かめたくなるだろう。
藤田編集長によれば、『時をかける少女』の小説を書き上げた細田監督が「『やっぱり真琴は今も生きてるんだということが分かりました』とおっしゃったんです」とのこと。「フィルムの中の真琴は今も生きていて、それを捕まえることで小説になったということだと思います」。回想にしようという提案に乗り切れなかったのは、フィルムの中であり観客の心の中に今も生き続けている真琴とは違う人間になってしまうと感じたからかもしれない。
結果、小説『時をかける少女 A Novel based on the Animated Film』は、19年前に映画を観て味わった感慨が時を超えて蘇り、そして未来にも続くものとなった。読んだ人は、『わたしはここにいる。今を生きている。未来を想う強い気持ちが、きっと未来を変えるのだ』という小説版のラストに書き添えられたこの言葉を一緒になって叶えるために、自分たちができることをするための道を歩み始めるのだ。