歌川広重、歌川国芳、葛飾応為……葛飾北斎の影響を受けた浮世絵師は、いかにして自分だけの「絵」を生み出したか
NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に、ついに「勝川春朗」が登場した。のちに「葛飾北斎」の名で広く知られるようになる、江戸時代後期を代表する絵師のひとりだ。彼が人気絵師となるのは『べらぼう』の時代よりも少しあとのことになるけれど、このドラマの面白さのひとつに、吉原育ちという異色の経歴を持つ出版人「蔦屋重三郎」の活躍のみならず、彼の周辺にいる絵師たちの、知られざる師弟関係や交友関係が描き出されていることがある。「喜多川歌麿」をはじめ、「北尾重政」や、彼の弟子筋にあたる「北尾政演(山東京伝)」、「勝川春章」に弟子入りするも師匠の死後に離脱、独自の道を歩み始める「勝川春朗(葛飾北斎)」、歌麿はもちろん「恋川春町」も師事していた妖怪画の大家「鳥山石燕」など、彼らの作品を見ているだけではわからない、知られざる繋がりや同時代性が感じられるところが、とても面白いのだ。
武内涼の小説『ふたりの歌川――広重と国芳、そしてお栄』(朝日新聞出版)もまた、今日でもその名が知られているような絵師たちの、知られざる繋がりに思いをめぐらせるような、実に興味深い一冊となっている。主な登場人物は表題の通り、『東海道五拾三次』などの名所画で知られる「歌川広重」と、迫力ある武者絵や巨大な骸骨が鮮烈な印象を残す「相馬の古内裏」などの作品が人気の「歌川国芳」と、「お栄」――先ごろ長澤まさみが彼女を演じる映画『おーい、応為』が公開されるなど、近年注目を集めている葛飾北斎の娘であり、「吉原格子先之図」などの肉筆画で知られる「葛飾応為」の3人だ。蔦重がこの世を去った頃に生を受けた3人は、今や当代随一の絵師となった葛飾北斎の影響下にあって、どのようにして自分だけの「絵」を生み出し、結果的に北斎以降の浮世絵界を牽引する存在となっていったのだろうか。
物語は、彼らの少年時代からスタートする。丸の内の定火消同心・安藤家の長男である徳太郎(のちの広重)は、幼い頃から絵を描くことが好きで、暇さえあれば絵筆を走らせているような子どもだった。それは、時を同じくして日本橋の染物屋の次男として生まれ、神田明神にほど近い場所で育った孫三郎(のちの国芳)もまた、同じだった。幼い頃から、葛飾北斎の絵に魅了されていることも。かくして、一度自分の絵を見てもらおうと、それぞれに北斎宅を訪れた2人の少年は、そこで父の手伝いをしている同年代の少女・お栄(のちの応為)と出会い、やがて3人で一緒に絵を描くようになるーーというのが、著者の仕掛けるマジックだ。それぞれの類まれな画才に刺激を受け合いながら、時の経つのも忘れて一心不乱に筆を走らせる3人。しかし、そんな夢のような日々は唐突に終わり告げ、3人はそれぞれ別の道を歩み始めることになるのだった。
知り合いの伝手もあって、役者絵の第一人者で、浮世絵界の最大派閥である歌川派を率いていた「歌川豊国」に、若くして弟子入りした孫三郎だが、心の内で北斎を信奉する彼は、ことあるごとに師匠と対立する。一方、若くして家督を継ぎ、定火消同心となった徳太郎は、火消の仕事を覚えるのに手一杯で絵を描く暇がない。しかしあるとき、その徳太郎が、定火消同心という職のまま、豊国のもとに弟子入り志願にやってくる。孫三郎との久々の再会だ。豊国の弟子となることは断られるも、彼の弟弟子である「歌川豊広」を紹介された徳太郎は、その後、豊広門下となり、やがて彼の名前から一字取って「広重」の名を与えられる。片や、師匠・豊国の名前から一字取った「国芳」の名を与えられながらも、工場のように大量の絵を「作る」師匠との衝突は絶えず、破門間際で兄弟子「歌川国直」預かりとなった孫三郎は、そこで雌伏の日々を過ごすことになる。同年代でなおかつ同じ歌川門下でありながら、2人は別々の場所で絵の腕を磨くことになるのだった。お互いの作品を、それぞれ意識し続けながら。
一方、江戸市中で何度も何度も引っ越しを繰り返す、父・北斎と行動を共にしながら、一度は同業者である絵師のもとに嫁ぐも、ほどなくして北斎の元に戻り、再び絵の仕事を手伝い始めたお栄もまた、自らの「絵」を探し続けていた。そう、当時の絵師たちは、今で言うところの「芸術家」のような存在ではないのだ。あくまでも、依頼者からの発注があってこその生業であり、とりわけ浮世絵の場合は、「売れるもの」が何よりも求められる。無論、今日のような著作権の概念もなく、板元がその絵を何部刷ろうが収入は変わらない。自分が本当に描きたい絵と大衆が求める「売れる」絵とのあいだに、どう折り合いをつけていくのか。3人は、それぞれの場所で試行錯誤を続けながら――そして、要所要所で偶然の再会を果たしながら、自らの表現を磨き上げてゆくのだった。そう、この物語は、巨人・北斎の圧倒的な画才と革新性を目の当たりにしながら、それを超えようとする若き絵師たちの青春群像劇でもあるのだ。
しかしながら、彼らとは30以上も歳の離れた巨人・北斎もまた、老境に差し掛かりながらもなお、持ち前のあくなき探求心で、自らの絵を革新し続けてゆくのだった。国芳の「武者絵」に大いに刺激を受けながらも、その大胆な筆致を自らのものとし、「名所画」に活路を見出した広重に対しては、彼の代表作である「神奈川沖浪裏」を含む『富嶽三十六景』で圧倒する。その果てに、ようやく広重が見つけ出した自分だけの絵――『東海道五拾三次』の背景には、どのようなドラマがあったのだろうか。以降、北斎は徐々に浮世絵の世界から離れ、お栄と共に肉筆画の世界にのめり込んでゆくのだった。
ちなみに、本作の各章には、「絵本隅田川 両岸一覧」(北斎)、「するかてふ(駿河町) 名所江戸百景」(広重)、「花和尚魯知深 通俗水滸伝豪傑百八人之一個」(国芳)など、それぞれの作品の名前が冠せられている。それらは、彼らがどのような状況にあったとき、どんな風景を見ながら、いかなる発想のもと描かれた作品なのか。あるいは、それらの絵が、他の絵師たちに与えた衝撃とは、どのようなものだったのか。それぞれの絵を実際に眺めながら、小説に書かれた物語の行間に、思いをめぐらせるのも一興だろう。本作『ふたりの歌川――広重と国芳、そしてお栄』は、絵師たちの人生と作品を通じて、江戸の「美」と人間模様を描き出す、そんなロマン溢れる一冊だ。