斎藤真理子 × 横山仁美が語る、『雨雲の集まるとき』の現代的価値「差別は他者に対する想像力の欠如から生まれる」

ベッシー・ヘッド『雨雲の集まるとき』(雨雲出版)

 アジア人女性で初めてノーベル賞を受賞した作家ハン・ガンの『別れを告げない』ほか、多数の韓国文学を翻訳している斎藤真理子さんが2023年に始めたちょっと変わった読書会。その名も、沈思黙読会。スマホでいつでも情報にアクセスできるようになった今、静かにただ本に向き合う時間をつくる目的で開催されているコミュニティだ。

 朝からひたすら本を読み、希望者は斎藤さんと一緒にランチをして、また読書に戻る。しめくくりには、その日読んだ本の話をみんなで自由にかわすのだが、9月に行われた同会には、ベッシー・ヘッド著『雨雲の集まるとき』の翻訳者であり、同作を刊行するためにみずから雨雲出版をたちあげた横山仁美さんがゲストとして登場。

 実は斎藤さん、2017年に当時TwitterだったXにて「#翻訳してほしい本」としてベッシー・ヘッドの『When Rain Clouds Gather』、つまり『雨雲の集まるとき』を挙げていた。それを見かけた横山さんがコンタクトをとったのが、二人の交流の始まり。今年の6月、横山さんにとって約30年来の悲願だった同作の翻訳刊行を成し遂げた際は、本の帯に斎藤さんが推薦文を寄せた。

この1冊を訳すために出版社を作った横山仁美さんの心意気は、ベッシー・ヘッドの情熱と同じ雨雲の中にある。干ばつの大地をうるおす雨雲の中にある。

 その言葉の真意にも触れる、同作についての語りあい。その一部をここに公開する。(立花もも)

※公開用に、トークの内容を再構成しています。

開発コンサルタントとしての経験を積んだことが活きた

左、斎藤真理子さん。右、横山仁美さん。

斎藤:横山さんがお書きになったエッセイ『雨風の村で手紙を読む ベッシー・ヘッドと出会って開発コンサルになったわたしのアフリカ旅』(※個人販売。現在は品切れ中)を読ませていただくと、ベッシー・ヘッドだけでなく、横山仁美の年表も知りたいと思わされてしまいます。というのも、横山さんはもともと開発コンサルティングのお仕事をしながら、いつか『雨雲の集まるとき』の翻訳刊行をと思い続けて、作品に向き合っていらした。

横山:大学時代も文学を専門にしていたわけじゃなくて、専攻はアフリカ地域研究。アフリカ大陸に関することならなんでもいいよというゼミに所属していたんですよ。小説を読むのは好きだったけど、かなりの偏食で、好きなものしか読みたくなかったから、客観的に研究できる気がしなかったし、個人的なものとして大事にしておきたかった。ゼミでベッシー・ヘッドの研究発表をする際も、作品ではなく人物研究……彼女の生きた時代の政治背景などをテーマにしていました。

斎藤:『雨雲の集まるとき』の主人公は、南アフリカからボツワナに亡命してきた元ジャーナリストの青年で、凄惨な差別を味わってきた人物として描かれますが、ベッシー・ヘッドさん自身も彼と重なる体験をされているんですよね。

横山:1937年、ベッシー・ヘッドは南アフリカの精神病院で、白人の母親のもと生まれました。父親が誰なのか、いまだにわかっていませんが、おそらく黒人であっただろうと思われます。当時の南アフリカはアパルトヘイト政策が施行されていて、きわめて激しい白人優位社会。人種の違う男女の結婚等も禁じられていたので、ベッシー・ヘッドは生まれながらにしてイリーガル(違法)な存在だったわけですね。

 ゆえに、生まれてすぐ養子に出された白人家庭で受け入れてもらえず、すぐにつき返されて、児童福祉協会のメンバーで彼女のような「カラード」と呼ばれる夫婦に引き取られました。その夫婦を実の両親と信じて育ちますが、はやくに養父が亡くなり、養母ひとりでは育ちきれず、13歳で孤児院に入ります。そこで初めて、彼女は自分の出生の秘密を知るわけです。

斎藤:その時点で、すでに、すさまじいとしか言いようがありませんね。

横山:その後、教師の職に就くのですが、教育制度そのものが差別的でしたから、なかなか生きていくのが難しく、ジャーナリストに転向して政治活動に関わっていきます。当時、南アフリカの反アパルトヘイト活動は武力的に激化していて、1960年には、抗議デモを行う群衆を警察が無差別に発砲し、69名が死亡したシャープビル虐殺事件が起きています。そんな時勢のなか、やがて結婚生活が破綻した彼女は、ボツワナのセロウェで教員募集していることを知り、移住を考えるのですが、政治活動に関わっていたせいでパスポートを取得できず、二度と戻ることのできない出国許可証だけを手に、南アフリカを出ました。

 当時、ベッシー・ヘッドは26歳。2歳にも満たなかった息子と二人きりでの亡命でした。教職を去り、貧困と孤独の中で精神を病んでしまうものの、南アフリカの友人を通じて各地の雑誌等へ寄稿し始め、それがある日、アメリカの編集者の目にとまります。このことをきっかけに小説を発表し、作家として成功していきます。

斎藤:ベッシー・ヘッドは、『雨雲の集まるとき』のマカヤは自分自身であると公言していますが、南アフリカにいる限り自分は生きられないという追い詰められた気持ちと、他に方法がないのだというすがるような気持ちでの亡命が、重なりますよね。

 ただ、この小説では単にアパルトヘイト下の差別だけでなく、ボツワナの農村における改革を描き出しています。協同組合をつくり、それまでの農作物のつくりかたや人間関係のありかたを変えようとしている人たちが、マカヤの行動によってハレーションを起こし、光を放ち始めるのかを追うのがとてもおもしろかった。とくに、英国から農業改革を目的にやってきたギルバートという白人青年の立ち位置は、横山さんがやってこられたお仕事とも重なるのではないかと思ったのですが……。

横山:おっしゃるとおりです。大学卒業後、私はアカデミアの世界に行くことにも、出版の仕事をすることにも興味がなく、海外で実務を積みたいと思って開発コンサルタントの仕事に就きました。ギルバートのように、どれだけ豊富な知識をもち善意で向き合っていても、伝統的な既得権益と対立してうまく進められないことは多々ありますし、外国人から見た理想と現地で生きる人たちの実情にどうしてもズレが生じる、というのが永遠の課題なんです。それがきっと、ボツワナに移り住んだベッシー・ヘッドにも見えていたのでしょう。あとがきに「開発ワーカーこそ読んでほしい」なんて押しつけがましいことを書きましたが、現代社会に繋がる一つの問題提起が描かれていると思います。

斎藤:作中の村では、男性が牧畜を担うため、ふだんは居住区から離れたところで暮らしており、農業を担当するのは女性たちなんだけど、換金作物をいかにしてつくるかのプログラムを受けるのは男性なんですよね。そういう問題をふくめ、本作では農業改革についてさまざまな視点から描かれています。読みながら思いだしたのは、大日本帝国統治下の朝鮮を生きた沈熏(シム・フン)という小説家。韓国では知らない人がいないほど有名で、『常緑樹』という農村での啓もう活動を描いた作品で知られています。おそらく世界中、どこででもこういった問題と向き合ってきた歴史があるのだろうなあ、と思いました。そして、こういう問題をしっかりと理解したうえで翻訳する上で、コンサルティングのお仕事をされている横山さんは本当に適役だっただろうな、とも。

横山:最初に翻訳したいと思ってから、28年の月日が流れてしまったのですが、今になってみれば、おっしゃるとおり、開発コンサルタントとしての経験を積んだことが活きた、と感じています。私は翻訳家としての実績はなく、ただただベッシー・ヘッドに向き合ってきただけ。それが、既存の出版社に持ち込んでも相手にしてもらえなかった原因でもありますが、翻訳家ではない私だからこそ開発の側面をきちんと理解することができた。遠回りしたようで意味があったのだ、と今は思っています。

斎藤:文学の翻訳家は、あらゆる状況を理解して、文章の裏側にあるものも掬いとっていかなければなりませんが、横山さんのような実務に裏打ちされた理解力は、並大抵のことでは身につけられない。今はもう日本語になっているから、するすると読めてしまうけど、作物や農法に関する単語ひとつとっても専門的で、意味がわからないという人がほとんどでしょう。南アフリカの大地で育つ作物をじかに知っているかどうかで、訳しようも変わってくるはずなので……。天の采配であったような気がしますね。

横山:ありがとうございます。

60年近く前の小説を、2025年の今、私たちが読む意味

沈思黙読会の模様。

斎藤:ちなみに『雨雲の集まるとき』という象徴的なこのタイトル。どんな意味があると、横山さんは思っておられますか。

横山:雨というのはボツワナでとても貴重で大事にされている言葉なんです。というのも、作中で描かれるのは干ばつ地域。雨もまったく降らないんですよね。雨は、みんなの心のなかにあるものという、ざっくりしたテーマを象徴しているのだと思います。ただ、当初は「When the Rain Clouds Gather」というタイトルをイメージしていたらしいんですよ。タイトルには物語を織り込みたいと願っていたようで、ここでいう雨雲は人々のことを表しているそうです。人々が集まってくると良いことが起きる。「the」が入った方が強くはっきりと伝わるのではとの思いがあったようです。それが最終的には「When Rain Clouds Gather」となった。最後に「the」を落とした理由も、想像するしかできませんが、人々だけではなく農業から大地まで、もっと大きな恵みのようなものを象徴しようとしたのではないかなと思います。

斎藤:ギルバートに好感を抱いている村の知恵あるおじいさんが「ギルバートが去ってしまったら誰が知識を雨のように降らせてくれるだろうか」というようなことを言うシーンがありました。知識も、雨のような恵みとしてイメージされているのかな、と。そして、雨というのは循環をもたらすものでもある。ギルバートの運んできてくれた知識が、誰かに使われることによって開発が進み、農村のありようがよい方向に動き出して、さらにその結果、生まれたものが別の誰かに普及していく。よきものがめぐりゆくことの象徴としてこのタイトルをつけられたのであれば、ベッシー・ヘッドの理想を託した小説でもあるのかな、と思えてきますね。

横山:今作は、アパルトヘイトの人種差別で地獄のような経験をしてきた彼女が、ボツワナというこれまでとはまるで違う環境で書いた最初の長編です。開発のことはもちろん、人種差別やジェンダーのこと、独立前後の民主主義への希望など、さまざまなテーマが凝縮して盛り込まれているんですよね。執筆を依頼したのがアメリカの出版社ということでもあり、ボツワナという国をわかりやすく紹介し、そして多くの人に届けやすいテーマを盛り込んで書こうという意図もあったのではないかと思います。その後の彼女の作品は、もっと抽象的で、受け止め方も読者に強く委ねるようなものが多いですし。

斎藤:人として扱ってもらえない黒人差別から逃れたはずのマカヤは、ボツワナの村で、今度は部族主義によって、黒人が黒人を差別する現実をまのあたりにします。差別を抜けた先に、また別の差別がある。こうした現実を描かれた60年近く前の小説を、2025年の今、私たちが読む意味をどのようにお考えですか。

横山:ベッシー・ヘッドの出生の話に戻りますが……。人種の異なる結婚や性交が禁じられていた当時、白人の雇い主にレイプされた母親から生まれたいわゆる「カラード」と呼ばれる子どもたちも多かったといいます。ベッシー・ヘッドが13歳で預けられた孤児院は、生まれながらにして違法性を背負い、行き場を失ったそのような子どもたちが集まる場所。その後も南アフリカで生き抜いてきた想いが本作でマカヤに投影されています。人間としての尊厳を保つことすら許されない社会環境のなかで、心を殺さなければ生きていけなかったマカヤが吐き出す、トラウマなんて言葉じゃ足りない心の闇は、ベッシー・ヘッドが作家として書かずにはおれなかったものだと思うんですよね。

 でもそれを、彼女は個人的な恨みとしてではなく、アパルトヘイト構造を生み出したものはなんなのか、向き合うことでこの作品を描いた。人間の心にある善悪とは何か、差別とはどういうことなのかを、差別する側の視点にすら立って、描こうとした。これはまさに、今の私たちに必要なことなのではないでしょうか。

 「白人がもし黒人も自分たちと同じような感情を持っているということを知ってしまえば驚愕して恐怖するだろう」というような描写も別のエッセイ作品にあるのですが、差別は他者に対する想像力の欠如から生まれる。無知によって他者を踏みにじり、そして自分たちの権益を守るため、脅かされる恐怖から抜け出すために、自分とは異なる存在を排除する。それは今、日本社会で蔓延している排外主義にも繋がっています。世界中でも似たような動きがありますが、現代日本での排外主義に、わたしは非常に強い危機感を抱いています。これはアパルトヘイトという地獄を生み出した空気ととても似ています。やがて、戦争や虐殺へとつながっていく空気です。

 何故ベッシー・ヘッドがアパルトヘイト真っただ中の時代にあえてボツワナ農村を舞台に『雨雲の集まるとき』を書いたのか。それは、「アパルトヘイトの根底にあるもの」、つまり人間の内面の奥深くにあるものを描くことでもありました。この作品は、現代社会への重要な問いを投げかけてきます。アパルトヘイトが本当はどういうものであるかということも含め、日本の読者に届いてほしいと思います。

■書誌情報
『雨雲の集まるとき』
著者:ベッシー・ヘッド
翻訳:横山仁美
価格:2,970円
出版社:雨雲出版

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