『俺ではない炎上』がひっくり返す「自分は悪くない」という思い込みーーネット炎上よりも恐ろしいもの
阿部寛主演で9月26日に全国公開された映画『俺ではない炎上』(山田篤宏監督)の浅倉秋成による同名原作小説は、2022年に発表され、現在は文庫化されている。ある会社員が、SNSのなりすましアカウントのせいで殺人犯あつかいされ、逃亡せざるをえなくなるというサスペンスだ。
この小説は3年前に書かれたので、登場するSNSは、現在はXと名前を変えたTwitterである。作中ではインターネット上で思いこみの誤情報、悪意を持った捏造などが飛び交う。読んでいると、AIが発達普及した今なら簡単にフェイク画像が大量に生成されて、事態がいっそう混乱するだろうと想像できる。そのように数年間の経過に伴う技術的変化はあるものの、ネットでの個人情報拡散に伴う炎上の恐ろしさは、今も変わっていない。SNSを使っている誰もが、自分が罠にかかったらどうしようと、ゾッとするだろう。
物語は、女性の死体らしき写真付きで殺害をほのめかすツイート(Xなら「ポスト」)を、大学生の住吉初羽馬が目にするところから始まる。彼は、軽はずみにリツイート(Xなら「リポスト」)したわけではない。そのアカウント「たいすけ@taisuke0701」は急造ではなく10年も前から存在し、かつては趣味のゴルフについてなど、日常が感じられる発言をしていた。住吉は写真加工によるフェイクも疑ったうえで本物と判断し、リツイートした。彼なりに慎重だったのだ。
「たいすけ@taisuke0701」の件は急速に拡散され、ネット民によって問題の人物は大帝ハウス大善支社営業部長・山縣泰介と特定され、自宅住所も晒される。だが、主人公である山縣本人は、そのアカウントを作った覚えはないし、仕事でパソコンは使うにせよネットには苦手意識があった。もちろん殺人など犯したつもりはない。だが、炎上騒ぎとなって勤務先には電話が殺到し、会社にも自宅にも野次馬が現れる。山縣自身が「たいすけ@taisuke0701」のツイートを過去にさかのぼって読んでも、自分のこととしか思えない。警察はアカウントがなりすましだと理解してくれそうにはないし、家族から離れ、身を隠すしかない。住宅を売る仕事をしている彼は、皮肉にも自宅にいられなくなる。
ネット民は、あっという間に山縣泰介が犯人だと断定してしまった。だが、警察やマスコミは断定的な発表は、なかなか行わない。やはり慎重なのである。ところが、密かに一時的に山縣が帰った自宅でさらにべつの女性の死体が発見されるなど、不利な条件が重なる。逃げる山縣の姿は、一般人にしばしば目撃されてスマホで撮影され、断片的な情報がネットにたくさんアップされていく。犯人を狩ろうとする連中が町を徘徊し、誤爆する事案も起きる。絶望的な状況だ。
小説は、知恵を絞って必死に打開策を探す山縣、被害者の友人だったという女性とともに山縣を追うことになる住吉、警察の捜査の一員である堀健比古、山縣の娘の夏実、以上4人の視点から語られる。山縣は、自分の仕事ぶりに誇りを持っており、部下からの人望はあるほうだと信じていた。住吉は、社会派サークルのリーダーで仲間たちと様々な議論をしており、いわゆる意識の高い学生だ。所轄署の堀は、山縣を容疑者とする上層部の捜査方針に素直に従っており、山縣は犯人ではないのではないかと疑う相棒で県警捜査一課の六浦にいら立つ。小学生の夏実は、父の起こした騒ぎで辛くなり、学校を早退し祖父母の家へ行く。
『俺ではない炎上』では、それぞれの視点人物だけでなくネット民も含め、大半が「自分は悪くない」と信じたがっている。ところが、それぞれの思いこみは、じきに崩されていく。SNSでは犯人とされた山縣に対し、様々な書きこみがされる。本人と会ったことのない人々が、適当に憶測を述べたり、まるっきりの嘘を語ったりするだけではない。なかには、山縣と以前に仕事上の関係があったとしか考えられない投稿者が、彼の人間性を批判する例も散見された。ネットでの炎上後、勤務先に苦情電話が集中した際、社内で山縣の無実を信じた者がどれだけいたのか。疑わしい目を向ける同僚ばかりだったではないのか。人望はあるほうだという山縣の自負は、ほどなく打ち砕かれてしまう。
『俺ではない炎上』とは、自分のものではないニセのなりすましアカウントによる炎上という意味だが、同時に周囲の人にとっての俺は、俺の思う俺ではなかったということも含んでいる。主人公にとってこの気づきは、ある意味で冤罪に匹敵するほどダメージが大きい。これまでの人生の大部分が否定されるようなものなのだから。
やがて、少しずつ真実が浮かびあがる過程では、社会派サークルで人並み以上に社会をよく考えていたはずの住吉も、あれこれ余計なことに気を回す六浦より捜査の本筋がわかっている気だった堀も、自身の間違いを突きつけられるのだ。警察やマスゴミの先をいっていたつもりのネット民だって、予期せぬ真相を突きつけられる。「自分は悪くない」という暗黙の前提がひっくり返された時、人々はどう反応するのか。それも、本作の大きなポイントだろう。作者は物語に大きな仕掛けを施しつつ、情報を増幅、拡散させるインターネットの仕組み以上に、個々人の身勝手な思考のあり方を描いている。次に足をすくわれるのは、私かも、あなたかもしれない。