『8番出口』小説版ならではの仕掛けとは? 映画とともに鑑賞することで立ち上がる“自分自身の物語“

 そのまま突き進むか、あるいは引き返すか――。

 正しい判断を下さなければ、出口には辿りつけないインディーゲーム『8番出口』。そのルールはきわめてシンプルでありながら、プレイヤーを徹底的に翻弄する。ほんの些細な違和感を「異変」と見抜けるかどうかで生死が決まる緊張感。見落とした瞬間、表示は無情にも「0番出口」へと逆戻りし、そこからまた同じ通路を歩き直すことになる。積み重なる苛立ちと絶望感、出口の見えない無限ループの苦しさこそが、このゲームを世界的ヒットへと押し上げた大きな要因だった。2023年には累計販売本数190万本を突破し、インディー発としては異例の成功を収めている。

 だからこそ、この作品が映像化されると聞いたとき、多くの人が「どうやって?」と首をかしげたに違いない。なにしろ原作には、物語らしい物語が存在しない。ただひたすら白い地下通路を歩き、異変を見抜いて出口を目指すだけだ。それをどう映画化するのか、と。それでも、あのゲームが持つ異様な世界観が二宮和也主演で映像化されるというだけで興味をそそられた。

 2025年8月29日に公開された実写映画『8番出口』は、期待を鮮やかに上回ってみせたのだった。ゲームにはなかった「人生の選択」というテーマを軸に、息苦しい現実を生きる主人公が地下通路で自らの無関心の罪と向き合いながら“生きる覚悟“を決めていく姿を描いた。その見事な物語への昇華に、わずか24日間で動員261万人、興行収入37億円を突破する大ヒットとなったのも頷ける。

 通常であれば、原作の物語が存在し、それをベースに映画が作られる。しかし『8番出口』は特異なケースだ。脚本・監督を務めた川村元気は、映画制作と並行して小説版も執筆。映画公開に先駆けて発売された小説は初版10万部を突破し、発売日に即重版が決定するなど大きな話題を呼んだ。ゲームから映画、さらに小説へと枝分かれする展開は、まるで“出口“が無数に増殖していく『8番出口」そのものかのようだ。

 映画版の魅力は、観客が主人公と同じ視点で「異変」を探す体験にある。二宮演じる主人公が見落としている違和感を、スクリーンを通して「そこだ」と教えたくなるような場面も多い。地下通路を俯瞰的に眺められる映画ならではの優位性が、観客をゲームの実況視聴者のような立場へと引き込む。登場人物たちの心情は言葉よりも表情や息遣いによって伝わり、観客自身が想像力で補完する余白を与えられる。

 一方、小説版はまったく異なるアプローチを取る。登場人物たちの「心の声」によって物語が紡がれていくため、彼らが見ているものだけが読者の視界となる。主人公が気づかなかった違和感は、当然ながら読者も感知できない。結果として「見過ごしたものは永遠にわからない」という不可解さが残り、それがじんわりと後味の悪さをもたらす。もし映像で同じことをすれば「不親切」と批判されかねない。しかし文字によって体験する小説では、それが逆に「面白み」として機能するのだ。

 また、小説版では映画では語られなかった背景が丁寧に描かれる。登場人物それぞれの「罪の意識」や「選択の理由」が文字を通して浮かび上がり、あの地下通路に漂う空気が単なる恐怖ではなく、もっと切実な人間的重さを帯びてくる。映画が与える余白に対して、小説は明確な補完を行う。両者を往復することで見えてくる世界の層の厚みは、まさに『8番出口』ならではの体験といえるだろう。

 川村は、あの真っ白な通路を「能の舞台」に見立てたと語っている。能がこの世とあの世の境界を描くように、『8番出口』では現実と虚構の狭間を描き出した。そこで問われているのは、私たちが日常の「異変」にどれほど誠実に向き合えるかという倫理的な問いだ。

 何も感じず、ただ時間を浪費するだけでも生きていける現代社会。その一方で、自分の存在が世界を変えられないという無気力や、あふれる情報を前にいちいち心を動かしていては耐えられなくなった無感動な日々。そんな日常を脱したいという衝動も確かに存在する。そのジレンマこそが、終わりの見えない迷宮を作り出しているのではと気付かされる。

 加えて、書籍としての仕掛けも魅力的だ。真っ白なページと黒い文字のコントラスト、そこに時折差し込まれる黄色の強烈なアクセント。視覚的にも読者の注意を揺さぶり、まるでプレイヤーがゲーム画面を操作しているような錯覚を誘う。文字を読み進めるだけなのに、ふと「異変」を見つけたときのギョッとする感覚まで再現されているのは驚異的だ。小説という形式を最大限に活用した仕掛けが、作品を単なる紙の上の物語ではなく体験型へと変貌させている。

 では、この作品を楽しむ順序はどうすべきか。映画からか、小説からか。どちらが正解かと問われれば、それ自体が『8番出口』的な“二択“だろう。映像の迫力で一気に世界へ飛び込んだ後、小説でテーマの解像度を高めるのも良し。あるいは小説で登場人物の背景をじっくり読み解いてから、映画の臨場感に身を投じるのも良し。そして両者を往復することで、視界が徐々に広がっていく感覚を得られるのも、繰り返し迷宮をさまよい続ける『8番出口』とリンクしていく。

 日常に潜む「気付き」の感度を上げること。そして「進む」か「引き返す」かの選択を意識的に繰り返す。そうしていくうちに、いつしか自分では「どうしようもない」と感じていた停滞感を突破する出口に辿りつけるのかもしれない。小説『8番出口』を読み終えたとき、きっとその続きが“自分自身の物語“だと自覚するはずだ。

■参考:
映画『8番出口』【公式】 (@exit8_movie) on X
https://x.com/exit8_movie/status/1969997588628979829
川村元気 小説『8番出口』刊行記念インタビュー|どちらを先に選んだかによって、映画の見え方は変わるし、小説の感じ方も変わる。|水鈴社公式note
https://note.com/suirinsha/n/n30cbf94b6309
小説『8番出口』(水鈴社)、初版10万部で発売即重版も - 新文化オンライン
https://www.shinbunka.co.jp/archives/11098#:~:text=%E6%B0%B4%E9%88%B4%E7%A4%BE%E3%81%AF7,DNP%E3%80%812035%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%A3%BD%E2%80%A6
二宮和也、主演映画『8番出口』が興収24.9億円を突破の大ヒットに安堵「一歩間違えれば東宝出禁だった」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/38cc42b75189c1d327e25c135c762103b4325979

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