松本卓也、デビュー10年目の到達点『斜め論』インタビュー 水平化する世界で弁証法的な対話を再起動するために
ハイデガーが見落とした「水平」の可能性
吉川:哲学者の平尾昌宏さんが『ふだんづかいの倫理学』(晶文社)のなかで、倫理学にはざっくりと「正義」「愛」「自由」という3つのテーマがあると書いています。正義は公平さ、愛は親密さ、自由は個人の自由のことですね。中でも「愛」とは、とても大切ではあるものの、縦のつながりが壊れると依存や虐待が起き、横のつながりが壊れるとイジメが起きてしまう。だからこそ「斜め」の関係──たとえば他部署の上司や、親戚のおじさんおばさんのような存在──が、セーフティネットとして必要なのだと。これは松本さんの議論に通じるものがあります。
松本:まさにその通りです。わたしが「斜め」という見立てを導入した背景には、ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』がありました。その本のなかでドゥルーズ=ガタリは、音楽や絵画や文学といった芸術分野での新しい創造を「知覚しえぬ斜線」を産み出すことだと捉えています。おもしろい考えですが、哲学に馴染みのない人には伝わりづらいし、それこそ知覚することが難しい。わたしはそれを、「垂直」と「水平」という空間論的な議論を導入したうえで、「斜め」という視点として導入したんです。
吉川:その導入の仕方は、とても納得しやすかったです。現代思想に詳しい人ほど、ついドゥルーズ=ガタリ的な抽象度の高い議論に引っ張られがちですけど、松本さんはわたしたちにも馴染みのある「縦」と「横」の関係をベースにしながら、「斜め」について丁寧に説明されている。現代思想を参照しつつも、そこからほんの少し距離をとっている感じがあって、一般読者にも伝わりやすいと思います。
松本:ここまで具体的に議論を落とし込むと、旧世代の研究者からは批判もあるかもしれません。現代思想の世界では、捉えがたい理念を考えるのが好きな人たちも多いですから。ただ、若い世代にはスッと受け入れてもらえるのではないかと信じています。
吉川:そしてなんといっても、『斜め論』の白眉は第六章のハイデガー論です。「存在忘却」をもじって「依存忘却」という言葉が出てきたときには、ハッとさせられました。読者には、松本さんのハイデガーの読み方にも注目してほしいです。
松本:わたしは中学生の頃に読んだ木田元さんの本でハイデガーを知り、見事にのめり込みました。でも、ハイデガーの哲学っておもしろいんだけど、「自分は非本来的なんじゃないか…」と考えれば考えるほど気分が悪くなってくる(笑)。ハイデガーって、人に勇気を与えるけれど、同時に消耗させる哲学者なんですよ。ですから『斜め論』は、そんなハイデガーの議論にハマりすぎてはいけないよ、という自己批判の本でもあります。
吉川:とてもよくわかります。わたし自身もかつてハイデガーに強く影響を受けた経験があって、“厨二病”的な垂直さを一度崩さなければなりませんでした(笑)。でも、ハイデガーが『存在と時間』のなかで「気遣い」という概念を導入したのは革命的でしたね。
松本:ご指摘のとおりで、『斜め論』ではハイデガーの「気遣い」論に多く紙幅を割いています。ハイデガーは、孤独のなかで自らの死を見据え、その死に対して自らのあり方を引き受けて生きることこそが「本来的」であるとしました。反対に、人間同士の横のつながりのなかに埋没し、「存在」を忘れてしまうような態度を「非本来的」として批判します。
ハイデガーはその流れで、人間の「気遣い」にも着目しました。ハイデガーは「気遣い」をいくつかの種類に分けて考えるのですが、そのうち他者に対して何かを「してあげる」ような「気遣い」は、他者が自分自身で思考したり行動したりするのを制限し、こちらへの「依存」を招く「非本来的」なものであると批判的に捉えました。つまりハイデガーに言わせれば、「水平」的な関係性は「非本来的」であるということになります。しかし、先ほどお話しした「当事者」にとっては、仲間をもち、適度に依存し合う関係こそが救いとなる。その視点が、ハイデガーには欠けていた──だからこそ、私は「存在忘却」になぞらえて、「依存忘却」という言葉を用いたのです。
しかし、わたしはただハイデガーを批判したかったわけではありません。「垂直」の哲学者であるハイデガーが「水平」を批判したおかげで、「水平」のポジティブな側面を考えることができたわけですから。ハイデガーのことはいまでも好きだけど、やっぱり嫌い、でもほんとは好きかもしれない…。そういう矛盾を抱えたままでも、考え続けたいと思っています。
吉川:松本さんのその姿勢こそが、まさに「弁証法的」ですよね。
松本:繰り返しになりますが、いまの当事者言説には、弁証法を止めてしまう構造があると感じます。当事者のテーゼに対して、アンチテーゼが介入する余地がない。世界中で起きている政治的分断についても、その原因は弁証法が機能していないことです。当事者の語りはとても重要なのですが、それが不動のものとなってしまうことがある。本来なら弁証法的な対話こそ必要なはずなのに、それが不可能になってしまっている側面がある。
吉川:いまは誰もが、被害者にも加害者にもなりたくない、自分自身にしかなりたくない、という時代だと思います。弁証法を拒む空気がある。しかしだからこそ、みんなで話し合って、言葉を交わしていくしかない。
松本:そうですね。少しでも何かを変えるために、わたしはこういう人文書を書いています。『斜め論』が、そのきっかけの一冊になれば嬉しいです。
■書誌情報
『斜め論 空間の病理学』
著者:松本卓也
価格:2,420円
発売日:2025年8月5日
出版社:筑摩書房