白石晃士監督 × 背筋『近畿地方のある場所について』対談「人知を超越したものを描くのが好きなんです」
8月8日に全国公開される映画『近畿地方のある場所について』。累計70万部を突破した背筋氏の同名ベストセラー小説を、『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズや『サユリ』などで知られるホラー映画の巨匠・白石晃士監督が実写映画化したこの夏の話題作だ。原作のもつモキュメンタリーホラー特有の“生っぽい”手触りを残しながら、劇映画としての面白さを兼ね備えた『近畿地方のある場所について』の公開を記念して、白石監督と背筋氏に話を聞いた。
背筋「白石監督の『ノロイ』という映画を意識しながら書いた」
――背筋さんはもともと白石晃士監督のファンだったとうかがっています。『近畿地方のある場所について』が白石監督によって映画化されると聞いて、どうお感じになりましたか。
背筋:白石監督の作品には、すごく影響を受けています。『近畿地方のある場所について』も白石監督の『ノロイ』という映画を意識しながら書いたところがあったので、“本家”に映画化していただけるなんて、と不思議な気がしました。お話をいただいてもしばらく現実感がなくて、後からじわじわと嬉しさがこみ上げてきた感じです。
白石晃士(以下・白石):『近畿地方のある場所について』をカクヨムで読んだ際、実は「『ノロイ』を好きな方が書かれているんじゃないか」と思ったんです(笑)。都市伝説や怪談などばらばらの情報が一点に向かっていくという構成は、『ノロイ』と重なり合う部分があります。随所に同じような趣味を感じましたし、「映画化するなら私だよな」と内心感じていました。
――原作は実録を模したフィクションである、いわゆるモキュメンタリー形式の小説です。雑誌の記事やネットの投稿など、さまざまな情報を含んだ小説を映画化するにあたって、白石監督はどういう方針で臨まれたのですか。
白石:原作にあるドキュメンタリーの手触りはしっかり残しながらも、劇映画としての見やすさ、面白さは担保したいと思いました。映画の前半に並べたのは、ホームビデオやテレビ番組の録画など、生っぽさを感じさせる“発見された映像”。これは原作の中から、映像化しても不自然じゃないエピソードを選んでいます。オカルトライターの千紘(菅野美穂)と編集者の小沢(赤楚衛二)がその映像に翻弄され、調査していくことで、大きな物語が浮かんでくるという構成も、原作を踏襲するようにしました。
――今おっしゃった「生っぽさ」は、原作と映画版に共通する大きな特徴です。フィクションであるにもかかわらず、現実の再現を観ているような絶妙なリアリティがあります。生っぽさを演出するためにどんな工夫をされましたか。
背筋:原作では、実際にある文章をどこかから引用しているか感じ取ってもらえるように、文体を記事ごとに書き分けています。ある意味、物まねみたいな感じなんですけど、こういう媒体にはこんな文章が載っているよねと、読者の共通認識に訴えかけるような書き方です。そうしたディテールを積み重ねることで、フィクションなんだけど現実と地続きにあるような、生っぽさが出せたらいいなと思っていました。
白石:私も似せたい映像が、明確にイメージされていることが多いんです。古いニュース映像だったり、ネットにアップされた動画だったり。それにどれだけ近づけるかが肝ですね。たとえば昔のテレビ番組だとナレーションの読み方から、テロップの書体やサイズ、音楽の入り方まで、今とはだいぶ違っている。一例をあげると昔の番組に出ていた時報って、今ではあまり見かけない独特のフォントが使われているんです。そのフォントを再現することで、当時の空気感が再現できるようにこだわりました。もちろん出演者の芝居にもリアリティが必要です。
――行方不明になったオカルト雑誌の編集長の行方を探すうちに、数々の過去の未解決事件や怪現象から恐るべき事実に気がついていくオカルトライターの千紘を演じるのは菅野美穂さん、オカルト雑誌の編集者を演じるのが赤楚衛二さん。お二人をキャスティングされた決め手はどこにありましたか。
白石:千紘も小沢も、観客が一緒になってわくわくしたり怖がったりできる、親しみやすいキャラクターであってほしかったんです。菅野美穂さんは近作のドラマでコメディエンヌぶりを発揮していますし、赤楚衛二さんも明るくまっすぐなイメージがあるので、今回の役にぴったりだなと思いました。
白石監督「POVで撮られた部分のリアリティは究極までこだわりました」
白石:さっき言ったこととも重なるんですが、POVで撮られた部分のリアリティは究極までこだわりました。そこにこだわることで、無理に怖がらせようとしなくても、映像に“殺気”が宿るような気がするんです。本物っぽさについては、他にないクオリティを目指していますね。あとはいろんな種類の怖がらせ方を試みています。普段あまりやらないんですが、ベタに驚かせる手法も使いましたし。さまざまな恐怖表現を取りそろえ、幅広い層のお客さんに楽しんで、怖がってもらいたいと思いました。
背筋:僕の方から白石監督に「怖くしてください」とは言わなかったんです。それよりも「白石監督の作った『近畿地方』が見たい」という気持ちが強くて。原作がホラー小説ですし、監督にお任せしていれば、自ずとそういう部分が表現されるだろうとも思っていました。
――活字と映像とではやはり表現できることが異なると思いますが、映画をご覧になって背筋さんが「これは活字ではできないな」と思った部分はありますか。
背筋:それはたくさんあります。一番それを感じたのは俳優の皆さんの演技です。細かなニュアンスまで演じ分けてくださって、2回3回と見返すことで「このシーンの反応はそういう意味だったのか」と気づいたりしました。俳優さんの空気感を含めたあの機微のようなものは、文章で表すのはとても難しい。あとはやっぱり怪異の描写ですよね。クライマックスには迫力のあるシーンが用意されているんですが、あれを文章で書くと安っぽくなってしまう。あの恐怖と畏怖と迫力を感じさせてくれる展開は映像ならではと思いました。
――活字と映像の違いについて、白石監督はどうお考えになりますか。
白石:恐怖は人間の想像力が生み出すものなので、文字表現と相性がいいんです。曖昧な情報から、際限なく怖いイメージが膨らみますから。とはいえ映画も映像と音を合わせることで、観客の想像力を刺激することができますし、工夫によっては文章に拮抗することも可能だろうと思ってやっています。気をつけないといけないのは、文章をそのまま映像化しても、怖くなるとは限らないということ。文章で読むと凄みが感じられても、映像にするとユーモラスに感じられる場合があったりするので、その取捨選択というか見極めは大事なところだなと思います。
――後半では映画オリジナルの展開もあり、原作を読んでいても驚かされます。あのクライマックスについても、お話しできる範囲で意図を聞かせてください。
白石:背筋さんの原作にはある仕掛けがあって、それは映像化することが難しい種類のものなんです。映画オリジナルの展開で、しかも同じような驚きを観客に与えるにはどうしたらいいかと考えて、あの形になりました。
背筋:原作のトリックにあたる部分は、映像化にあたってひとつの壁になるだろうなと思っていました。今回はそれに代わる要素を映画オリジナルで入れていただいたんですが、それが原作の意図を汲んだもので、しかも映像だからこそやる意味のある試みだったので、原作者として率直に嬉しかったです。