新井素子が語る、ホラー創作の裏側と「ぬい」への深い愛情 ーー『おしまいの日』文庫化インタビュー
90年代に発表された新井素子の作品『おしまいの日』の新装版が6月に中公文庫から販売され、同じく1月に発売された新井の『くますけと一緒に』新装版と一緒に、昨今のホラーブームを追い風に再び注目を浴びている。幼少期からの相棒であるぬいぐるみ「くますけ」と過ごす少女の物語『くますけと一緒に』、夫への深い愛ゆえに狂気に陥る主婦を描いたサイコホラー『おしまいの日』。SF作家としてデビューした新井が、この時期にホラー小説を立て続けに手掛けた背景には何があったのか。2つのホラー作品に込めた思い、小説の書き方、そして「ぬい」との深い絆について新井に聞いた。
『くますけと一緒に』ヒットの理由は「ぬい」需要にあり
――新井さんが1991年に大陸書房から発表された『くますけと一緒に』の新装版が今年1月、中央公論新社から刊行されました。新装版刊行の経緯について教えてください。
新井素子(以下、新井):未来屋書店碑文谷店の福原さんという方が復刊前の旧版をSNSで紹介されたそうです。それで復刊するならばこの作品を、と中央公論新社の営業の方に話が伝わり、新装版の刊行が実現しました。
――『くますけと一緒に』は、二歳のときに祖母からもらったぬいぐるみの「くますけ」をいつまでも手放せない、小学四年生の成美ちゃんの物語です。新装版はこの取材時点で8刷、9万2000部と大ヒット中ですが、今回の反響をどのように感じておられますか?
新井:まず、ぬいぐるみに対する世の中の扱いが、この小説を書いた頃といまとでは全然違いますよね。当時は、小学四年生の子どもがぬいぐるみを学校にまで連れていくようなことってすごく異端だったけど、いまはそんなに変でもないかもしれない。
――大人でも当たり前に、ぬいぐるみを身につけたり持ち歩いたりしていますよね。
新井:昔は、旅行にぬいぐるみを連れていくことも、むちゃくちゃ異常なことだったけれど、いまはみんな普通にやっているみたいだし。私は昔から旅行の時には“ぬい”と一緒に行っていたんです。新幹線や飛行機の窓際にぬいを置いて、外の景色を見せてあげるんですよ。私がぬいと喋っていたり、「うちの子は喋るんですよ」と言ったりしても、あまり異常だと思われない。それは昔とかなり違いますよね。
――新井さんは以前から、ぬいぐるみを“ぬい”と呼んでおられますよね。いまや、推し活の一環として「ぬい活」という言葉もある時代です。
新井:「ぬい」とか「ぬいさん」っていまの人が言っているのを聞いて、ものすごく驚きました。それ、私じゃないかって(笑)。昔から、SF大会に行くときにも、私は絶対ぬいを連れていってたんです。今は連れてきている人を見かけることも珍しくないし、SF大会内に「ぬいぐるみ参加者の部屋」という企画もあるくらい。
キングのようにホラー小説を書いてみたかった
新井:いえ、もうプロにお任せ。私自身でいえば、自分の文章に文句を言われたら腹が立ってしまいますから、絵や装丁に関してはもう、お任せしています。
――新井さんの作品は復刊や新装版の機会も多く、そのたびに新たな読者を獲得されていますね。
新井:復刊のたびに元の原稿に手を入れるんですけど、どのくらい直すべきかの判断が毎回難しいですね。星新一さんは再版がかかるたびに、時代にそぐわなくなったところを直されていたんです。ダイヤル式の電話が描かれていた箇所を、ボタン式の電話にしたりね。でも、例えば私の『ひとめあなたに…』なんかは、携帯電話やスマホがあると成立しなくなっちゃう。
――『おしまいの日』もそうですよね。すれ違いがあるからこそのお話です。
新井:ミステリ作家の方って、携帯やスマホのせいでどれだけ迷惑してるんだろう。今はその人の位置情報までわかっちゃう時代だし。
――『くますけと一緒に』の発表は1991年、『おしまいの日』は1992年です。もともとSFでデビューされた新井さんが、この時期には立て続けにホラー小説を手がけられていますね。
新井:もともと私はホラーも好きで、スティーヴン・キングがお気に入りでした。でも、いざ自分で書こうと思うと、どうしてもホラーじゃないものになっちゃう。例えば、『ひとめあなたに…』も、最初はホラーを書くつもりだったんですよ。由利子さんの章だけならホラーっぽいお話だけど、全体としてはそうとも言いがたい。だから、いつか真っ当なホラーを書きたいと思いながら試していて、『くますけと一緒に』では珍しくきちんとホラーになったということかな。
――ホラーを書きたい気持ちは、ずっとお持ちだったんですね。
新井:『くますけと一緒に』を刊行した大陸書房は、私がデビューしたSF雑誌『奇想天外』を、奇想天外社から引き継いで刊行していた出版社なんですよね。私がデビューした頃の『奇想天外』には普通の雑誌のような枚数の縛りがなくて、とても自由に書けたんです。大陸書房版の場合はそんなことはなくて普通の雑誌だったんだけれど、それでももともとの『奇想天外』のイメージがあるから、何を書いてもいいよねと肩の力を抜いて気楽に書けた。そうしたら、ちゃんとホラーになったんです。
――『おしまいの日』についてはいかがですか?
新井:『おしまいの日』は書き下ろしだったから、やっぱり枚数も自由でしたね。私は連載よりも書き下ろしの方が好き。でも、『もいちどあなたにあいたいな』を書き下ろしたときは、完成まで7年くらい引っ張っちゃったんです。書き下ろしは自由な分、毎月の催促がないと、なかなか終わらないというのもありますね。
――『おしまいの日』は、三津子の日記が塗りつぶされていたり、破り取られていたり、といったギミックが用いられているのも特徴です。
新井:三津子の日記を、ところどころ字が読めるけど、全体的には読めないように塗りつぶしたり、単に真っ黒い四角形で塗りつぶすのではなく、文字を重ねることで読めないようにしたりして楽しんでいたんですが、そうしたら印刷所から「これ、読めません」と言われて。読めないように意図しているんですと編集さんがお返事したら、「我々は読めるものを刷るのが仕事です」って言われてしまいました(笑)。
――『おしまいの日』の主人公である主婦・三津子は、健康をかえりみないほど忙しく働く夫・忠春を案じるうちに、狂気へと向かっていきます。この物語設定はどのように着想されたのですか?
新井:実際に、私の夫が帰ってこなかったんですよ。このお話ほどではないんだけど、本当に体を壊すんじゃないかと思うくらい忙しくて。「24時間働けますか」という無茶苦茶なフレーズが流行った時代で、当時の夫は朝6時に起きて夜10時過ぎまで帰ってこず、そのうえ、土日も仕事が入るような日々でした。
――「過労死」という言葉が浸透していったのが1980年代後半以降と言われています。そうしたモチーフの小説としても先駆的ですね。
新井:私の両親が出版社に勤めていたので、「帰ってこない親」という存在は昔から知っていたんですよ。ホームドラマを見ていて、なんで家族揃って夕飯食べてるの? って、不思議に思っていたくらいだから。それでも、出版社はフレキシブルだから、うちの親の場合、夜は遅くても平日の朝はなかなか起きてこなかった。
だけど、うちの旦那は営業職だから朝も早いし、夜は遅くまで帰ってこない。もうちょっとどうにかならないかと言ってみるんだけど、夫も仕事が好きだって言うからどうしようもない。そうなると、こちらも多少鬱屈するものがあるので、原稿に書くとなんとなく気晴らしになる。
私は小説を仕上げる最後の工程で自分が書いたものを音読するのですが、『おしまいの日』を旦那に聞いてもらったら、頭から座布団かぶってた(笑)。