『歩かなくても棒に当たる』劇作家・安藤奎インタビュー 「偏った意見や極端な考えを持っている人にこそ関心がある」

書くことで自分の中の無意識を発見する

──安藤さんの作品の魅力は、日常会話の中に織り交ぜられたセリフの妙にもあると思います。たとえば、『歩かなくても棒に当たる』の「YouTubeのコメント欄で解説求むって書いてるやつが一番嫌い」だとか。まったく同じことを日常生活の中で思った経験のある観客は、思いがけぬ言葉が飛び出してきたことに対して、「そうそう、分かる分かる」と共感しつつ笑わずにはいられないはず。こういったセリフはどこから出てくるのでしょうか?

安藤:そういうセリフを書いているときが一番楽しいんですよね。私って普段からいろんなことに対して文句があるのですが、でも言いたくても言えないから、こういうところに書くんです。この手の言葉はすらすら出てきますよ(笑)。日常生活の中で気になったことはメモを取っていたりしますが、セリフ自体は執筆のときに考えますかね。

──現代人に対する批評的な眼差しを感じたりもするのですが、安藤さんとしてはいかがですか?

安藤:現代人に対してなのかは分かりませんが、細かいことで怒っているというか、引っ掛かりを感じていることは多いですね。日常における瑣末なことに対する苛立ちが、人間そのものに対する怒りにつながることもあります。「もうちょっとちゃんと進化しようとしろよ!」みたいな(笑)。とはいえ、お客さんに何かを伝えようとして書いている言葉たちではありません。問題意識というほど大きなものを込めているつもりもなく、私がいま何に引っ掛かっているのか、書き上げてこそようやく気づくことができるんです。私自身、物事について普段からあまり深く考えるタイプではありません。自分の気持ちをスルーしてしまうことも多いので。

──お話を聞いていると、“書く”という行為がご自身のケアにもつながっている印象です。

安藤:ああ、そうかもしれないですね。書くことによって自分の内面に気づけますから。

──『地上の骨』で人間が魚になってしまったり、『歩かなくても棒に当たる』で人面疽が動き出したりすることから、安藤さんの作風は「シュール」と称されることも多いと思うのですが、その語源である「シュルレアリスム」の本来の意味は“無意識の顕在化”なので、劇作家・安藤奎はまさしくシュルレアリストだといえますね。

安藤:かっこいい……。ありがとうございます。嬉しいです。おっしゃるとおりで、“書く”という行為が自分の中のいろんな無意識を見つける作業になっているのは間違いありません。SNSなどで日常的に怒りの感情を綴っている人々は私と違って、自分が何に怒っているのかが明確なんじゃないでしょうか。だから短い文章で端的に感情表現ができるんだと思います。私の場合は時間をかけて自分の中に蓄積してきたものを、執筆によって発見し、物語を綴ることで形にしていく。作家としても、この社会を生きるひとりの人間としても、これがいまの私の自然なスタンスなんです。

──劇作家だと、五反田団の前田司郎さん、ナカゴーの鎌田順也さん、城山羊の会の山内ケンジさんなどから影響を受けてきたそうですが、演劇以外だとどんなカルチャーから影響を受けてきたのでしょうか?

安藤:もっとも影響を受けているのは小説ですね。小説から多くのものを吸収してきました。逆に、映画や音楽に関しては子供の頃はほとんど通ってこなかったので、いまになってようやく積極的に触れているところです。本はずっと身近にありますね。自分の書く作品のためではなく、ただただ純粋に好きで読んでいるだけですけど。とくに村上龍さんや村上春樹さん、山田詠美さんとか。

──村上龍は凄まじくユニークな描写力を持った作家ですし、村上春樹作品にはワンダーな飛躍がいくつも収められていますよね。ちょっと腑に落ちました。小説以外だとどうですか?

安藤:何かあるかな……。

──幼少期の頃のことでもいいですよ。現在の安藤さんの創作活動につながっていることが何かあればお聞きしたいです。

安藤:あ、私の育った環境が、ちょっと独特だったかもしれません。私が物心つく前にはすでに、親がみかん農園を始めていて。農家の家系というわけではないんですが、どうやらみかんを育てたくなったらしく、家族で九州に引っ越して農業をしていたんです。薪を拾ってきてお風呂を焚いたりしていて、「北の国から」の南国バージョンみたいな暮らしでした。私にとっての当たり前が、世の中に出てみたら当たり前じゃなかったことがたくさんあるんです。かといってうちの親は何かを押し付けるタイプでもありませんでしたが、やっぱり子供は子供なりに何かしら感じ取るものじゃないですか。その感じ取ったものを、私は子供なりの想像力で膨らませていくという。

──なるほど。具体的に印象に残っているご家族とのエピソードはありますか?

安藤:うちの家のトイレが和式の古いタイプで、古い木の廊下の突き当たりにあったんです。しかも、家の真裏が墓地だったので、子どもの頃はすごく怖くて。私と兄が「怖い怖い」と言っていたら、父が慰めるつもりで「大丈夫。ちょうど霊の通り道なだけだから。霊は墓に行きたいだけで、通り過ぎていくから」って言って。でもそのせいで逆にめちゃくちゃ怖くなりました。兄なんかは怖がりすぎて、庭でトイレするようになってましたね。父としては、安心させようという気持ちだったんだと思いますけど、ちょっと独特な慰め方ですよね。こういうやり取りを日常的にしていたことから受けた影響は多い気がしますね。

──幼い日の安藤さんに対するお父様の返し、たしかに独特ですね。安藤さんのユニークな視点につながっているように感じます。

安藤:私自身、偏った意見に興味があるというのもあります。もちろん、それをもとに誰かを攻撃するのはよくないと思っています。ただ、そうした考えがどうして人の中に生まれるのか、その背景や葛藤には関心があるんです。『歩かなくても棒に当たる』のサナエというキャラクターなんかがまさにそう。私の作品にはそういう人たちがいろいろと登場しますね。

──登場人物同士を対立させていますが、そこに関しても安藤さんの立場はフラットなものなのですか?

安藤:対立し合う両者の意見が面白いと思って書いているので、どちらかに肩入れしようなどとは考えていないですね。執筆するうえで、善悪を決めるつもりもありません。誰か実在の人物をモデルにしているというよりは、自分の中にある複数の視点を、エチュードのようにぶつけ合っている感覚です。『地上の骨』も『歩かなくても棒に当たる』も、いまのところの最新作である『遠巻きに見てる』もそうして誕生したんです。

■書誌情報
『歩かなくても棒に当たる』
著者:安藤奎
価格:2530円
発売日:2025年5月21日
出版社:白水社

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