クローズドサークル × 余命宣告で予測不能の展開に? 『このミス』文庫グランプリ『どうせそろそろ死ぬんだし』の皮肉な笑い
『どうせそろそろ死ぬんだし』。
インパクトがあるタイトルである。表紙には小さな文字で「Because I’m going to die soon」とも記されている。英語だとそんな風に訳すのか。でも、日本語の方が捨て鉢な感じが出ている気がする。
香坂鮪『どうせそろそろ死ぬんだし』は、第23回『このミステリーがすごい!』大賞の文庫グランプリを受賞した作品だ。元刑事の私立探偵・七隈昴(ななくますばる)は、元研修医で助手の薬院律(やくいんりつ)とともに山奥の邸を訪れる。ある交流会にゲストとして招かれたのだ。七隈は、ミステリー好きの人々を相手に自身が解決した事件を語ることになる。だが、宿泊した翌朝、参加者の一人が死んでいるのが見つかる。
物語は、このように始まるのだ。ミステリー小説ならば、悪天候で崖崩れがあったり橋が落ちたりして外部との交通が不可能になり、警察に連絡するどころか通信も絶たれ、閉ざされた状況で連続殺人が進行する展開になりがちだ。いわゆるクローズドサークルである。しかし、そうした展開を思い浮かべた助手・律に対し、探偵・七隈はいう。
「この先は、君の思うようには進まないよ」
彼らがいる建物には「夜鳴荘」という、いかにも事件が起きそうなミステリーの館にふさわしい名前がつけられている。だが、この館の持ち主である茶山が発起人の「かげろうの会」とは、余命宣告を受けた病人の集まりなのだった。「夜鳴」は「余命」に引っかけた命名である。べつに悪天候ではないので彼らは孤立しないし、交通も通信も可能なままだ。「かげろうの会」には茶山ともう一人が医師であり死体を検案するが、外傷は見られず、毒殺も考えにくい。自然死の線が濃厚だ。なにしろ、もともと死期が近いとされた病人なのだから、警察に通報する必要性も疑わしい。ミステリーによくあるクローズドサークルとは、どうも違っている。話は、思うようには進まない。七隈と律がそれでも事件の可能性を疑い調査を進めていると、再び不審な出来事が起きる。
通常のクローズドサークルものの場合、警察が介入しない閉ざされた場所で殺人が続き、生き残った者たちのなかに犯人がいるというサスペンスが描かれる。次に死ぬのは自分かもしれないという恐怖が、登場人物たちを突き動かす。犯人が特定されたり、全員が死んだりしない限り、新たな犠牲者が誰かはわからないまま“どうせそろそろ死ぬんだし”という物語進行が続く。
ところが本作の場合、余命が長くない人ばかりだ。ベッドから起き上がれないほどではなく、薬を飲んだり自分で注射をするなどして体を保っているから外泊もできるわけだが、すぐ死んでもべつに不自然ではない。逆にいうと、もうじき死ぬ人をなぜわざわざ殺すのかということになる。この奇妙さが、通常のミステリーの進行とは違うズレをもたらしていて、ユーモラスなところも多い。特にいわゆる名探偵とは違う七隈と、優秀そうなのに七隈に弄ばれているようでもある律のやりとりがおかしい。
ミステリーには日常とは異なる要素を入れた作品もあり、近年はその種の特殊設定ものが増えて一般化した。なかにはゾンビ、幽霊、ロボット、アバターなど、生きている人間とは異なる存在が登場し、死生観を問うような物語もある。それらの非現実的な設定に比べれば、余命宣告を受けた者が集う本作はまだ現実的だろうが、病気という誰にでもなりうる身近な現象をあつかっているぶん、日頃の価値観を揺さぶる力は小さくない。『どうせそろそろ死ぬんだし』は、死者も容疑者も余命宣告を受けた人ばかりという特殊な状況で読者を戸惑わせたうえで、さらにいくつかの仕掛けを用意しており退屈させない。