第172回直木賞の注目ポイントは? 書評家・杉江松恋「いずれも着実に作品を発表してきた実力派」
第172回直木三十五賞の候補作が発表された。朝倉かすみ『よむよむかたる』、伊与原新『藍を継ぐ海』、荻堂顕『飽くなき地景』、木下昌輝『秘色の契り 阿波宝暦明和の変 顛末譚』、月村了衛『虚の伽藍』とバラエティ豊かな5作品だが、果たしてどの作品が賞を受けるのかーー。
文芸評論家の杉江松恋氏は、今回のラインナップを受けて、まず「選抜方法に変化が見られる」と指摘する。第170回のアイドル・俳優の加藤シゲアキ、第171回のネット発の覆面作家・麻布競馬場など、近年では「文学」を超える話題性を持った候補が散見されたが、今回はある意味で「順当」な印象があるという。
「一般の読者の方は、突出した話題作がなく地味だと思われるかもしれませんが、いずれも着実に作品を発表してきた実力派で、どの作家・作品が選ばれても不思議ではないラインナップです。
なかでもフレッシュな候補としては、1994年生まれの荻堂顕さんが初めてノミネートされましたが、前作『不夜島(ナイトランド)』で日本推理作家協会賞を受賞しており、着実に評価高めてきました。ウィリアム・ギブスンの〈サイバーパンクSF〉が好きなのだと思いますが、これまでの作品は翻訳SFのような感触で、直木賞候補にはなりづらい面があった。しかし今回の『飽くなき地景』は日本的な題材に寄せて書かれており、受賞しても不思議ではないと思います」
そんななかで、杉江氏は受賞の予想を2作品に絞り込んだ。本命は月村了衛が宗教法人を舞台に描いた犯罪小説『虚の伽藍』だという。
「月村さんは『機龍警察』シリーズという、特殊な設定が入った犯罪小説で人気を高めた作家で、冒険小説からもうサスペンス寄りの作品まで、全般的にミステリ分野で活躍してきました。しかし近年では、ミステリという枠に収まらない、大きな大衆小説を書かれている。例えば、1964年東京五輪の裏側を描いた『悪の五輪』、田中角栄の時代の公安警察を描いた小説『東京輪舞』など、昭和から平成にかけての世相を描き込んだ“大河大衆小説”の書き手として、独自の立場を確立しています。山崎豊子さんや城山三郎さんの系譜に連なる大きな物語の書き手なので、これは評価されるだろうと。169回(2023年上半期)で候補になった『香港警察東京分室』は活劇小説的な警察小説だったので、そういう面で不利だったと思いますが、今回の『虚の伽藍』はじっくりと人間ドラマを描いている。直木賞向きの作品ですし、こちらが本命だと思います」
対抗に挙げられたのは、朝倉かすみ『よむよむかたる』。月村了衛と同じく2回目のノミネートで、やはり今作の方が“直木賞向き”だという。
「161回(2019年上半期)で候補に上がった『平場の月』は大人の恋愛小説で、非常にいい作品でしたが、世相を描く作品に注目しがちな近年の直木賞では、評価されるのが難しいタイプの小説だったと思います。それが、前作『にぎやかな落日』では朝倉さん自身のお母様をモデルに、初めて“老い”というテーマを描き、それが今作『よむよむかたる』につながっています。老人たちの読書会を題材に、老いた方々が日常を楽しく暮らしてくために努力していく様をユーモラスに描いている。“老い”に加えて“読書”というテーマが重なったことで、直木賞で評価される作品になっていると思います」