創立70周年の東京創元社が擁する翻訳ミステリの名門レーベル・創元推理文庫の魅力とは? 現役編集者3名に聞く、長い歴史の中で生まれた傑作群

毛見「やっぱり謎解きというのがこの叢書の魂」

毛見駿介氏

——そういった数々の流れがあって2020年代の現在に至るわけですけど、創元推理文庫らしさとは何か、と考えておられるかをお三方に伺いたいと思います。

宮澤:連綿とある流れとして「謎解きミステリ」があると思います。クイーン、カー、クリスティといったクラシックのロングセラーがあり、アンソニー・ホロヴィッツや、ジム・ケリー、アン・クリーヴスといった現代作家の中でも謎解きの要素が濃くて面白い人たちの作品をずっと紹介しています。一方で初訳から時間の経った定番古典作品は〈名作ミステリ新訳プロジェクト〉という形でアップデートすることもしています。そういう流れが絶えず続いていることが、「創元推理文庫らしさ」の核の一つになっているのではないでしょうか。

アリスン・モントクレア『ロンドン謎解き結婚相談所』

佐々木:一方で先ほども話に出たように、コージー・ミステリを中心としたライトなものも多いのは、昔からの流れです。最近だとアリスン・モントクレア『ロンドン謎解き結婚相談所』(山田久美子訳。2021年刊)とかジャナ・デリオン『ワニの町へ来たスパイ』(島村浩子訳。2107年刊)などがそうですね。読みやすくて気軽に楽しめるタイプの作品もなるべく発掘するようにしています。

毛見:名は体を表すといいますか、推理という言葉が叢書の名前にあるので、謎解きや犯人当てに力を置いた狭義のミステリの印象が強くあります。ホロヴィッツはその代表格で、やっぱり謎解きというのがこの叢書の魂、特色なのかと思います。

宮澤:もう一つ付け加えると、「この方に翻訳してもらえば作品の魅力を最も効果的に伝えられる」というマッチングを重視して、原著者と翻訳者を一対一対応にすることが多いですね。たとえばドロシー・L・セイヤーズだったら故・浅羽莢子先生、シャーロック・ホームズだったら深町眞理子先生。現代作家でいえば、ホロヴィッツは山田蘭先生、ピーター・スワンソンは務台夏子先生にずっとお願いしています。

佐々木:そうですね。新訳を企画するときも、なるべく同じ著者は同じ翻訳者の方にお願いしています。点数の多いジョン・ディクスン・カーやアガサ・クリスティなどは、シリーズで分ける場合もありますが。なるべく同じ翻訳者の方にお願いするというのは、今後も続けていきたいですね。

宮澤「ゲラを積み上げたら佐々木の身長より高くなった」

——さて、ちょっと変わってこれもみなさんに、「初めて担当した創元推理文庫」と、「担当した中で最も印象に残ってる一冊」を伺いたいと思います。

宮澤:私が初めて担当したのは単行本の文庫化で、ミネット・ウォルターズの第四作『昏い部屋』(成川裕子訳。2005年刊)でした。私が入社したころは、編集の仕事に慣れてもらうためにまず文庫化を担当する、という流れがあったんです。『昏い部屋』は、途中に新聞記事が挿入されていたりするので、図版の挿入や字組の変え方など大変勉強になりました。

——ちなみに、オリジナルの第一作はなんですか。

小森収編『短編ミステリの二百年 vol.1』

宮澤:コリン・ホルト・ソーヤーの『ピーナッツバター殺人事件』(中村有希訳。2005年刊)でした。印象に残っているのは、小森収編『短編ミステリの二百年』全6巻(2019年~2021年刊)です。ウェブマガジン「Webミステリーズ!」(現在は「Web東京創元社マガジン」)の長期連載を本にするということになって、さて、どこから手をつけていいのやら、と考え込んでしまいました(笑)。内容自体は本当に素晴らしくて後世に残すべきものなんですが、とにかく分量が多い。小森さんの評論と翻訳短篇の分量がほぼ同じくらいになるというのが前代未聞でしたし、なおかつアンソロジーとしても、評論書としても面白くないといけない。大変でしたが本当に充実した作業になりました。

佐々木:あれは宮澤だからとどこおりなく出せた本で、私はアンソロジーを続けて6冊も作ると考えただけで泣きたくなります(笑)。著者や翻訳者の数が増えると、編集作業がとにかく大変なので……。私が初めて担当した本はジム・ケリー『水時計』(玉木亨訳。2009年刊)でした。わたしは2009年の3月入社なのですが、この本の発売は9月なんですよ。文庫化ではなくて、一からの本作りで、翻訳者の玉木亨先生との打ち合わせも最初から一対一で進めるというスパルタ方式でした。まだ自分の中でミステリについてのジャンル感覚がそこまで発達していなかったので、あらすじやキャッチコピーに全然自信が持てませんでした。先輩編集者にたくさん相談して、なんとか形にできました。今もすごく気に入ってる一冊です。

——一番印象に残ってる一冊はなんでしょうか。

佐々木:『東京創元社 文庫解説総目録』(2010年刊)という本がありまして。弊社が定期的に発行している文庫や単行本の解説目録を、全部まとめたものなんです。50年分くらいの刊行物の情報が載っているため1500ページを超える分厚さで、恐ろしく手間のかかった本なんですが、それを入社一年目からやり始めました。今まででいちばん大変だったのはそれでしたね。

宮澤:ゲラを積み上げたら佐々木の身長より高くなったという逸話があるくらいで(笑)。

『東京創元社 文庫解説総目録』
ミネット・ウォルターズ『遮断地区』

佐々木:『文庫解説総目録』以外だとミネット・ウォルターズの『遮断地区』(成川裕子訳。2013年刊)です。私はサスペンスやページターナーな話が大好きなので、すごく惹かれて、翻訳原稿を夢中で読んだ記憶があります。正義の暴走による暴動や殺人を克明に書いた作品というのが非常に衝撃的で、ウォルターズはもともと好きな作家なのですが、新たな発見がありました。これは早川書房さんの『ミステリが読みたい!』で一位になりました。自分が担当した本では初めての1位だったので、それも嬉しかったです。いまだに本当に大好きな作品で、こういうものをまた手がけたいと思っています。私は入社してからずっと、この作品のような暗くて怖くて重くて辛い、みたいな本ばかり作っていて、最近まで、なぜかかわいい本と縁がなくて重い本専門でした。

宮澤:意外と私の方がかわいい本を作っているんです。さっきのコリン・ホルト・ソーヤーとか、ジル・チャーチルも引き継ぎましたし。実はコージー・ミステリのリリーフ担当です。

——そんなイメージはなかったなあ(笑)。では、毛見さんにも伺います。初めて作品と、最も印象に残ってる一冊は何でしょうか。

フェルディナント・フォン・シーラッハ『刑罰』

毛見:最初の仕事は文庫化です。佐々木が単行本版を担当したフェルディナント・フォン・シーラッハの『刑罰』(酒寄進一訳。文庫は2022年刊)でした。私は大学で刑法を専攻していて、教授から「シーラッハという刑事弁護士のすごい作家がいるから読みたまえ」と薦められて『犯罪』を読んだのが著者との出会いだったかと思います。凄まじい読書体験で、なぜこれだけ淡々と書いているのにこれほど心が動かされるんだろう、と衝撃でした。その著者の文庫化を担当できたことはすごく嬉しかったです。

——なんか、佐々木さんが入社したあたりから編集部はスパルタ方式になっていませんか。

佐々木:スパルタです(笑)。ちなみに、翻訳部門の新入社員は珍しくて、私と毛見の間は12年ぐらい空いています。だから最初からバリバリと鍛えていました。

——では、今のところ一番印象に残っている作品はどれですか。

毛見:今年の3月にジュリアナ・グッドマン『夜明けを探す少女は』(圷香織訳)というミステリを刊行しました。MWA賞YA部門の最終候補となった作品で、不法行為を理由に警官に射殺された姉と、その死の真相を探る妹の物語です。主人公が探偵活動をする動機に芯のあるミステリが私は好きでして、「犯罪のない世界に憧れた姉が、犯罪に手を染めるはずがない」という妹の探偵動機に惹かれ、ぜひ翻訳刊行したいと思いました。

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