私刑、無許可撮影、無断顔出し……弁護士に聞く、肖像権問題の注意すべき点は?
■SNS社会ゆえに発生する肖像権問題
SNSはもはや現代人に必要不可欠なツールになっている。SNSのメリットとして、誰でも気軽に写真を撮影してネットに投稿できる点が挙げられる。こうした特性ゆえ、内部告発や犯罪の報告などにも役立っている面がある。今まで声を上げることができなかった立場の人が声を上げる場として、有益な部分が多いのは間違いないだろう。
その一方で、明らかに肖像権の侵害ではないか、やりすぎではないかと眉を顰めてしまう投稿が見られるのも事実である。肖像権について、法律上の明文規定はないが、多くの裁判例はこれを、みだりに自己の肖像や姿を撮影されたり、撮影された写真をみだりに公開されない権利と理解しているものと思われる。しかし、スマートフォンを手にしたせいで、ごく普通の一般人が肖像権を侵害していると思われる事態が頻発しているのだ。
例えば、「変な服装のおじさんがいた」「気持ち悪い顔の人がいる」などの理由で、無断で撮影した写真をネットに投稿する例は非常に多い。しかも、それを普通の人がやっているのだ。「ファミレスでバカ騒ぎするマナーの悪い集団がいた」などは問題なのかもしれないし、不快になる気持ちもわかるが、だからといってネットに晒す必要があるのだろうか。
ネット上に多い“マナー警察”は、自分たちが正義だと思っているため、こうした投稿をする傾向がある。駅で唾を吐いていたとか、禁煙の場所でタバコを吸っていたとか、電車の中で暴言を吐いていたとか、そういう人を見たらその場で注意すればいいものを、わざわざ撮影してネットにばらまくのである。
■“私刑”に問題はないのか
人々がスマートフォンとSNSを手にしたことによって、現代の日本は江戸時代の村社会を遥かに超える監視社会・密告社会になっているようにも思う。このような“私刑”は肖像権の観点から問題はないのだろうか。三村小松法律事務所の田邉幸太郎弁護士に話を聞いた。
――無断で写真や動画を撮影し、ネットに公開する行為が問題になっています。これは肖像権の侵害ではないでしょうか。
田邉:最終的には具体的な写真や動画の内容次第ですが、肖像権の侵害にあたる場合があると考えます。例えば、電車内で泥酔して座席を複数使っている人や、喧嘩をしている人に焦点を当てた写真や動画がよくSNSにアップロードされているかと思います。撮影されたのは公共の場所ではありますが、著名人ではない一般人ですし、本人には撮られた認識がないのに大写しで、しかも泥酔や喧嘩など一般的に羞恥心を覚えるような私生活上の状況を撮影され、公開されてしまったということになります。その撮影や公開の目的も、報道目的ではなく、揶揄や嘲笑の趣旨のものもあるでしょう。このような態様で撮影や公開がされた場合には、それは肖像権を侵害する行為であると判断される可能性があると考えます。
――ネット上で見かける写真は、ほとんどがそのパターンですね。
田邉:もちろん、投稿された画像や動画の顔にモザイクがかけられていたり、一定の画像処理をして、誰なのかおよそ判別できないような状況になっていれば、そもそも人の肖像を利用したとは言えないでしょう。判別できる場合でも、大勢を写した中でたまたま泥酔や喧嘩の状況が写り込んだのであれば、評価は変わり得ます。
――芸能人が主張するパブリシティ権は肖像権と似ているように思いますが、どう違うのでしょうか。
田邉:パブリシティ権とは、ごく簡単に言えば、その肖像などに商品の販売等を促進する顧客吸引力のある人が有している権利で、この顧客吸引力を排他的に利用する権利をいいます。例えば、芸能人や声優、スポーツ選手、著名な実業家などが有する権利で、すべての人が有している権利ではありません。対して、肖像権は有名無名を問わず、誰しもが持っているものです。
■ネット社会の広がりで肖像権の注目度が上がった
――肖像権に関する議論はひと昔前からありましたが、現代の肖像権の問題とは、かなり異なっているように思います。
田邉:昔は、メディアが取材の過程で写真を撮影し、それを週刊誌や新聞に掲載したという事例が典型例だったように思います。例えば、写真週刊誌のカメラマンが、刑事事件の法廷で手錠や腰縄を付けられた状態の被疑者を隠し撮りしたことなどの是非が、問題となった事例が有名ですね。
――ネット社会になってから、一般人にとっても肖像権が身近なテーマになり、注目されてきたように思います。
田邉:確かにそうかもしれません。現代は“一億層クリエイター時代”と言われて久しいですが、マスコミのような高価な機材がなくても、スマートフォンなどで写真や動画がすぐに撮影できますし、週刊誌や放送メディアと繋がりがなくても、撮影したものを個人のSNSアカウントで簡単に世に発信できるようになりました。そのため、昔よりも身近な問題として肖像権にフォーカスされるようになったのだと思います。
――しかし、どのレベルで肖像権が侵害なのか、判断が難しいケースも多いのではないでしょうか。
田邉:もちろん、写真撮影のすべてが侵害になるわけではありません。そもそも肖像権は著作権のように法律で明文化されているわけではなく、判例で認められているものですので、どのような場合に撮影が違法と評価されるのかということについても判例が参考になります。判例は、撮影される人の社会的地位、撮影された人の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性などの様々な要素を総合的に考慮して、社会生活上受任の限度を超えるものといえるかどうかで、写真撮影が侵害となるかどうかを判断するものとしています。「これはOK」「これはNG」と明快に決まっているわけではないので、どうしても曖昧な部分はあります。
――はっきりと決まっているわけではないのですね。
田邉:総合考慮は人によって区々になる可能性もあるわけですが、判断の客観化という点では、2021年4月にデジタルアーカイブ学会が公表した「肖像権ガイドライン〜自主的な公開判断の指針〜」という資料の考え方が参考になります。これは公開目的や写真の性質に応じてポイントを割り振ることで、総合考慮の客観化を目指そうとしたものです。デジタルアーカイブ機関における肖像権処理を行う際の参考資料ではあるのですが、実務上も参考にしています。
■自分が同じことをやられたらどう思うか
――これらのガイドラインを踏まえると、やはり電車の中で他人の顔を勝手に撮影するのは褒められたものではありませんね。
田邉:そうですね。冒頭でも電車内で泥酔して座席を複数使っている人や喧嘩をしている人の例で考えてみましたが、これはこのガイドラインの考え方も踏まえています。相手が誰であろうと、承諾を得ることなく電車内で撮影をすることは、肖像権との関係でリスクがあると考えておくのがよいと思います。判例では、みだりに容ぼう等を撮影されないということだけでなく、容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されないということについても人格的な利益があると述べていますから、撮影行為だけではなく、承諾を得ずに撮影したものをSNSなどで公開する行為にもリスクがあると考えておくべきです。
――肖像権を巡る、新しいトピックはありますか。
田邉:議論自体は以前からあるものですが、表立ってよく聞くようになったという意味ではやはり生成AIと肖像権のトピックかなと思います。生成AIは、AI開発・学習の段階と、生成AIを用いて生成・利用する段階で分けられるのですが、AI開発・学習の段階では、ネット上に数多く存在している人の肖像を写した写真を、その被写体の許諾を得ることなくAI学習のデータに利用してしまって良いのかといった点が議論されています。
――生成AIにまつわるトラブルは、今後頻発しそうな予感がします。
田邉:また、生成・利用段階については、そもそもAIが生成した画像に人が写っていたとして、それが特定の人物の肖像を利用したといえるのはどのような場合かということが議論されています。当然まだ裁判例はありませんが、今後、生成AIが今以上に人々の生活に浸透していくことになれば、このような点について考えなければならない状況は増えていくでしょうね。
――なんだか、話を聞いていると一般人にとってSNSはリスクが大きいですね。やらないほうがいいんじゃないですかね(笑)。
田邉:自分を表現できて、それを自分で発信する媒体を持つことができるという点では、SNSはとても魅力的だと思います。ただ、自分で書いた本や記事の宣伝とか、自分で作った料理を投稿して見てもらうといったようなことを超えて、他人が介在してきたときには、その人に対して配慮することを考えないとリスクが大きくなってしまいます。月並みですが、“自分が被写体の立場で同じことをやられたらどう思うか”という想像も大事かもしれません。
■画像をUPすべきかどうか、熟考するべき
田邉弁護士が指摘するように、ネットに無断で写真をUPするのはリスクだらけだ。それに、写真に写っていた風景などから自宅が特定されるなど、二次被害が生まれることもたびたびある。「変な人だ」と言って顔を晒した相手から訴えられるケースも考えられるだろう。
また、写真や動画を投稿してバズると、マスコミから「無償で動画を使わせてほしい」という問い合わせがあり、対応する手間が増えることもある。投稿前に、画像をUPすべきかどうか、熟考するべきであろう。ネットは不特定多数が見るものだ。このことを肝に銘じて、快適なネットライフを送りたいものである。