湊かなえ、作家生活15年目の到達点 「『告白』ぶりに、自分が読みたいものを思う存分書けた」
鮮やかであればあるほど目を奪われて、その印象に踊らされてしまう
ーーどんな出来事も、解釈次第で最高にも最悪にも転じるというのが、湊さんの作品に通底するテーマだと思うのですが、それが今作では蝶と結びついて描かれるのが、非常におもしろかったです。特性によって、被害者の少年たちにあてがわれる蝶が違うのも、おもしろかったです。……解体されて標本にされているので、おもしろかったというのは語弊がありますが。
湊かなえ:いつも私は登場人物の履歴書をつくるのですが、今作においては「この子はどういう人だろう」ではなく、まず蝶のオーディションをして選別したあと、登場人物の性格をかたちづくっていきました。たとえばレテノールモルフォは、表から見ればサファイアのような青い輝きを放っているけど、裏を見れば枯葉のようにも焼け跡のようにも見える。そんな蝶のような性格の少年はきっと裏表があるだろう、という具合に。そんなふうに、人間を特性から考えるのは初めてだったので、新鮮でした。
ーーここで蝶の説明をしすぎるとネタバレに繋がってしまうので控えますが……6人の少年たちが一様に絵を描くというのもおもしろかったですね。何を描くか、どう表現するかでも、「人によって見えている景色が違う」ことを表現されていました。
湊かなえ:「どんな景色を見ているか」がこの作品のテーマでもありますし、四原色の目を持つ画家も登場させたかったんです。それで、史朗の昔馴染みであり、彼の人生を決定づける一人となった留美を登場させました。史朗に絵を描く才能がないというのは、その対比ですね。「父と息子の話を書いてほしい」という読者の方からのリクエストにこたえたかったので、あくまで留美は脇役でしたけど。
ーー今作は、読者である私たちも「見えていると信じているもの」が次々とひっくりかえされる構成になっていて、湊さんが15年で磨き上げてきた技巧の凄味も感じました。最初にお話したように、史朗さんの手記としての文体もさることながら、章ごとにリズムやスピードも違いますよね。抑制がきいているところと、ギアがあがるところ。その切り替えも巧みで。
湊かなえ:ありがとうございます。まずね、第一章の手記だけで一冊の本として成り立つようにしよう、と思ったんです。我が子にまで手をかけた異常殺人犯、怖いなあ、おぞましいなあ、と読者が思ったところで景色が変わる展開にしようと。そのためには各章の読み心地も変えた方が効果がある。連載小説なら各章のページ数をそろえた方がいいけれど、書き下ろしなので区切りのつけ方も変則的にすることで、抑揚がつけられるなと思ったんです。意図的にバランスを崩すことで、読者を驚かせようと思いました。
ーーなるほど……!
湊かなえ:あと、今作ではあえて目次をなくしました。章タイトルを見ると、展開の予想がある程度ついてしまうので。ほかにもいろいろ考えました。絶対に原稿用紙400枚で書こうとか。私のなかで、一晩で一気読みできるエンタメ小説の長さはだいたいそれくらいなんです。『告白』もそうですし、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』もそう。
ーーそんなところまで……!
湊かなえ:装丁もこだわりました。デザイナーの片岡忠彦さんは、『告白』や『落日』、『ブロードキャスト』などでもお世話になった方なので、私の望むイメージをお伝えして、カバーをはずした本体の部分にも趣向を凝らしていただいて。あとはなんといっても、口絵ですね。
ーー少年たちが標本化されたイラスト。どこか官能的な美しさがありますが、作中の描写と照らし合わせるとぞっとさせられもするという……。すばらしかったです。
湊かなえ:描いてくださった高松和樹さんはものすごく人気がありお忙しい方なので、一枚描いていただけるだけでもラッキーだなと思ったら、まさかの6人分描いてくださって、感激しました。この口絵は電子版にも文庫化された際にも収録されないので、単行本だけのお楽しみです。みなさんが、ずっと手元に置いておきたくなる本になるといいなあと思って。装丁もまた、紙の本ならではの魅力だから。
ーーそのイラストが美しいからこそ、標本に固執する狂気がうっすら理解できてしまう気がするのが、おそろしかったです。同時に、美しさにとらわれてしまう私たちに「見えるものを信じすぎるな」と突きつけてもいるようで……。
湊かなえ:どうしても、惑わされてしまいますよね。私自身、色覚のおもしろさにとらわれて考え続けているうちに、色で表現されているものがすべてであるような錯覚に陥ってしまった。色を省いた表現だって、この世には多く存在しているのに……。鮮やかであればあるほど私たちは目を奪われて、その印象に踊らされてしまう。色だけでなく、人は何かに名前を付けてカテゴライズすることで、視野を狭めてしまうところがありますよね。自分に理解できない相手を、サイコパスと呼ぶのもそう。わかりやすいものを中心に置いて、理解する努力を怠ってはいけないし、本質を見失わないようにしなければいけない、というのは今作を書きながらも強く感じていました。