立花もも 新刊レビュー 思わずぞっとする恐怖作から青春群像、花にまつわるものまで、今読みたい4作品

山本幸久『花屋さんが言うことには』 ポプラ社

  山本幸久さんの書く女性が好きだ。うまくいかない現実に卑屈になっているのに、湿ったところが全然なくて、どこか開き直ったようなふてぶてしさがある。だからか、おとなしそうに見えて、意外と頑固で、喧嘩っ早い。でも、特別な人間というわけでもないのに、世間に従順ではいられない不器用さがいとおしい。これは本作の主人公・紀久子のことだが、彼女に限らず、みんなどこかカラッとしていて、読んでいると身の内にあるうじうじとした湿気が全部、抜けていくような感じがする。

  夢だったグラフィックデザイナーにはなれず、就活で唯一拾ってくれたのは、セクハラパワハラ労基違反が当たり前のド・ブラック企業。退職しようとすれば恫喝され、困り果てていた紀久子を助けてくれたのは、年に一度だけ利用する花屋の店主だった。ついでにバイトとして雇われ、フラワーアレンジメントなども任されながら、人にも街にもなじんでいくのは、決して物語がフィクションだからではなく、デザインを学んで培われた美的センスと、ブラック企業に2年間も勤めあげた、まじめで実直な性格ゆえだろう。

  訪れる客たちに向き合い、悩みを解決し、ただ行き過ぎるだけだった街の風景に目をとめ、世界を広げていくことで、紀久子は再起する力を育てていく。回り道になったとしても、望んだかたちではなくても、努力し続けてきたことはきっと、なんらかのかたちで芽吹くはず。たくさんの人と花(言葉)に寄り添われながら未来を切りひらく彼女とともに、私たちも心に開花の季節を呼び寄せる。

阿部暁子『カラフル』(集英社)

  これは差別ではなく区別である、という言葉が昔から本当にきらいで、差別だろうと区別だろうと、される側にとっては同じ、する側の罪悪感をぬぐうための詭弁じゃないかと思ってしまう。

  けれど、言いたくなる気持ちもわかるのだ。差別しているつもりなんて本当にないし、「普通」とは違う人たちに対して機会が不平等になるのは、ある程度「しょうがない」じゃないかという気持ちも。あなた一人のために多数の手をわずらわせ、ルールをねじまげようとするのは「わがまま」なんじゃないかと、私も思ったことがないとは言わない。だからこそ本作で主人公が放ったセリフが突き刺さる。

 「物事が問題なく進むために、誰かが犠牲になってることを『仕方ない』で済ませようとするのが差別なんじゃないかって、俺は思う」

  言った当人、主人公である伊澄も、それまではどちらかといえば他者の心の機微に無頓着な少年だった。だが高校の入学式当日、彼は出会う。逃げるひったくり犯を、体を張って止めようとした車椅子の少女・六花に。「あんた車いすなのに」とつい言ってしまい「私は車いすユーザーの人間であって車いすじゃない」と言い返されてしまうほど、無遠慮に車いすを操作して怒らせてしまうほど、彼もまた、何も知らずに、考えずに生きてきた。

  そんな彼が上記のセリフを発したのは、決して自身も、怪我で陸上の夢を諦めた経験があるからではない。クラスメイトになった六花という人に日々向き合って、車いすでも車いすユーザーでもない、一人の人間として彼女を知って、どうすればともに心地よく学園生活を送れるかを考えていたからだ。ちなみに二人の間には甘酸っぱいすれ違いの恋愛模様が描かれていくけれど、伊澄の六花に対する誠実さは決して恋ゆえに育まれたわけではない、ということも追記しておく。

  爽やかな青春群像でありながら、差別とは何か、配慮とは何かを深く突きつける本作。大人も子どももぜひ、読んでほしいと思う。

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