大正時代を描く物語に新たな秀作誕生 浅草オペラの世界を伝える『浅草蜃気楼オペラ』演劇への熱き想い

 こうしたストーリー上の企みとは別に、ふたりの扱いには、もうひとつの意図があったように感じられる。大正期の浅草オペラの全体像を捉えることだ。浅草オペラとは、浅草を中心に流行したオペラやオペレッタのことだが、かなり人材の流動や離散集合が激しかったらしく、全体像が見えづらい。事実、妙子も、何度も所属先を変えている。そのような複雑怪奇な状況を、ふたりを別々に動かすことで、幅広く描こうとしたのではなかろうか。

 もちろん妙子とハルだけではない。本書には実在の人物が、次々と登場する。浅草オペラの立役者のひとりである高木徳子。ローシーに見いだされた田山力三。後に、ミラノのスカラ座の専属になる原信子。先に触れた、沢モリノと石井獏。他にもたくさんの実在人物が、生き生きと躍動し、浅草オペラの世界を読者に伝えてくれるのだ。

 なかでも田谷力三の描き方は、注目すべきものがある。妙子やハルと仲良くなり、人気者になってもその関係を続ける力三。淡い三角関係も含め、本書は三人の青春の記録にもなっているのだ。浅草オペラの時代を、虚実を融合させて活写した秀作なのである。

 なお大正時代を舞台にした作品だと、どうしても気になるのが大正十二年(一九二三)に起きた関東大震災の扱いだ。活動写真の台頭という時代の趨勢もあるが、関東大震災によって浅草という拠点が灰燼に帰したことにより、浅草オペラは急速に衰えていく。作者はこれを承知の上で、本書のラストの場面を創り上げた。そこに込められた演劇への熱い想いに、激しく心が揺さぶられるのだ。

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