一冊の本が人生を変えるーー宮﨑駿『君たちはどう生きるか』は“本の力”を描いた映画だった

※本稿は、映画『君たちはどう生きるか』(宮﨑駿監督)のネタバレを含みます。同作を未見の方はご注意ください。(筆者)

 あなたは一冊の書物に人生を変えられたことがあるだろうか。ある、という方だけ以下のテキストを読んでいただければいいと思うが、宮﨑駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』は、一言でいえば、そんな“本の力”が描かれたアニメーション映画だ。

 主人公の名は、眞人(マヒト)。かつて母を火事で失った11歳の彼は、父・勝一とともに東京を離れ、和洋折衷の庭園家屋「青鷺屋敷」へ引っ越すことになる。

 そこで待っていたのは、母の妹であり、父の再婚相手でもある夏子だった。亡き母と瓜二つの新しい母に複雑な感情を抱き、自らの殻に閉じこもってしまう眞人。そんな彼の前に、青鷺でもあり人間(?)でもある謎めいた「サギ男」が現れるのだったが……。

 一方、青鷺屋敷の敷地内には土砂で埋まった塔(洋館)の廃墟があり、その建物のかつての主(あるじ)は、本を読みすぎて姿を消したという大伯父だった。実はその搭は、「下の世界」と呼ばれる生と死が渾然一体となった異界へと通じているのだが、やがて眞人は、“2人の母”を救うため、サギ男の導きでその中へ足を踏み入れることになる――。

主人公を成長させるメンターは一冊の“本”

 すでに多くのメディアでも報じられているように、本作は、吉野源三郎の同名小説をアニメ化したものではない。むしろ、ストーリーの骨子として近いのは、(これまた多くの論者が指摘しているように)ジョン・コナリーの『失われたものたちの本』だろう(こちらの物語でも、母親を亡くした孤独な少年が、父親の再婚相手とうまくいかず、異界に迷い込んでしまう)。

 ただし、物語の最も重要な場面で、吉野源三郎の小説は登場する。

 ある時、ひょんなことから眞人は、亡き母が成長した彼のために遺した本を見つける。それが吉野の『君たちはどう生きるか』なのだ。

 眞人は夢中でその本のページを捲り、やがて目に涙を浮かべることになるのだが、この時の彼の心境の変化は、実はわかりやすい形では表現されていない。しかし、この読書体験が明らかに彼の“生き方”を変えたのは間違いなく、じっさいその後、彼は異界へと誘(いざな)われた夏子を救うために、危険を顧みず、搭の中に入っていくのだ。

 その姿こそが、もしかしたら、これまでのいくつかの宮﨑作品の主人公たちと、今回の主人公・眞人が大きく異なる部分だといえるかもしれない。

 たとえば、『魔女の宅急便』、『紅の豚』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』、『ハウルの動く城』、『崖の上のポニョ』といった作品では、極論すれば、「主人公が自らにかけられた“呪い”とどう向き合うか」が大きなテーマの1つになっていた。

 しかし、眞人は、自分ではなく、他者にかけられた“呪い”を解き放つために、異界へと足を踏み入れるのだ。むろん、彼自身にも乗り越えなければならない「悪意」という名の“呪い”はあるのだが、それについては実は、吉野の小説を読んだ段階ですでに解かれていた、ともいえるのである。

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