冒険家・角幡唯介が犬橇を始めた理由とその目論み 「犬と人間が一致団結するというのはファンタジーに過ぎない」

角幡氏が描きたいこと

写真=竹沢うるま

——本書で角幡さんは、その土地の自然にねざしたナチュラルなやり方の旅を「真の旅行力」と呼んで、それを具象化したのが「エスキモーの旅である」と書かれています。かつての「エスキモー」たちにも、そうした移動の根源的な喜びがあったのでしょうか。

角幡:自然とか土地の中に流れみたいなのがあって、そこにうまく入り込んでいくことで自分が成立するっていうかね。自分の移動だとか存在そのものが成り立っているような喜びですよね。今自分がやってることっていうのは、ある意味で文化人類学的なアプローチでありたいなと思ってるんですけど、その従来の文化人類学って参与観察みたいな、一緒に行動するんだけどそれを対象として見てるわけですよね。自分の場合は観察じゃなくて「エスキモー」の行動原理とか視点みたいなものを自分の中に取り込んで、そこから見えてくる世界みたいなのを描きたいなと思っています。文化人類学者は観察するんだけど、僕は観察じゃなくて行為そのものをエスキモー化することで、彼らが見ていた世界っていうのを記述できないかなというのが、ひとつ目論んでいることですね。

旅や冒険を文章で表現するということ

——今の世の中では冒険や体験そのものを動画やSNSで発信して、共有したり伝えたりするのが一般的ではありますが、角幡さんのこれまでの著作では写真などもあまり撮られてないですね

角幡:僕は文章を書く人間ですから、もちろんそれは文章で表現したいからです。僕みたいなフィールドをやってる人間にとっては、表現の受け取り側として動画というのはすごく有効なツールだと思うんです。文章でいくら読まされたってなかなか想像できないしそれはよくわかる。動画見たほうがわかりやすいに決まってるわけですよ。でも、それは受け取り側の問題であって、僕の問題じゃないんです。無責任かもしれないけれども、僕がやりたいのは自分の行動を文章で表現するっていうことなんです。あと書くことによって自分の思考が深まっていくというのもあります。普段はぼーっとしてあんまり思考できない人間なんですけど(笑)

違う価値観をぶつけることは書き手の責任

——この『犬橇事始』に興味を持たれた方にひとことお願いします。

角幡:違う世界を見てほしいなってことですかね。やっぱり狭い世界に閉じこもって価値観を作り上げちゃってると、どうしても自分を相対化できないと思うんですよね。なんで僕が自分の経験だとか、社会的になんの生産性もない、全く意味のない話を書くかっていうと、やっぱりそれは読者に自分の価値観みたいなのを相対化してほしいからです。

  犬の話ひとつとっても日本の愛犬主義とはまったく違うことが書いてあるわけですよ。だけど、犬との付き合い方でも、愛玩的なものではない付き合い方、もっとこう自分の生活、実存そのものが犬に結びついてしまっている文化っていうのがある。そういう文化は、もしかしたら愛玩主義的な考え方からするとちょっと気持ち悪かったり、残酷だったりと信じられないものがあったりするかもしれないけれども、どっちが生き物としての犬の存在から見て正しいのかって考えると分かんなくなるわけですよね。

  むき出しの荒野の中で白クマを追いかけてひたすら橇を引いて野生の本能のまま動く犬が正しいのか、家の中で服を着てドックフードを食べて1日30分ぐらい散歩してもらうことが犬にとって居心地がいいのか、これは分かんないわけですよ。この本を読んだときに、もしかしたら何か自分の考え方が相対化されるかもしれない。冒険だとか探検だとかっていう、ある意味社会的に無意味なことを書くっていうのは、やっぱり時代だとか、社会の常識を揺さぶるっていうのがひとつの役割だと思うので、そういうふうに読者がちょっとザワザワして視点がちょっとでも相対化されたらいいですね。

——この本はだいぶザワザワしますね

角幡:なんかムカつくな、でもいいと思う。誰もが喜ぶような分かりやすい話にしてしまうと書く意味がない。その価値観は本当に正しいのかって、ある種の異議申し立てをすることが必要だと思うんですよ。違う価値観をぶつけるっていうのは書き手の責任だと思うんです。じゃないと同じ方向に染まっていっちゃって、そこからはみ出たものは全部排除してしまうような、今は結構みなそういう感じじゃないですか。それがすごく嫌だっていうのがありますよね。

写真=すずきたけし

角幡唯介(かくはたゆうすけ)
1976年北海道芦別市生まれ。早稲田大卒。探検家・作家。チベット奥地のツアンポー峡谷を単独で二度探検し、2010年『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(集英社)で第八回開高健ノンフィクション賞、11年同作品で第四二回大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。その後、探検の地を北極に移し、11年、カナダ北極圏1600キロを踏破、13年『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』(集英社)で第三五回講談社ノンフィクション賞。16〜17年、太陽が昇らない冬の北極圏を80日間にわたり探検し、18年『極夜行』(文藝春秋)で第一回Yahoo ! ニュース 本屋大賞ノンフィクション本大賞、第四五回大佛次郎賞。ほか受賞歴多数。19年から犬橇での旅を開始、毎年グリーンランド北部で2ヶ月近くの長期狩猟漂泊行を継続している。近著に『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』(集英社)。

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