石井光太『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』(中田英志郎)
親による行き過ぎた教育が、「教育虐待」と呼ばれることが増えてきた。それは、かつてはスパルタ教育と言われたものも含む。当然として、あるいは子どもが何らかの形で成功を収めたケースでは称賛の対象ともなる。よって、教育と虐待の線引きは容易ではない。しかし、一方的に親が理想を子どもに押しつけ人権を侵害するのは、教育ではなく違法行為だ。行き過ぎにより、教育の名のもと親が子を殺害した事件、または体力差が逆転し子が親を殺害した事件などを、衝撃をもって社会は経験してきている。
教育を巡っては、「育児放棄」「教育格差」「親ガチャ」など、時代を反映し問題を切り取ったキーワードが次々と世に放たれていく。しかし本書を読み、「教育虐待」の周囲に拡がる闇はことさら暗く感じられた。親も子も相手は選べない。親自身が幼少期に受けた教育を、負の側面まで子の世代に引き継ぐ。これらは教育全般が抱える問題だろう。それに加え「教育虐待」は、親が自分の指導を正しいと信じ、子もそれが当然だと感じているケースも多い。周囲も介入に躊躇し、当事者も考えを改めることに困難を伴うだろう。自立前の子どもには逃げ場はない。それでも彼らは未来を担う社会の大切な資産である。本書により、僅かでも世の認識が深まることを祈るばかりだ。
藤井直敬『現実とは? 脳と意識とテクノロジーの未来』(杉本穂高)
「現実とは何か?」なんてあまりにも自明すぎて、そんなことを問う人はほとんどいない。だが、本書はまさにその自明すぎる現実というものを改めて問う。現代では、神経科学や脳科学、テクノロジーの発達によって、現実とは個々人によって異なる体験なのではないか、という実感が急速に広がっている。これからの時代、今までのように皆が現実を共有して生きているとは言えなくなるかもしれない。そんな時代を迎える現代人全てにとって、本書の問いは切実なものだ。
本書は、著者である脳科学者の藤井直敬氏が「現実科学レクチャーシリーズ」と題して2020年から実施しているオンラインイベントを書籍化したものだ。ゲストスピーカーは、解剖学者や情報科学者に言語心理学者、エンジニアから能楽師と幅広い人選で、多角的に「現実」についての議論が展開される。
VRやAR、AIなどテクノロジーによって拡張される現実、能という伝統芸能における現実認識、脳の働きと現実の認識を検討するものなど、実に様々な観点から「現実」というひどく曖昧な、しかしだれにとっても重要なテーマを考察する。本書の読後感は、著者が書く通り、「当たり前すぎて疑うことがないが、疑い始めるとわからなくなる」(P6)といったものだが、不思議と嫌な気分にならず、霧かかった視界が開けるような爽快感がある良書だ。
杉江松恋
1968年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒。書評を中心に文筆活動を行う。著書に『路地裏の迷宮踏査』『ある日うっかりPTA』『浪曲は蘇る』『100歳で現役! 女性曲師の波瀾万丈人生』(玉川祐子との共著)他。
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1984年、愛知県生まれ。ライター。ダ・ヴィンチ編集部勤務を経て、フリーランスに。文芸・エンタメを中心に執筆。橘もも名義で小説執筆も行う。代表作に『忍者だけど、OLやってます』シリーズ、ノベライズに『透明なゆりかご』『小説 空挺ドラゴンズ』など。
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文芸・ノンフィクション・音楽を中心に書評を執筆。共著に『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社)、『村上春樹の100曲』 (立東舎)。
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中田英志郎
書店勤務を経て、現在は出版社に勤務。書店時代は書評の執筆に加えて、周りを巻き込むフェアの仕掛け人として暗躍。読書の守備範囲は社会科学・言語学・人文一般・ノンフィクション・日本近代文学など広め。7000冊を超えた頃から読書記録をつけることをあきらめている。
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映画ライター。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。
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