寡作ながらすべての著作が文学賞を受賞 小田雅久仁の最新刊『禍』唯一無二の面白さ

 まず最初に、小田雅久仁の著書を並べておこう。

『増大派に告ぐ』2009年刊(第21回日本ファンタジーノベル大賞)
『本にだって雄と雌があります』2012年刊。(第3回Twitter文学賞国内編第一位)
『残月記』2021年刊(第43回吉川英治文学新人賞、第43回SF大賞)

 これを見れば分かるように、作者は非常に寡作である。だから最新刊となる『禍』が、今年(2023年)に出版されたのには驚いた。いつの間に執筆ペースが上がったのかと思ったが、中を見て納得。本書は、2011年から21年にかけて「小説新潮」に発表した七作をまとめた短篇集なのだ。けしてペースが上がったわけではない。

 だが、そんなことは小田作品を読める喜びに比べれば、どうでもいいことだ。こんどはどんな物語が飛び出すのかと、ワクワクしながら本を開いた。そうしたら冒頭の「食書」から、やられた!

 物語の主人公は、小説が書けなくなった小説家。ショッピングモールで多目的トイレに入ろうとした彼は、そこで便器に腰かけ、本のページを破りとって咀嚼している女性と遭遇する。異様な状況と、女性の残した言葉が気になり、自分も本のページを咀嚼したくなった小説家。処分する予定の本の中から、『夜更けのマンションで起こること』という中短編集を取り出し、収録されている「魔女」の冒頭を咀嚼する。すると、なぜか物語の世界に入り込むのだった。以後、現実と小説の世界を往還するようになった小説家。しだいに現実が小説の世界に侵食されていく。

 本書の収録作は、どれも幻想と怪奇の狭間を揺曳している。だからといって無理に、ジャンルに紐付けする必要はないだろう。作者が創り出す物語は、唯一無二といいたくなる、オリジナリティに溢れているからだ。他の作品についても、簡単に粗筋を書いておこう。

「耳もぐり」は、行方不明になった恋人を捜す男が、恋人の隣人から奇々怪々な話を聞かされる。「喪色記」は、他人の目に恐怖を覚え、一方で〝眼人〟のいる世界の夢を見続ける男が、自分の目の中から現れた夢の世界の女と暮らし始める。「柔らかなところに帰る」は、帰宅のバスで隣に座った豊満な女に魅了された男が、とんでもない世界に招かれる。

「農場」は、生活に困窮した若者が、鼻(花の変換ミスではない)を育てる〝農場〟で働きだす。「髪禍」は主人公の女が、バイトで奇妙な宗教団体の儀式に参加する。「裸婦と裸夫」は、『外題の裸婦展』に出かけた男が、人々が全裸になるという異常事態に遭遇する。

 こう書くと、いったいどんな話かと思われるかもしれないが、本当にそういう話である。どの話もストーリーの先が読めないが、「喪色記」の中にある〝世界が徐々に冒されてゆくのを見とどける日々が始まった〟という一文が、もっとも内容を的確に表現している。そう本書には、現実が侵食され、いかに変容した世界になっていくかが描かれているのだ。「柔らかなところに帰る」の桃源郷(?)や、「髪禍」の儀式の描写など、作者のイマジネーションが凄まじく、何度も圧倒された。

関連記事