『正反対な君と僕』キラキラ青春ラブストーリーの背景にある、スクールカーストの難しさ
極めて個人的な話になってしまうが、私にとって青春時代はコンプレックスに塗れた日々であった。学生時代に胸を張れる才能も、愛される見かけも持ち合わせていなかった私は、周囲になんとか馴染もうとしてみても上手くいかず、悶々とする日々を延々と繰り返していた。個性を発揮すれば異端者として扱われる。聞く音楽も、お昼休みのトークテーマも、周囲の空気を読みながら選択する。とても窮屈な日々が私にとっての青春時代だ。今では長く付き合いのある、自分を理解し肯定してくれる友人に囲まれている。それは当時があってのことなのだと割り切れているが、それでも当時のコンプレックスは今もなお自分について回る影のように切り離せないままだ。
学生時代、特に10代にとってのコミュニケーションは、社会人のそれと似ているようで大きく異なる。空気を読み、周囲に合わせる。個性を表出することは変わり者として扱われることと隣合せ。あいつと付き合ったら自分も異質な存在として扱われ、今の立場が危うくなるのではないか。見えないスクールカーストに翻弄されることは、多くのティーンエイジャーにとっての悩みのタネだろう。そんな青春時代のコミュニケーションについて描く青春ラブコメコミックが『正反対な君と僕』だ。
主人公はいわゆる女子高生ギャルの鈴木みゆと、図書委員で寡黙な谷悠介。正反対なふたりが織り成すキラキラとしたラブストーリー、というのが本作を読んだ多くの読者がまっさきに抱く印象だろう。
しかし読み進めていくと、ティーンエイジャー特有の煌めきだけでなく、10代におけるコミュニケーションならではの苦みや翳りがリアルに描かれていることにも気が付く。例えばみゆが谷を気に掛けた理由は、他者ばかり気にかけ空気を読んでばかりの自分に対して、谷は周囲の目を気にする空気の読み合いから最初から降りている(ように見える)ことに起因している。一方の谷は目には見えないスクールカーストの存在を気にかけ、みゆが自身と関わることで彼女のイメージが下がることを気にする素振りを見せる。一見すると両者共に立場や他者からの視点を気にしていなさそうな主人公の2人が、実は学校におけるヒエラルキーやポジションを気にかけているのだ。
その中でも最たるキャラクターが平だ。みゆと同じグループで学校のヒエラルキーで上位に立っている平だが、実はいわゆる高校デビュー。周囲から陰口を叩かれ、嘲笑されていた中学時代を抜け出そうと離れた土地の高校を選んだことが示唆される。しかしヒエラルキー下位だった中学時代の考え方は未だに健在で、同じグループのみゆ達を他者評価やポジションに執着している奴らだと心の中では嘲笑している。そんなみゆが谷という、最初からヒエラルキーやカーストから外れた存在と付き合いだすことで、平は混乱する。今まで培ってきた谷の価値観と大きく異なる動きが谷の登場にとって大きくうねりだし、その心情が動く様は本作の中でも特筆すべき部分だろう。