「ジャーロ」編集長インタビュー 「評価がある評論家さんが、売れる本を書けないとは思えない」

 2000年9月に光文社が創刊したミステリ小説の専門誌「ジャーロ」(創刊時タイトルは「GIALLO」)は、2016年に紙の雑誌から電子雑誌へ移行した。2021年に鈴木一人氏が統括するようになってからは、本誌の販売のほか、エッセイ・評論、掲載小説の冒頭部分などを試し読みできる無料版「ジャーロ dash」をスタートさせている。「ジャーロ」は、読者にミステリというジャンル・エンタテインメントをどのように届けようとしているのか。(円堂都司昭/3月30日取材・構成)

仕事にするまでジャンル定義のことは全然知りませんでした

――何年に光文社へ入社したんですか。

鈴木:阪神・淡路大震災、オウム真理教の地下鉄サリン事件があった1995年です。

――もともと編集者志望だったんですか。

鈴木:週刊誌の編集者志望でした。俗説ですけど、入社試験で文芸を志望しても採用人数が少なくて落ちるといわれていたんです。だから、週刊誌の部署がある出版社ではそちらを志望しました。

――当時の読書傾向は。

鈴木:集英社コバルト文庫から読書を始め、筒井康隆さんに触れて大人向けの小説にはこんなとんでもないものがあったのか! と感銘を受けました。SFというより実験小説に近いものを漁るようになって、山田正紀さん、辻真先さんなどをきっかけにミステリに興味を持ちました。でも、仕事にするまでジャンル定義のことは全然知りませんでした。島田荘司さんや綾辻行人さんを読んだことはあっても、本格ミステリの定義とか論争は、まったく把握していなかった。

――文芸編集者になるとは、思っていなかったわけですか。

鈴木:入社して最初は広告部でしたけど、当時の所属長に週刊誌へ移りたいと話してはいました。昔は光文社には人事に希望を届け出るシステムがなかったので。1998年にカッパ・ノベルス編集部に異動したんですけど、なぜこの部署に異動したかはわかりません。編集部に移れるんだからいいだろうと当時の上司にいわれ、僕も、編集者になれるならいいやと感じた記憶があります。異動したのは、宮部みゆきさんの『クロスファイア』が、カッパ・ノベルスから出た年でした。

 初めて作った本は、風間一輝さんの『片道切符』。ノベルス編集部に入ったのになぜか最初に担当したのはハードカバーでした。当時刊行されていたミステリ専門誌「EQ」に掲載された作品で、本にまとめる際、「担当がいないから鈴木君やって」と命じられた記憶があります。

――担当した本で他に印象に残っているものは。

鈴木:自分の担当した本で最初に重版がかかって手応えがあったのは、鯨統一郎さんの『九つの殺人メルヘン』(2001年)です。鯨さんは他社でデビューしたばかりのころに自分でアプローチした作家さんでもあったので、より印象深いです。引き継いだ作家さんで印象的だったのは、西澤保彦さん、辻真先さん。あと当時はまだ当社で一冊も本が出ていなかった平山夢明さん。

――その頃から本格ミステリ系の担当が多かったんですか。

鈴木:どういうものを担当しなさいとはいわれませんでしたし、新しい企画を出すのにも制限はありませんでした。だから、エンタテインメント小説を、自分が趣味で読んでいたもの、好きだったものだけでなく、あまり偏見を持たず幅広く読んでみようと考えていました。

無料でも読んでほしいものと、お金を払わなければ読めないものの差別化が難しい

5月26日発売の「ジャーロ No.88」

――「ジャーロ」は2000年9月創刊ですけど、当時の思い出は。

鈴木:アメリカの「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」と独占翻訳契約をしていた「EQ」が休刊になり、後継誌として「ジャーロ」が創刊されたんです。(詳しい経緯は「ジャーロ」編集部のnoteで語られている。)

――創刊号には、本格ミステリ作家クラブ設立の記事がありましたね。

鈴木:「EQ」のように「ジャーロ」でも海外の雑誌からミステリ短編を翻訳して掲載していましたけど、海外作品中心というわけではなく、国内作品を増やす方針だったと聞いています。それで編集部が、作家さんたちに協力していただけないかとご相談にまわったところ、ちょうど本格ミステリ作家クラブの設立が準備されていて、クラブに関する記事の発表媒体として「ジャーロ」を使ってもらえることになったようです(「ジャーロ」は2020年まで同クラブが運営する本格ミステリ大賞の発表媒体となっていたが、2021年より東京創元社の「紙魚の手帖」へ移行)。

――「ジャーロ」は、サスペンス、ホラー、ファンタジーなど幅広いミステリを掲載しますけど、そんな歴史もあって本格ミステリのイメージが強かった。同クラブの設立と「ジャーロ」創刊もそうですが、2001年に原書房が「ミステリー・リーグ」、2002年に文藝春秋の「本格ミステリ・マスターズ」、2003年に東京創元社が「ミステリ・フロンティア」という新レーベルを始め、2003年に東京創元社が「ミステリーズ!」、講談社が「ファウスト」という新雑誌を創刊するなど、2000年代前半はミステリ関連で様々な動きがありました。

鈴木:本格ミステリがエンタメにおいてメジャーになってきたということで、一連の動きがあったんだと思いますけど、その頃は多数のミステリ小説の話題作・ヒット作を生んできたノベルスという形態の曲がり角でもありました。単行本や文庫でなくノベルスで出すことに意味を見いだせるような、アイデンティティの維持が難しくなった。また、ミステリのなかでも「ミステリ・フロンティア」や「ファウスト」など、必ずしも本格ミステリに作品を限定していないところの方が好調な印象を持っていました。

 僕はその頃、「ジャーロ」に直接かかわってはいませんでしたが、この作家さんを僕が担当するので連載できませんか、こんな企画はどうですかとか、単行本担当として横からかかわっていました。

――「ジャーロ」は2005年頃から国内ミステリ中心の誌面となり、幾度か刊行ペースの変更がありました。2016年には電子雑誌に移行し、2021年に季刊から隔月刊になった。そして、その半年後から鈴木さんが「ジャーロ」を統括するようになりました。

鈴木:光文社では「小説宝石」を紙で発行していて、エンタメを中心とした総合小説誌として誌面作りをしています。「ジャーロ」は、ミステリを中心としたジャンル・エンタテインメントの開発・発表の場所ととらえています。「ジャーロ」を紙で出していた頃、編集部内で、いい作品が載っているということで業界内では一定の評価をもらっているけれど、他のミステリ専門誌に発行部数がおよばないことが話題になりました。媒体価値を上げるために、後だしジャンケンになっちゃいますけど、僕は今の「メフィストリーダーズクラブ」(講談社)みたいなサロン雑誌的な形がいいと考えていました。でも、実現するには課題が多く、会社の方針で電子雑誌になった。関係者だけには紙の見本誌をお送りする形を確保していますが、これは当時の編集長の方針です。そのおかげで、「ジャーロ」の存在感は、電子版のみであるよりは確保できていると思っています。

 僕が編集長になってから始めたのが、「ジャーロ dash」です。作家さんの作品を発表する媒体であると同時に、新刊告知などのプロモーションができる場所を編集部として確保したい。そのために、「ジャーロ」のプレゼンスを高めたい。最近は各社の考え方も変わっていますけど、小説を無料で読ませることにはみんな抵抗がありました。でも、著者インタビューや評論などの読み物を無料で読めるようにすることには、それほど抵抗はないのでは、と考えました。もちろん執筆者の意向は尊重しますが、OKしてくれる方の執筆分だけを本誌から切り出す形で「ジャーロ dash」を作りました。

 僕としては、無料なら読むよという人を増やしたいと思っています。きっかけになりますから。ただ、サイトに記事がアップされているのと違って、電子書籍はアプリがないと読めない。セキュリティに配慮がされているのでコピペはあまりされない半面、読者層が意外に広がっていかない。また、電子書籍のリーダーは海外で作られたものだから、日本仕様に使いやすく作り変えることができない。そこは一朝一夕にはいかないので、今の形を継続しながら少しずつ違うことも模索していきたいと思っています。

――「ジャーロ dash」だけでなく「note」でも本誌の一部記事をアップしていますね。

鈴木:「Book Bang」、「本がすき。」(2023年3月で閉鎖)に以前から「小説宝石」のエッセイや書評を転載していたことがもとになって、「ジャーロ」でも「note」に可能なものは転載するようにしました。「note」を文芸編集部全体の無料コンテンツを載せるものにリニューアルしようかという話もしています。今は、無料でも読んでほしいものと、お金を払わなければ読めないものの差別化が難しい。無料で長編を一気読みできますという企画をしても、その本の売れ行きにネガティヴな影響がないということもある。でも、苦労して書いたものを無料で読まれたくないと考える方もいるだろうし……。今後のトレンドの変化もみながら考えていきたいです。

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