奈良時代、聖武天皇が抱えていた孤独とは? 三宅香帆の『月人壮士』評

 物語は、聖武天皇の死から始まる。

 聖武天皇という名を聞けば、社会の授業を思い出す人も多いのではないだろうか。奈良時代に遷都を繰り返しながら、はじめて仏教の教えによって国を治めることを目指し、その末に東大寺の仏像を建立した天皇。そのような説明が教科書には掲載されている。しかし本書は、決して教科書だけでは説明しきれない、聖武天皇の、ひとりの人間としてのコンプレックスにフォーカスを当てている。彼の「不安」は、結局のところどこにあったのだろうか? 遷都や仏教帰依で知られる天皇の孤独に迫る物語なのである。

 聖武天皇は、晩年、娘の阿倍に天皇の位を譲り渡していた。阿倍が孝謙天皇となった後、聖武上皇は亡くなる。その際、上皇は道祖王(ふなどおう)を皇太子として指名していた。が、ひとつだけ問題があった。道祖王は、直系ではないのだ。

「実は、聖武上皇による『本当のご遺詔』は他にあるのではないか」

 その噂の真偽を確かめることを命じられた道鏡と中臣継麻呂は、関係者に話を聞いてゆく。語るのは、円方女王、光明子、栄訓、塩焼王……。各章は、聖武天皇の周囲にいた人々の語りによって構成される。その中でさまざまな人の言葉によって露になる、聖武天皇もとい、首、の本当の苦悩。それは決して誰にも理解されない、彼だけが知り得る葛藤だった。

 本書は、『小説BOC』で連載された小説家の競作企画「螺旋プロジェクト」で生まれた一作品である。この企画には、とあるルールが存在する。それは「海族」と「山族」の対立をもって日本の物語を描き出すこと。そのため読者は、どのような形で「海」と「山」の対立を描き出すのか期待を寄せることになる。

 本書の場合は、天皇家が「山」の一族、藤原家が「海」の一族、という比喩で描かれる。しかし首の苦悩を生み出したのは、まさにこの対立によるものだった。首の父は文武天皇だったが、首の母は藤原不比等の娘だった。つまりそれまで父母ともに天皇家だった歴代天皇と異なり、自分は藤原家の母をもつ、天皇家以外の血を継ぐ天皇なのであった。「海」の人間が「山」に入ることになった、そのこと自体が首を苦しめていたのだ。

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