批評家・北村匡平が、椎名林檎論に取り組んだ理由「彼女の音楽は適切な言葉で評価されてこなかった」

 映画研究者/批評家として知られる北村匡平氏が初の音楽評論『椎名林檎論』(文藝春秋)を発表した。「文學界」掲載時から大きな話題を呼んだ連載を書籍化した本作。椎名林檎のファースト・アルバム『無罪モラトリアム』から東京事変の最新アルバム『音楽』まで、音楽シーンを刷新し続ける規格外の才能を、歌詞・和音・構成・歌唱などから統合的に論じた画期的な評論集となっている。 

 北村氏は高校時代に初めて椎名林檎の音楽を聴き、衝撃を受けたという。「彼女の音楽に適切な言葉が与えられていないことがずっと不満でした」という北村氏に、本作『椎名林檎論』について聞いた。(椎名林檎作品へのリスペクトが伝わる、“シンメトリー”にデザインされた装丁、目次にも注目してほしい)(森朋之)

——映画研究・評論で知られる北村さんが、椎名林檎について書くことになったのはどうしてなんですか? 

北村:実は映画よりも音楽のほうが接した期間が長いんです。幼少期にピアノを少し学び、中高生でクラシックギターとエレキギターを習っていたこともあって、日常のなかに常に音楽があったし、10代の頃からいろいろな音楽を聴いていて。特に傾倒したのが、レディオヘッドと椎名林檎。レディオヘッドはそれなりに良い評論があったんですが、椎名林檎にはそれがなく、当時から「ぜんぜん音楽自体が評価されてない」という不満があったんです。音楽雑誌も読み漁っていましたが、楽曲に寄り添った評論はほとんどなく、東京事変にいたっては「まったく理解されていない」という印象があって。 

 いつか自分で書きたいという思いはありつつも、映画研究者として活動していますし、“機会があれば”くらいだったんですが、「文學界」の編集長と打合せしているときに、何気なく「いつか音楽評論もやりたいんですよね。たとえば椎名林檎とか……」と言ったところ、「いいですね」と興味を持っていただいて。そこから連載が始まったという流れですね。ただ、実際に椎名林檎について書くことになったときは、正直、戸惑いもありました。立ち向かう対象としては偉大すぎると言いますか。妻も椎名林檎ファンなのですが、「やめたほうがいい。椎名林檎ファンはガチだから」と言われました(笑)。 

——それくらい緊張感を持って執筆を始められた、と。『椎名林檎論』の軸の一つは、「実践的な演奏批評」。表紙には「『読むこと、聴くこと、見ること、演奏すること』を通して椎名林檎の音楽を感じ直すこと」と記されていました。 

北村:これまでも映画やアニメーションを細かく分析してきましたが、対象が何であれ、まずは方法論が重要。今回も「どうアプローチするか?」について考えるところから始めました。歴史的な背景からお話すると、1970年代あたりから学問の世界では、マスメディアの“受け手研究”が盛んに行われてきました。その中心はイギリスのカルチュラル・スタディーズで、そこでは主にテレビ・オーディエンスの受容の問題が扱われてきました。もうひとつはロラン・バルトの「作者の死」(1967年)の影響。簡単に言えば、作者の人生や意図から作品を捉える態度を批判して、作者を作品から切り離し、読者が自由に作品を読む態度を擁護したわけです。この著作は文学だけでなく、その後かなり幅広い領域に影響を及ぼし、映画評論においても“どう読み解くか”ばかりに目が向くようになってきた。その結果、好き放題な評論が膨大に生まれましたが、ノエル・キャロルが『批評について——芸術批評の哲学』(2009年)という本で、芸術家が何をやったのかを理解して作品の価値を見極めるべきだと述べました。至極当たり前のことですが、批評の領域では恣意的に作者は作品から切り離されてきたのです。おそらくこれからの批評は、作家の芸術的な意図を度外視することは難しくなっていくのではないでしょうか。 

 椎名林檎に関する評論もそうです。これまでは彼女が意図していた音楽的な部分はほぼ無視され、過激なビジュアル・イメージ、センセーショナルなリリックばかりが取り上げられていた印象がありましたが、もっと音楽自体について書いたものが読みたいという思いがあって。やはり作り手の視点は無視するべきではないな、と。 


——なるほど。椎名林檎に限らず、日本の音楽メディアでは長らく“自分語り”が多かったし、その弊害も少なからずあったと思います。 

北村:そうですね。『ロッキング・オン』などに掲載されていた評論は、音楽そのものに迫るというより、それを聴いた自分がどう感じたかに重きが置かれていたし、歌詞に焦点を当てたものが非常に多かったように思います。なかには面白いものもありましたが、ぼくはもっと誠実に音楽そのものに向き合いたいと思いましたし、彼女の音楽の練り上げられた構造の素晴らしさと表現力に到達するには、違うアプローチが必要だったんですよね。映画もそうなんですが、音楽は様々な要素で成り立っている。歌詞、メロディ、リズム、和声、歌唱などの連関のなかで楽曲を受け取っているのだから、その複合的な構成を分析しないと、作品自体に備わっている音楽的価値には接近できないと思いました。 

——この本では、“演奏”の経験も重要なファクターになっていますね。 

北村:彼女の発言の引用や楽譜の分析だけでは、昔の実証主義に戻ってしまう。そうではなく、“どう聴こえるか?”という受容の側面と制作の実践を同時に捉えたかったし、そのためには“演奏する”ということが不可欠だったと思います。 

 ぼく自身、高校生のときにバンドをやっていて、エレキギターやアコースティックギターを弾いていたんです。作詞・作曲に加えて編曲もやっていたので、バンドで演奏する際は当然、ドラムやベースなどほかの楽器の音を聴きながら弾いていたし、それぞれの音のバランスや組み合わさり方を意識していたんですよね。その経験を踏まえて、聴くことと演奏することの結びつきのなかで椎名林檎の楽曲を捉えることで、本質に迫れるんじゃないかなと。特に東京事変は、「何をやっているかわからない」と離れてしまったファンもいたように思います。あのバンドがやっていたことを丁寧に説明することで、今まで聴いていなかった音楽リスナーにも届くのではないかという気持ちもありましたね。 

 東京事変は、00年代以降のバンドマンにとってすごく大きい存在なんですよ。メンバー全員が素晴らしいミュージシャンであり、楽曲のクオリティもきわめて高い。既存の形に捉われることなく、常に新しい表現を切り開いてきた姿勢は、レディオヘッドとも通底していると思います。本でも書きましたが、King Gnuの常田大希は浮雲(東京事変のギタリスト)について、「若いギタリストはたぶんみんなリスペクトしてるんじゃないかっていうくらい……浮雲さん以前と以降で結構変わった。J-POPの曲に対するギターのアプローチにかなり影響を与えている人だと思います」とコメントしていますし、それはぼく自身の体感とも重なります。楽曲の巧みな構成なども含め、00年代以降のJ-POPにも多大な影響を与えている。本では椎名林檎と東京事変のアルバムをリリース順に評していますが、わかりやすさだけではなく、時系列をしっかり追うことで、J-POPの変遷を見せたいという意図もありました。それはセールスなどの数字には表れない部分ですからね。 

——確かにそうですね。“椎名林檎”のプロデューサーであり、東京事変のメンバーでもある亀田誠治についてはどう捉えていますか? 

北村:もちろん素晴らしいベーシストだと思っています。東京事変のなかでいちばん好きな音は、ベースなんですよ。ディストーションをかけて歪んだ特徴的な音もそうだし、亀田誠治の音としかいえない絶妙なグルーヴ感をもっている。普通のJ-POPだとヴォーカル中心で、他は控えめにメロディを引き立てる役に徹するものですが、サビでも構わずヴォーカルの音域まであがってきて躍動するプレイもすごく好きで。事変サウンドでは全員の個性的な音がちゃんと聞こえてくる。その絶妙なバランス感覚が卓越していると思います。亀田誠治はプロデューサーとしての手腕もきわめて高い。特に椎名林檎の初期の楽曲は、荒削りな部分も彼がうまくまとめてアルバムに仕上げていったところがあると思います。あと、東京事変における亀田誠治の楽曲はすごくシンプルでピュアなんですよ。他のメンバーの楽曲はかなり複雑だから、あえてシンプルな曲を書いていたんじゃないかなと。そういうバランスの取り方もすごいし、やはり椎名林檎のベスト・パートナーだと思います。

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