『地図と拳』小川哲×『満州アヘンスクワッド』門馬司 特別対談 いま満州を舞台にフィクションを描く意味

 日露戦争前夜から第2次世界大戦まで満州のある地域をめぐり、密偵、都市計画、戦闘など波乱万丈の歴史を語った長編小説『地図と拳』(小川哲)。満州に移住した日本人青年・日方勇が、やむにやまれぬ事情で阿片密造グループの一員となり販路拡大にとり組むマンガ『満州アヘンスクワッド』(原作・門馬司、作画・鹿子)。2作は、様々な国籍、身分の人々が行き交った満州を舞台にした点で共通する。小説家、マンガ原作者である小川、門馬両氏にこの時代を描いた経緯や、歴史とのむきあい方などを語ってもらった。(円堂都司昭/9月9日取材・構成)

※『地図と拳』内では「満洲」と表記

満州はフィクションにする魅力がある

『地図と拳』

――なぜ満州を作品の舞台に選んだんですか。

小川:編集者にいくつか提案された候補の1つでした。書く前は満州について歴史の教科書くらいの普通の知識しかありませんでした。でも、調べていくと、満州には様々な国の人がいて、日本人の間でもいろいろな思惑が入り乱れていて、フィクションにする魅力があると思いました。戦争を描くうえでもいろいろな視点から立体的に描けると感じました。

――小川さんはSF作家としてデビューした時から人工都市に関心がありましたよね。

小川:国家を作ったり、ルールを考えたりに興味がある。だから、『地図と拳』の主題が、都市開発になったんです。

門馬:僕も最初は、満州のことは全然知りませんでした。ただ、ひとつ前にやっていた作品で阿片を登場させていたんです。それで編集さんから阿片を使った物語をやれませんかといわれ、最初は日本を前提に話していたんですけど、調べるうちに満州につながりました。その歴史が面白いし、ロマンがある。満州という名前は知っていてもどんな場所か知らない人は多そうだし、舞台にしたら面白いんじゃないかと、ここに決めました。

小川:僕の場合、最初は高山英華さんでなにか書きませんかといわれたんです。駒沢オリンピック公園などを手がけた建築家で、若手の頃に満州の都市計画に携わった人です。計画は、戦争のために実現しなかったんですけど。高山英華自体をとりあげることにはなりませんでしたが、都市を描くこと自体が満州を描くことになる、そういう小説になりました。

小川哲氏

――お互いの作品についての感想は。

小川:『満州アヘンスクワッド』は、とても面白かったです。連載中のマンガは今10巻までまとまっていますが、たぶん調べている資料が僕と門馬さんは近い。だから、例えば僕はこのマンガが何巻くらいで終りそうか想像できるというか。

門馬:(笑)。

小川:『ONE PIECE』で残りの島がいくつあるかみたいなことなんです。『満州アヘンスクワッド』は、街へ行って造った阿片を売り、次にまた別の街で売り始め、さらに別の街へという進みかたなので、構造はシンプルです。残った都市の数は多くないので、先を想像すると奉天か大連へ行くのではないか。そもそも満州が面白いというか、調べたことを筋道立てて書くだけでフィクションが成立してしまう。本当にいろんな人が集まっていて、ちゃんと新しい国家を作ろうと理想を持つ人がいる一方、制度が曖昧で隙間に入りこもうとする悪いやつもいる。民族の誇りを持つ現地の人々がいて、モンゴル人やロシア人もいる。『満州アヘンスクワッド』は、阿片を題材にしたことで満州の闇が自然と描けている。僕の小説でももっと阿片に触れる予定でしたけど、本筋との関係であまり書きませんでした。だから、マンガを読んで阿片という切り口で満州のカオスが描けるんだなと思い、素直に面白かったです。

門馬:僕は小川さんの短編集『嘘と正典』も読ませていただいて、特に表題作が好きなんですけど、そこにもあった史実とフィクションの合体というか、ストーリーを追うことで勉強できるうえに面白い。そういうスタンスが好きです。『地図と拳』にはそれが見事に出ていて夢中で読みました。とても長い年月が語られて、登場人物もいろいろ入れ替わって残る人がいれば去る人もいる。人の歴史とともに満州の歴史も変わっていく。僕の好みでもあり、素晴らしい作品でした。

――資料にどうあたるかとか、この時代を描く難しさがあったと思いますが。

小川:以前、『ゲームの王国』でカンボジアの話を書いた時、資料自体を探すのが難しかったんですが、満州の場合、逆に資料が多すぎて漫然となんか小説のネタはないかと探していたらきりがない。かといって、情報がありすぎて困るところと、なくて困るところの差が激しい。庶民の生活や風俗とか、フィクションを描くうえで地味だけど重要な情報があまりないんです。一方、人物の話はいっぱいあるので、スキルがいるというと大げさですけど、どの情報を採用するか取捨選択が必要でした。食べものや服装については、資料にはあまりなくて、フィクションに載っていたりする。昼ご飯のシーンがあれば、なにを食べていたかだけでなく、家の形などもわかる。だから莫言の小説などは、かなり読みました。

門馬:昔の密輸のやり方を書いた本や、芥子栽培の方法の本は面白かったです。真面目に芥子の品質を上げようとしていたんです(笑)。

小川:『満州アヘンスクワッド』も産地がどう、純度がどうと、ワインのソムリエマンガみたいな側面がありますね。

門馬:あと、僕が好きだったのは、憲兵隊の手記のような本です。ただ、なかには信用ならない資料もけっこうありますよ(笑)。

小川:やっぱり戦争がからんでいるから。

門馬:マンガの場合、実在した人の名前をそのまま書くか変えるか、迷うところがあります。親族の方も存命の方もいらっしゃるので気をつかいながやっています。

小川:『満州アヘンスクワッド』では、けっこう名前を変えていますものね。

歴史で真偽が不安定な部分は触れにくい

『満州アヘンスクワッド』

――フィクションと事実は、どれくらいのバランスで考えていましたか。

小川:僕はフィクションを書いているという姿勢ですし、それを支える土台として現実があるととらえています。歴史を題材にしてもSFやファンタジーを書いても、そこは変わりません。読者にどの程度リアリティを感じさせるかという書きかたの問題はあるけど、小説を書く以上、フィクションではある。そもそも実際にあった満州の歴史に、僕が責任を負える立場ではありません。ただ、現実にあった出来事を参考にする時は、記述によって傷ついたり怒ったり、嫌な気持ちになる人もいます。それをゼロにするのは難しいけど配慮しつつ、可能な限りフィクションとして面白いものを書く。それで、何年にこういう歴史的な出来事があったと触れる時は、読者も調べたくなるように書ければいいなと考えています。

門馬:やっぱりメインはフィクションで、歴史教科書みたいにはしたくないんです。面白いことが大前提。そこにうまく溶けこむ形で史実が入ればいい。服装や街の風景など見た目がよりリアルになれば、読者も臨場感を味わえていいかなと思ってやっています。

――『地図と拳』に関する小川さんと新川帆立さんの対談では、小説の構造とディテールが話題になっていました。マンガでは原作が構造、作画がディテールにあたりますか。

門馬:そうですね。世界を完成させるのは作画家さんです。『満州アヘンスクワッド』では作画の鹿子さんと資料を共有しているので僕のなかのイメージは伝わっていると思います。服装や細かい装飾などはお任せしているので、そこは作画家さんのパワーですね。

小川:僕が話を聞いたことのある原作者と作画家はだいたい揉めていたんですが……。

門馬:(笑)。

小川:そこは違って、いいコンビネーションなんですね。

門馬司氏

――『満州アヘンスクワッド』を読んでいて、うわぁって思うのは、やっぱり阿片を吸った瞬間の表情ですね。滑稽な変顔にもみえるけど、えらく気持ちよさそうで、いかにもやばい。

小川:あれは小説では描けない。あと、僕のなかではディテールを書いた結果、構造が変わることがあるんですが、マンガでもあるんでしょうか。例えば、作画の方がとてもいいキャラクターを描いてきたら、その人の役割が大きくなるとか。

門馬:あります。殺すはずだったけど、生かしておこうとか。あまりにもいいキャラに仕上がっていたから、これはもったいないとなることはあります。

――戦争の時代を描く場合、どこまで踏みこんだ表現にするか、難しいことはありませんか。

門馬:小説で書いてはダメなことってあるんですか。

小川:小説で書いちゃいけないこと……。ダメなことはないと思います。ただ、マンガも同じでしょうけど、歴史の真偽について意見が分かれる部分を書いた際に読者が限定されるリスクはある。僕が怒られるリスクはどうでもよくて、ある層の読者を失ってしまうリスクです。歴史上で実際にあったことだからといって、誰かを差別することを推奨するような言動を今書いたら、読む立場として苦しいものがあったりするでしょう。資料に書いてあった、史実通りだと書いてもいいんだけど、読者が楽しめるかどうかは別の問題。

門馬:資料をみていると、昔の表現は本当に使えない。

小川:だから僕は『地図と拳』を「小説すばる」に連載する時、集英社と中国人を「支那人」と書くかどうか話しあいました。「支那」と書いた方が、過去の日本人が中国をどう思っていたかをイメージしやすいだろうし、「中国」にすると違ってしまうと思いました。本でもそうですが、意図を説明した注記を入れたうえで書きました。それも一つの選択です。

門馬:歴史で真偽が不安定な部分は触れにくい。僕はけっこう、やめておこうとなります。

小川:僕はわりと書いていますけど、マンガの方がより広い範囲の人が読むでしょうから、気をつかうところはより大きいかもしれません。

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