「つるめない芸人」と「プロレス芸人」が持つ哲学の違いとは? ナイツ塙宣之と有田哲平の著作を読み比べ

 自らの持つ哲学について語った人気芸人の著書が、偶然にも近いタイミングで2冊刊行されている。2冊を読んで印象的だったのが、「他者との関係」をめぐる哲学の違いだ。

 7月29日刊行の『ぼやいて、聞いて。』(左右社)は、お笑いコンビ「ナイツ」の塙宣之による人生哲学エッセイ集。「人間関係」「漫才」「違和感」「雑念」「言葉」という5つのテーマについて思うことをぼやき、愚痴り、脱線しながら、とりとめもなく話していく一冊である。

〈僕はどうやら、他人とつるむことをあまり好まない人間のようなのです〉。つるむのが苦手な性格でも、どうやって人と関わることを止めないで生きていくか。それが著者の行動原理であり、思考の起点となる。学生時代は運動も勉強もできなかったが、ゲーム機の改造や先生のモノマネで脚光を浴びて、学校で居場所を見つけてきたという塙。こうした生き方の延長線上に、「浅草芸人」「漫才協会の顔」といったナイツ独自の芸能界での立ち位置があるのだと納得させられる。

 一方で人とつるめない天邪鬼さが、何の得もない方へと著者を向かわせてしまうこともある。たとえば、オススメの若手芸人を聞かれた時の話。漫才協会に所属する若手をテレビ番組のディレクターやライブの企画者に紹介するのは、特に不自然ではないように思える。ところが、人に聞くのではなく自分で発掘するのが彼らの仕事ではないか、身内を推薦したら癒着になるのではないかと、自分の置かれた状況に違和感を覚えて口ごもったりお茶を濁してしまうのだという。

〈ずいぶんと自分はめんどくさい奴です。素直になれない、嫌な奴です〉と懺悔する塙の脳内には、体育の授業での集団でのダンス、関東芸人の出どころを待てない体質、時事ネタをやることを珍しがる人たち、自己紹介で有名人と知り合いであることを自慢する人たち、演技力、ディズニーランドで遭遇した爆笑問題の太田光、赤ちゃんのイヤイヤ期など、違和感のある対象が頭に浮かんでは消えていく。でも、全員から好かれる=誰からも違和感を持たれないようにするよりも、違和感を持たれるぐらいの方が生きやすい。でもそれとは別に、ホテルはめちゃくちゃ寝にくいのに「宿泊施設の最高峰」とされていることへの違和感は主張しておきたい。という具合に、どこまで行っても話はまとまらない。

 掴みどころがなく、次々と話題の変わっていく構成の本書。そこには読み手が共感したり何を言ってるのだとツッコミを入れたり、話によって関わり方を自由に変えられるようにする、「つるまない」人間ならではの仕掛けが潜んでいるようにもみえる。

 そんな『ぼやいて、聞いて。』と対照的に一点突破型の芸人本といえるのが、9月5日に刊行された『純度100%!有田哲平のプロレス哲学』(ベースボール・マガジン社)である。大のプロレス好きとして知られる「くりぃむしちゅー」の有田哲平が「チャンピオン」「マイクアピール」「凶器」といったキーワードを入口にプロレスについてひたすら考え語っていく本書は、プロレスファンとお笑いファンどちらの想像力も刺激する一冊だ。

 頭の中で自分のプロレス団体を運営しているという有田。彼がプロデューサーとして重視している要素、それはリアリティである。なぜチャンピオンを目指すのか? 前座試合の勝敗に意味はあるのか? 何のために他団体と対抗戦をするのか? 過去に熱狂した試合の記憶や、今のプロレスを見て抱いた感想や疑問、本職であるお笑いでの経験。これらを基に導き出した答えが、有田にとってのプロレス哲学となる。

 その途中に披露される、「道場で最強」とされたレスラー・藤原喜明と「楽屋で一番面白かった」芸人・古坂大魔王のブレイクにまつわるある共通項や、藤波辰巳vs長州力の名勝負数え歌とバラエティ番組での名人芸化したやりとりに見るマンネリの危険信号といった見立ても興味深い。

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