【ジブリ】『千と千尋の神隠し』でも登場 宮崎駿が愛した看板建築ってなに?

夜の江戸東京たてもの園 写真=photolibrary


 アニメーション映画監督の宮崎駿は、建築に精通していることでも知られる。特にその趣味が発揮されているのが、『千と千尋の神隠し』だ。物語の舞台である「油屋」は明治時代の擬洋風建築を思わせるデザインになっているが、千尋が迷い込んだ異世界には、「看板建築」と思わしき建築が多数建ち並んでいる。

 看板建築とは、大正12年の関東大震災で焼失した都市部を中心に、昭和初期に多く建てられた独特の建築のこと。造りそのものは2~3階建ての木造の商店なのだが、通りに面した正面部分にだけ洋風の装飾を施している。全体的に平面的で、そのたたずまいがどこか看板のように見えることから、看板建築と言われるのだ。命名者は宮崎とも親交が深い建築史家の藤森照信である。

 看板建築の設計者は著名な建築家ではない。主に素人が手掛けた建築である。商店主が自らデザインをして大工に造らせた例もある。こうした詠み人知らずのデザインがかえって魅力的に映るのである。実際、レタリングが施された商店名がついていたり、貼り絵のように銅板やタイルを張り込んでいたりと、自由奔放な造りがなかなか個性的だ。

 宮崎はプロの建築家ではない人物が手掛けた建築に、不思議な魅力を感じたのだろう。確かに、『千と千尋』の異世界のイメージそうした着眼点は見事と言うほかない。

 なお、都心で今でも看板建築が数多く残っているのは秋葉原から神田のエリアなのだが、ビルとビルの間に窮屈そうに現存している例が多い。バブル期までは数棟が並び立つように残っていた場所もあったらしいが、地上げ屋の標的にされたり、再開発によって多くは失われてしまったのが残念である。

 とはいえ、不遇な時代を乗り越えて、看板建築にも保存される例が増えてきた。ずらりと建ち並ぶ異世界のような空間を味わいたいなら、東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」がおすすめだ。昭和初期に存在したであろう看板建築の街並みが再現されている。

江戸東京たてもの園にある看板建築の一例。正面部分は銅板を吹いているため、緑青で緑色になっている。

 看板建築の街並みの奥には、まるでお寺のような雰囲気の立派な銭湯が立つ。昭和初期に、東京都足立区にあった「子宝湯」だ。この風景を見てピンときたジブリファンも多いだろう。そう、まさに『千と千尋』の風景そのものなのである。

江戸東京たてもの園には、「油屋」を思わせる立派な唐破風をもつ銭湯も移築されている。

 全国に『千と千尋』のモデルになったと噂される建築は数多いが、江戸東京たてもの園は、ジブリが公式に認めた由緒正しいスポットでもある。なお、宮崎は江戸東京たてもの園のマスコット“えどまる”もデザインしているほか、藤森照信が聞き手となり、宮崎駿と高畑勲の2人にインタビューした『新 江戸東京たてもの園物語』という書籍も刊行されている。

 近隣の三鷹市には「三鷹の森ジブリ美術館」もあり、1日で「江戸東京たてもの園」と両方を巡ることも可能だ。ジブリファンであれば併せて訪問したいスポットといえるだろう。

夜の江戸東京たてもの園 写真=photolibrary

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