芥川賞はどうなる? 文學界新人賞を満場一致で受賞した年森瑛インタビュー「私は正確に書き起こす機械でいたい」

登場人物が優しいのは、現実の人が優しいから

 ――『N/A』には切れ味のいい会話劇が多くあります。まどかは「かけがえのない他人」を求めてお試しで女子大生のうみちゃんと付き合いますが、中盤で起こる二人のすれ違いには、現実のどこかでも同じ会話がされていそうなリアリティを感じました。 

年森:多分、現実に起きていることだから見えるんですよね。本当に私の身に起こったわけではないんですけど、日常生活の中で片鱗みたいなものがちょっとずつ見えていて、それが小説の中に抽出されているのかもしれません。 

――周囲の人の先回りした配慮や気遣いをまどかがもどかしく思う展開も印象的です。まどかは生理を止める手段として低体重を維持しているだけなのに拒食症の女の子だと判断され、その属性のための優しい言葉をかけられます。「なんの関係もない世の中に責任が押し付けられていた」という一文が印象に残りました。現在はむしろ世の中に責任を押し返す必要性が問われることが多いですが、それだけではこぼれ落ちるものがあるのでしょうか。 

年森:当然ながら、自己責任論のように、個人に全ての要因を押し付けるのは違うと思います。そうした抑圧に違和感を持った人々が声を上げて連帯することで、様々な困難を解消しようとする動きには賛同しています。ただ、この世のすべての苦痛が他人とシェアできる形のものとは限らないとも思っています。 

 以前、オーディション番組か何かである候補者がアイドルになりたい理由として「みんなのことを救いたい」と言っていました。それを聞いた時、なんだか不思議な言葉だなと思って。たとえばファンの一人が、その人のパフォーマンスに救われたと言うならまだ分かります。でも、その人が自発的に「みんな」を救いたいんですよね。「みんな」の中には、その人とは自分の苦痛を共有したくない・できない人もいるはずだから、汎用化していっぺんに解消することは難しいんじゃないかな、と。 

――その場合の「救いたい」は、こちらの抱える息苦しさとずれている場合もありますよね。文學界新人賞の選評では、東浩紀さんが「安易なマイノリティ表現への違和感の表明であり、同時にそのような表明の安易さの批判でもある」と書いています。こうした違和感を書こうとすると意地悪なものになることがありますが、『N/A』はそれに留まっていないと感じました。 

年森:まどかに意地悪な気持ちが無いからそういう書き方にならないんだと思います。物語の中盤のまどかも自分の魂を守るのに必死だっただけで、うみちゃんの目指す方角が嫌なのとはまた別なんだと思いますね。 

――登場人物が優しいのも印象的でした。配慮をしようとしてぎこちなくなることはありますが、困っている人やつらい思いをしている人がいたら当たり前のように何かをしてあげようとしますよね。 

年森:書く時に意識はしていませんでしたが、登場人物が優しいのは多分、現実世界の人が優しいからなんだと思います。たとえば教室で泣いている子がいたら、無視する方が難しくないですかね。基本的に私は、人間は優しい寄りの存在だと認識しているので、小説もそうなっているんだと思います。 

――それは希望というより、年森さんの実感としてですか? 

年森:そうですね。出力の差はありますが、人間には他者に優しくする機能が標準搭載されていて、かつ、優しくありたいと願っているように感じます。以前、電車の中で気を失ったことがありました。ちょっとグロい話になるんですけど、夏にサンダルを履いて混んでいる電車に乗っていたら、前の人のかかとが私のつま先にあたって爪がべりっと剥がれてしまって。 

 失神してしまったのですが、そのまま倒れるんじゃなくて、なぜか上半身だけ気を失って下半身はそのままだったんですよ。ホラーみたいに上半身をぶらぶらさせたまま立ち続けているので、周りの人もこれは大丈夫なのか、声をかけたほうがいいのかわからなくて、判断に迷っていたようなんですね。 

 そうしたら近くに座っていたスーツ姿の女の人が、「ここ座っていいですよ」と誘導してくれて、意識は戻ったもののフラフラな私と次の駅で一緒に降りて駅員さんを呼んでくれて。この人も会社を遅刻するかもしれないけど、優しくするほうがその人の心身がごわつかずに済むことだったのかなって。 

 まどかの友人の翼沙が、いつもは自分の言葉で話しているのに、すごくぎこちなくなるシーンがあります。あの時の翼沙も、優しいから、色々と勉強したんでしょうね。傷つけないように配慮を重ねすぎて定型化した翼沙の言葉は、まどかには届かないんですけど……でも、用意された言葉を使っているからといって、それを使う人の気持ちまで用意されたものではないので。配慮したいと思う意志自体はけして空疎ではないと思っています。 

友達に軽蔑されない話を書いていきたい

 ――賞に応募したのは今回がはじめてとうかがいました。何かきっかけがあったのでしょうか。 

年森:2021年の春ごろに、友達がみんな新しいことや転職をはじめていて、私も何かしようと思っていました。その時、リスナーだったニッポン放送の『高橋みなみと朝井リョウ ヨブンのこと』の放送終了が決まってしまって。悲しいなと思いながら昔の放送のことを考えていた時、朝井さんが「ラジオを聴いていた人の中から売れっ子作家になる人が出てきたらいいのにな」って言っていたことを思い出して、じゃあ小説を応募してみようと思いました。 

――そんなきっかけだったんですね。朝井さんの小説で好きな作品はありますか? 

年森:特に好きなのは『何者』と『スター』、あと短編の『そんなの痛いに決まってる』です。朝井さんの小説は主人公に都合の良い悪役があまり出てこなくて、一つのことをいろんな角度から見ていくのがいいなと思います。 

――他にはどんな作家を読んできましたか? 

年森:一般文芸だったら辻村深月さん、綿矢りささん、今村夏子さんの作品が好きです。小説を書く時、その場面を書くのが一番得意そうな先生を頭の中に呼んで、この先生ならこう書くかな……と思いながら書くこともあります。 

 学生の頃はライトノベルをよく読んでいました。兄が買ってきた『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにはまり、文庫だから手軽に手に入ったこともあって。自分が書けるのはラノベのような作品ではなくて、もっと地味な話ばかりですが。 

――文學界の新人賞を満場一致で受賞し、今は芥川賞候補です。率直にどういうお気持ちですか? 

年森:そもそも文學界新人賞の最終候補に残ったという電話がかかってきた時点で詐欺だと思っていたので……。こんな不思議なことって起こるんだなって気持ちがずっと続いています。 

――これからはどんな作品を書いていきたいですか。 

年森:友達に軽蔑されない話を書いていきたいです。他人のことを完璧に理解できると思いこんだり、自分のことを清らかな生き物だと錯覚するようになったら、きっと距離を置かれるだろうから、そうならないように気を付けます。それから、この先、脳内にどういう映像が流れるのかは分からないのですが、どんなことであっても見えているものを正確に書き起こす機械でいたいですね。

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