『ゴールデンカムイ』で注目、アニマルパニックの王者「ヒグマ」を描いた書籍たち

 連載が終了し、東京で開かれた展示会も大成功を収めた『ゴールデンカムイ』(展示会は京都、福岡、北海道へ巡回します)。最終話を収めた31巻は7月19日に発売されるし、映画化決定ともあって、『金カム』人気はさらにヒートアップしそうだ。

 『ゴールデンカムイ』の魅力は語り尽くせないが、筆者が一際気に入っているのが北海道に生息する野生動物の描かれ方。カムイとしてだけでなく、命を繋ぐ食としての役割にも重きを置いており、連載開始以降、世界観を少しでも共有したいファンがジビエ料理を出すレストランに押し寄せた(筆者もそのひとり。クマ肉は美味い)。

 本シリーズの人気により、あらためて注目されている北海道の動物たちだが、それまでは「怖い」とただひたすら恐れられていたものもいる。それが、ヒグマだ。

 筆者はヒグマが大好きで、畏敬の対象。亡き叔父が北海道の奥地で猟師をしていた関係もあり、ヒグマを巡る様々な事柄に興味がある。

 そこで今回は、筆者が愛読している“ヒグマ本”の一部を紹介しつつ、ヒグマへの気持ちを綴っていこうと思う。

アニマルパニックの王 ヒグマ

 ヒグマは陸上最大の肉食獣。本来ならば森でおとなしく暮らしているので、必要以上に怯えることはないと言われている。

 だが、人間がヒグマのテリトリー(つまり山)に入ったり、森林伐採や開拓などによりヒグマの棲家が縮小されたりすれば、不幸な事故につながる確率は上がる。近年では、ヒグマによる害獣被害が増加傾向にあり、悩んでいる人も多い。

 ヒグマの出没がニュースになると、必ずと言っていいほど語られる事件がある。それが、「三毛別羆事件」だ。1915年の北海道は三毛別地方で、冬眠に失敗したオスのヒグマが屯田兵の家を襲い、死者8名を出した史上最悪の食害事件だ。

 元営林署勤務だった木村盛武が、事件の生存者に根気強くインタビューして事件のあらましをまとめた『慟哭の谷 THE DEVIL’S VALLEY』(1994年、共同文化社)には、ヒグマがどのように女性や子どもを襲ったのか、どれほど獲物(死体)に執着していたのか、などが詳細に記されている。臨月の妊婦の腹を引き裂いて胎児を取り出し上半身からムシャムシャと食べた、などという生々しい描写はホラー映画よりも恐ろしい。「喉を食いちぎって殺してくれ」という台詞からは、ひと思いに殺してほしいと願わざるおえないほどの惨劇だったことが容易に想像できる。

 『慟哭の谷』の小説版とも言えるのが、吉村昭の『羆嵐』(1982年、新潮社)。当時の暮らしぶりもよくわかる内容で、登場人物の性格も丁寧に描かれているからヒグマへの恐怖が倍増する。ラジオドラマにもなった(ちなみにこのラジオドラマは名作だ)。

 北海道のヒグマによる食害事件をテーマにした作品だと、増田俊也原作・奥谷通教漫画の『シャトゥーン ~ヒグマの森~』(2008年、集英社)も有名だ。三毛別事件を彷彿させる、穴持たず(冬眠に失敗したヒグマのこと。シャトゥーンとも言われる)のヒグマが執拗に人間を襲うアニマル・パニックサスペンスとなっている。ヒグマは夏から秋にかけて冬眠に備えて食べ物を大量に摂取するが、殺鼠剤の散布が原因で森から昆虫や小動物が消えたため、冬眠できなかったという設定だ。ヒグマの生態が学べるだけでなく、小説ではビジュアライズしにくいヒグマの食害シーンもある。

 これらに併せて、福岡大学ワンダーフォゲル部ヒグマ事件の詳細を調べれば、ヒグマに対する印象は「危険生物」や「害獣」になるだろう。

ヒグマ=危険生物?

 だが、危険生物のレッテルを貼るのは待ってほしい。というのも、私たちは常に、何かをグループ分けしたりレッテルを貼ったりするときに、人間の、しかもマジョリティーの立場から見ているケースが大半だ。そもそも生き物は理由もなく攻撃することは少なく、捕食や身を守るためが大半の理由だ。

 たしかに、ナイフも歯が立たないほどの分厚い毛と、銃弾でも致命傷を与えることが難しいと言われる硬い筋肉に覆われたボディ、時速60キロで走り木登りも得意(大人になるとあまりしなくなるという説も)で、火や大きな音には怯えるどころか興味を示し、犬の7~8倍もの嗅覚と鋭い聴覚を持ち、執念深いと聞けば、ヒグマを恐怖しない方がおかしいだろう。現に、登別ヒグマ牧場の「人のオリ」に入ったときは、安全だと思いつつも、その巨体を目の当たりにして恐怖で震えた。

 意味のない殺生には反対の姿勢を表す筆者でも、ヒグマを目の前にしたら保護したいという余裕は一瞬で吹き飛んだ。自分の安全を確保するガラスや壁がなければ、恐怖を取り除くために目の前のヒグマを処分ほしいと思うだろう。だが、その感情も全て人間側の自己中心的な都合でしかない。

 そしてそれを裏付ける本が、アイヌ民族最後の狩人である姉崎等の『クマにあったらどうするか』(2002年、木楽舎)だ。

 本著には、ヒグマがいかに人間を恐れてひっそりと暮らしているのか、本来ならば人間と棲み分けしながら生きているのかが書かれている。ヒグマを師と仰ぎ、「狩人として一人前にしてくれたのはヒグマだ」と語る姉崎の言葉からは、『熊嵐』とは全く違うヒグマ像が読み取れる。

 『慟哭の谷』でヒグマの印象を「完全無欠のモンスター」にした木村盛武も、『春告獣ヒグマのことがわかる本』(1995年、共同文化社)や『ヒグマそこが知りたい 理解と予防のための10章』(2001年、共同文化社)で哺乳類としての生態をニュートラルな姿勢で伝えようとしている。

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