『パリピ孔明』から考える「失敗しない男」諸葛孔明誕生の背景とリアルな失敗遍歴

 どんな困難な状況でも策を練り、人々をアッと驚かせる結末に導く最強軍師。それがマンガ、アニメで人気の『パリピ孔明』の諸葛孔明の姿。

 もう、なんか「失敗しない男」なのだ。でも、だからこそマンガもアニメも楽しい。頼もしい孔明にまた会いたくなる。

 もちろん、これは『三国志演義』という史実に肉付けされた物語から生まれた孔明の姿。つまりフィクションなのだ。

 別にそれが悪いわけではない。中国では、歴史物語を語る講談師がずーっと昔からいるのだけど、なぜだか、聴衆は劉備と孔明の蜀漢が負ける場面では悔しがり、魏の曹操が負けると「イエーッ!」となった。みんな、孔明の活躍が聴きたかったのだ。だから、孔明の活躍場面はどんどん増えた。歴史ものなのに、視点は蜀漢の劉備や孔明視点になった。

 これをまとめたのが明の時代に成立した『三国志演義』という物語。日本にも江戸時代初期には伝わったようで、これが日本の三国志のベースになっていく。要するに、みんな蜀漢びいきで、孔明が大好きな文化になる。

 だが、「演義」はフィクションでありながら、流れは史実に沿っており、物語としてライバルである『水滸伝』みたいに、しっちゃかめっちゃかでも、荒唐無稽でもなかった。ほんの少し盛りすぎただけの、歴史小説とさえいえる内容だった。

孔明伝説を大いに広めた吉川英治『三国志』

 そして、第二次世界大戦のころ、日本で生まれたのが、吉川英治による大衆歴史小説『三国志』。吉川英治は少年のころに『三国志演義』を読みふけったと述懐しているので、当然、ベースは蜀漢視点の「演義」。これを日本の大衆歴史小説のエースである吉川が味付けしたのだ。そりゃあ、さらにわかりやすく、読みやすく、孔明伝説は大いに広まる。

 「諸葛孔明って、カッコええなあ」

 みんなが思った。

 『鉄人28号』のマンガ家、横山光輝も思った。だから、横山版のマンガ『三国志』(潮出版社)は吉川英治版が下敷きになっている。どうやったって、孔明は無敵の活躍になる。小説を読まない層にも孔明は愛される。

孔明にメロメロになった『人形劇 三国志』

 NHKで放映された『人形劇 三国志』もあった。これも立間祥介訳の『三国志演技』がベースなので、もちろん、「演義」準拠だ。付け加えれば、川本喜八郎がつくる孔明の人形が、それはそれはもう、知的で、誠実でカッコいい。ついでに声を当てた森本レオの名調子も素敵すぎて、みんなメロメロになってしまう。

 「孔明、最高!」

 こうして、1980年代、日本の三国志ブームは強大化した。

 さらに、もうひとり、三国志に没入してしまった人がいる。ゲームプロデューサーであるコーエー(光栄)のシブサワ・コウだ。

 なんとかして、三国志のダイナミズムをゲームにしようとしたのだと思う。すると、諸葛孔明は特別でなければならない。

 当時はコンピューターゲームにおける表現の幅なんて限られていた。でも、孔明が絶対的でなければ、三国志ファンは納得しないだろう。

 各武将のパラメータは、1~100で割り振られていた。孔明がバカなわけない。彼が失敗したら変だ。こうして、諸葛亮(孔明)というユニットは、唯一、知力が最大値の100となった。孔明なのだから、そうするしかない。

 そして、ゲームの仕様上、知力100は間違った助言をしない。孔明は何もかもを予言するモンスターになる。いや、孔明を軍師にし、彼の助言を聞くゲームになる。朝から晩まで、コマンドを繰り返し、孔明の助言が変わるのを待てば、絶対に裏切らない周瑜(しゅうゆ)を孫策(そんさく)から引き抜くことさえできた。孔明は魔人のような存在になってしまう。彼はパーフェクトに「失敗しない男」になってしまった。

 「それでいいのか?」

 そう感じる人は出てくる。でも、このゲーム『三國志』は大ヒット作になった。続編がどんどんつくられる。さらに孔明は強くなる。今のゲームでいう、「スキル」のようなものも付加され、孔明が敵側として戦場に出てきただけで戦慄が走る。火を放ち、風向きを変え、場合によっては、雷を叩き落とし、戦場の様相をムチャクチャにする。

 「お前は、アムロ・レイが操縦するガンダムか!」

 プレーヤーは感じる。

 実はゲームになった時点で、パラダイムシフトは起こっていた。

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