乗代雄介が語る、物語の奇跡を許すこと 1尋の苦悩を超えた『千と千尋の神隠し』のような感覚を

 『最高の任務』『旅する練習』『皆のあらばしり』が芥川賞候補作となるなど注目を集める小説家・乗代雄介。その最新作『パパイヤ・ママイヤ』(小学館)は、アル中の父親が大嫌いなパパイヤと、芸術家の母親に振り回されて育ったママイヤという二人の17歳の少女を主人公にした物語だ。SNSで知り合った二人はいつも千葉・木更津の小櫃川(おびつがわ)河口の干潟で会い、次第に心を通わせていく。 

 乗代は今作で「奇跡を許す」書き方をしたと言い、自身が一番好きな作品だという『千と千尋の神隠し』を引き合いに出す。同作と『パパイヤ・ママイヤ』の共通点やタイトルの由来、小説を描く上での「場所」の重要性などを聞いた。(小沼理) 

「何が起こっても良い」と思える場所

――『パパイヤ・ママイヤ』というタイトルは、ウルフルズに同名の楽曲がありますね。 

乗代:最初期の曲ですね。「パパイヤ」と「ママイヤ」の意味はそのままいただきました。「歩き回って一人で考えてわかる」というような歌詞が話の内容と重なる部分もありますし、明るい語感がしっくりきて、このタイトルでいっちゃおうと。 

――作中には東京事変などの楽曲も登場します。 

乗代:執筆前に舞台となる木更津の小櫃川河口干潟を何度も訪れたのですが、散策中は色々な音楽を聴いていました。山下達郎の「CHEER UP! THE SUMMER」、あいみょん「裸の心」、ザ・ピーナッツの「私と私」、浅田美代子の「しあわせの一番星」、斉藤由貴「青空のかけら」、広末涼子の「ジーンズ」とか、時代もばらばらな曲をプレイリストにまとめて聴いていました。 帰り道でよく聴いていたのは桜田淳子の「日ぐれの少女」でした。

 小説ではあまり描かれない、パパイヤとママイヤの日常生活のイメージで基調にしていたのは香取慎吾と原由子の「みんないい子」。ストレートに気分を出してる曲ばっかりなのは、かなりな部分でこれらを励ましにしながら書くという方法だったからです。歌詞もちょっと拝借しているし。 

――今回、なぜ小櫃川河口干潟を舞台に小説を書いたのでしょうか? 

乗代:気に入る場所を探して歩くのを習慣にしていて、その中で小櫃川河口干潟を訪れたことがきっかけです。最初は書くつもりはなかったんですが、通い詰めるうちに小説の舞台としていい場所だと思うようになりました。 

 人と自然の境界のような、人間の香が残りつつ立ち入れないところもあるような場所が僕は好きです。ピンとくるというか、書くべきものがたくさんあると感じるんですよね。その中でも、「ここではなにが起こってもよさそう」と思えるような場所は意外と少ないので、見つけるとうれしくて、ひとしきり味わったあと、小説に書いてしまいます。 

 小説を書く時は、実際にその場所をたくさん歩きます。今回も朝一番のバスで干潟まで行って、風景を観察しながらノートにスケッチしたり、写真を撮ったり、潮の満ち引きを確かめるための実験をしたり……。夕方まで12時間くらい過ごすのを20回ほど繰り返して、そこがどんな場所であるかを学んでいきました。 


――訪れる中で印象的だったことはありますか。 

乗代:干潟の波打ち際には木やゴミが打ち上げられていて、その一番奥の林の前を、小説では「木の墓場」と表現しています。散策の時はこの木の墓場にいつも腰掛けていたのですが、満潮のたびに位置や構成が変わるんですよね。それが面白くて。翌日が大潮の日をねらって落ちているゴミをいくつかマーキングしておき、次の日に一日中探し回るのもよくやりました。遠くの思わぬ場所で発見した時なんかは妙な感動があって、不覚にも一人で涙がこぼれました。 

 この経験は小説にも生きています。自分がいない時でもちゃんと世界が動いていることを、言葉ではなく直感する経験ですね。同じものだ、とわかる時の感覚って言葉じゃないですから。そういう、自分とはなんの関係もないことが救いになるのはなぜかということを、書きながらすごく考えていましたね。ヴァルター・ベンヤミンが、「愚か者による救いだけが本当の救いだ」みたいなことを言ったような。

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